日本の食の領域に真実はない
その中のフレンチワインと日本酒も異常なものであり
この二つを比較して日本の食の実情を探る
私はこれまで様々の日本の食の偽りを指摘し続けてきました。
例えば、私はフランス菓子をつくるパティシエです。しかしこの日本には本来のフランス的な多様性、多重性に満ちた味わいの感じられない、日本人のひとりよがりの、きわめて平坦な味わい・見た目・形だけのフランス菓子、料理しか見つけることはできません。
そして心とからだに健康と幸せを与えるという、からだが必要としている栄養素をアク抜き・下茹でによって捨て去ってしまう、食の本来の意味を失ってしまった、辰巳芳子氏を旗頭とする形式的な家庭の日々の料理。これはプロが作る和食も同じです。下茹で、アク抜きによって大事な栄養素を捨て去った料理はどんなに見た目が美しく華麗であっても五感に深く感じるおいしさはありません。これを食べ続ければ必ずからだは傷ついています。
本来の味わいを全く忘れられてしまった砂糖まみれの、甘さにまみれたおせち料理。主婦が正月三が日は台所に立たなくてよいように料理を日持ちさせるために甘みを強くするというのはまったくの偽りなのです。大料亭・デパートの大量生産・大量販売のもとに絶対的防腐効果が得られるまで糖度あげた偽りの産物なのです。人は年の初めからからだの調子を悪くするために甘さにまみれた料理を食べます。さらにただただ盲目的に鼻にも歯にも口にも舌にも、より味わいを感じない繊細さを求める本来の味わいを失った和菓子、日本酒、ビール、焼酎の異常さ。その他多くの事実を指摘してきました。
今配っているお菓子は、私が考えるフランス菓子です。この味わいを日々あなた方が食べているお菓子、食べ物と比較してください。香り、味わい、触感が幾重にも重なり合い、五感に迫る、これがフランス的な味わい、そし人間の食べるものと考えます。しかしのこような味わいはすべてのものから失われてしまいました。
日本人が繊細の極みと思い飲んでいる稚拙な思い込みによって作り上げられた本来の旨さを失っている日本酒と、本当は人間が飲むべきものではない、危険であまりにも不快な味わいのフレンチ、その他輸入ワインについて述べていきます。
誰もが日々の暮らしを彩り、豊かにしてくれると思っているものも、私たちの心と体を傷つけるものであることを知らなければなりません。
記憶は定かではないのですが、小学校に入る前から私は日本酒飲んでいたように覚えています。あるいは小学校の低学年の頃かもしれません。生家は会津塗漆器の落ち目の卸屋でした。漆器は製材所から板を買い、木材を加工する惣輪師、そしてそれに下塗り、上塗りする塗り師、これに蒔絵を書く蒔絵師で完成となります。そして完成となってリヤカーで運ばれてきました。そして私の家ではそれを荷づくり発送していました。会津ではそれぞれの工程が個別の家内制手工業で行われており、それぞれの工程が終わるとリヤカーに積んで次の工程の家に運んでいました。
年に一度、12月の中頃だったと思いますが、各工程の職人さんたちを我が家の座敷に招いて本当にささやかな宴会が催されました。当時は商家などには宴会のためのお膳、什器一式が揃っており、近所の主婦3~4人の助けを借りて料理をつくりもてなしました。
祖父や父が宴会の間、職人さんたちのお相手をするのですが、私はいつもずっと祖父の横にちょこんとニコニコして座っていました。そのうち酔いの回った職人さん達が、「とおるぢゃん、酒飲むが」と冗談めいて言ってくれるのを待ち構えたように、「うん、飲む」と言っておちょこを出し、ついでもらい、ちゃぷちゃぷと2~3回で飲み干します。味わいを詳しくは覚えていませんが、なんか旨かったような気がします。滅多にない、年に一度の華やかな雰囲気が嬉しくて、そう感じたのかもしれません。でも旨くなかったら子どもは決して飲みません。子どもの感覚は鋭い。赤ちゃんの感覚は動物と同じ。大人の私達には想像もつかないほど鋭敏です。人間生活の中で、少しずつ人間の習慣、規範がその本能にとって代わっていき、次第に鋭敏な感覚を失っていきます。
いつも5杯以上は飲んだような気がします。祖父は頼もしそうに私を見て、別に「子どもは飲んではだめだ」とは決して言いませんでした。少なくとも子どもが飲んでも不快になるような味わいではありませんでした。
また父と祖父の毎晩の晩酌のための一升瓶が家の奥の薄暗いところに置いてありましたが、たまにどうしても飲みたくなって、一升瓶の中の酒が残り少なく軽くなっている時にコップに1/5ほどついで、暗いところに座ってぴちゃぴちゃなめるように飲んでいたのを覚えています。一升瓶にいっぱい詰まっているときは重くてうまくつけずこぼしてしまうので、少なくなった時を見計らっての盗み飲みでした。それをいつまでやっていたかは覚えていません。
次にアルコール類を飲み始めたのは19歳。学生になり上京してからでした。でもその頃は日本酒は悪酔いするので日本酒しかないとき以外はビールが一番多く、次にハイニッカなどの一番安いウイスキーでした。本当に日本酒はたまにしか飲みませんでした。まだその頃はビールも今から比べればずっと旨く楽しくしっかりした味わいで、ビールは本当にごちそうでした。
私にとって一番大事な、そして旨くて楽しい日本酒の記憶は大学四年の時の秋のどぶろくでした。
・この時明治大学は学校封鎖によって後期の開校が遅れて10月中頃の上京でした
・それまで夏休みからずっと猪苗代湖のボート番でアルバイトを続けていました
・そこの観光事務所の方々は湖の周囲の農家の方々で観光シーズンだけの季節労働者でした
・日頃これといった楽しみなどない時代で、恐らくほとんどの農家では税務署の目を盗んで新米が摂れるとどこでも密造どぶろくをつくっていたと思います
・それを自分の当直の時に事務所に持ってきて、湖に網を張って小さなはやという魚を捕り、これを唐揚げにして皆さん飲んでいました
◎何度もご相伴にあずかった
・本当に本当にうまかった。香り、味わいは本当に豊かで濃くて、懐かしく暖かく優しさに溢れて五感を包み、嬉しく楽しく浸み渡った
酸味、甘みはとてもふくよかで自然な新鮮さがあふれ、暖かく人懐こく、口全体が嬉しさに膨らみます。口に入れる前の匂いでもう意識は楽しくなり、これから口に入るものの素晴らしさを教えてくれた。口に含む、口に入れる前の予感は一気にふわっと口中に、体中に膨らんだ。口中の、鼻腔の全ての感覚を満たし、虜にする。飲み干せば、間違いなく身体に良いものを摂り入れた安堵感と満足の感覚に満ちる。一人でに顔は優しく緩んでいる。
とんでもなくオーバーな、と思われるかもしれません。そう、これは実際の経験がないと理解できるものではありません。でももう日本にこんな味わいはありません。
(その旨さの理由)
・私が22歳、1969年頃は未だ日本の米にはまだ十分に豊かな栄養素が詰まっていた。
旨かった
会津の米も確かに旨かったし、福島と新潟の県境の私のおじさんの米もとびきり旨かった。
・米を研ぐなんて無駄な意味のないことはせずふすまを取り除いただけの米の全ての成分使われた
・麹は加えられるが、その他には自然に生息する数多くの微生物が発酵に加わり、豊かで複雑な味わいを作り出していた
・微細なろ過など行われない。豊かに発酵して幅が広がったすべての旨さと成分が口に入った
・どぶろくなので火入れはされない。味わいは自然な新鮮さに満ちた心とを爽やかにする旨さだった。蔵元では酒の発行が終わると火入れをします。これは出来上がった生酒を60~65℃に加熱します。この温度での加熱で酵母などは殺さず、酒を腐らす腐敗菌を殺します。
・十分に発酵したならすぐに、短時間で飲むので腐敗菌によって味が変質することもなかった
◎あの時の酒の旨さは米の十分な旨さと共に豊かな発酵によって生成された身体に良いもの、細胞が待っている栄養素が豊かにあり、身体が喜ぶおいしさに満ちていた「
※食べ物の本当のおいしさで最も大事な点です。
(米のたゆまぬ増産から過剰古古米へ)
・戦後の食糧難からの脱却のために一貫して米の増産が量られた
・その中で米の中身、栄養素を考えずにただ効率的に少しでも多くの米をつくることが大事になってきた
・農協の金融資本の利益のために、より多くの農薬と化学肥料による化学農業により土地は荒廃し、土の中からはミネラルは欠落していた
★米は次第においしさ、栄養素が欠落していった
●農協は自らの増殖のために、有無を言わせず化成肥料、農業を押し付け、農民を搾取し続けている。
○自民党は集票マシーンの農協にすりより、消費量を超えても無計画に米の増産を許し、それを市場価格より高く買うことで農業を形式的に維持してきた。しかし古古米さえも大幅に残り、1970年、減反政策が実施された。
★このコメ余りを背景に、米は研げば研ぐほどでんぷんの純度が高まり、酒は旨くなるという考えが芽生え始めたように思われる
・それ以前の二級酒、一級酒、特級酒というカテゴリーにかわって、純米酒、吟醸、大吟醸(※吟醸酒は杜氏の間で明治の後半から研究や品評会用につくられていて一般には流通していなかった)というカテゴリーができ、1980年(昭和55年ごろ)から一般に商品化された。
・米をより小さく研ぐことによって、酒の等級が決まるようになったのである
※大吟醸では50%の米をけずりとり、残りの米の中心50%で酒をつくるのである。削り取られた部分はタダ同然で家畜のえさにでもなるらしく、以前、削り取った米粉がかなりの低価格で手に入るのでこれを使ったお菓子はできないかと言う問い合わせがあったこともある。
★ここで大事なことは酒の旨さへの考え方が、このコメ余りの時を境にして完全に変わったということである。極端に米をそぎ落とし、酒の中に様々な成分の幅、種類、量を少なくした方が研ぎ澄まされた繊細で旨い酒とされるようになった
◎以前は米の全部で酒の旨味をつくると考えられていた
・様々の成分が幅広く豊かに含まれていたので、全身の感覚を嬉しくさせる本来の旨さがあった→私は飲んだどぶろく、またこのどぶろくはめちゃ飲みしたわけではないが、かなり飲んでも翌日不快になることはなかった。
・戦後、米の不足していた頃は、米で作った酒に醸造用アルコール、水、水あめ、ブドウ糖、味の素などを加えて3倍の量にしていた(3倍醸造法、アル添酒)→私が子どもの頃家で飲んだ酒
★しかし私の子どもの頃の記憶では今の酒より不自然な味わいではない、ふっくらとした味わいがあった
・また私の学生の頃はどうしても若者はこの3倍醸造法による日本酒よりビールの方がよい、日本酒は飲めないと言う人が多かった。また飲み過ぎれば確かにその不快さは日本酒の方が強かった。しかしそれでも私が今の日本酒を口に含んだ時に感じる陰鬱な感覚と頭の先の不快な痛みはなかった。ずっとこれが疑問だった
◎そして発酵過程の統御化
★そしてその彼らが考える繊細な味わいをさらに強化するために米を深く研ぐだけでなく、空気の流入、温度などを統御したタンクの中で、選んだ酵母のみを加え、自然にある酵母の協同作業を排除するようになった→酵母の数が2~3種類になれば酵母の食物連鎖も単純になり、その分泌物も、幅・量ともに抑えられて味わいは平坦になる
・微細なフィルターにかけ、酒に含まれる成分がさらに限られたものより希薄な味わいを目指すようになった。
★このような流れの中で、米の味わいはさらに薄くなり、菌の味わいが相対的に強調されてきた。
・この飛び出た菌そのものの味わいとその生成物が私の感覚を陰鬱にし、そして頭の先を締め付ける痛さを引き起こすのではないかと次第に考えるようになった。
◎NHK「プロフェッショナル」の中で、「じょうきげん」をつくる杜氏、濃口氏はそのDVDの中で次のように歪んだ清酒観を述べている。
ナレーターは無理な流れの中で米の旨味を最大限に生かした酒造りを濃口氏は目指しているとなんとか無理矢理に観る者に思いこませようとしているが、本人は「私は飲む人に菌の味を味わってほしい」と自信を持って話している。
「米と菌との共同作業で膨らみのある豊かな味わいと言うなら分かる。しかし、今の杜氏が考えることはできるだけ米の味わいは弱めて菌の味わいを柱として考えているのである。これは日本酒というより、食べ物に対する、極めて日本的な偏った考え方である。そして日本を覆う食の現状と全く軌道を同じにする考え方です。
◎まさしく杜氏は本来の酒の味わいを忘れてしまったのである
◎以前は「じょうきげん」は全く希薄な味わいの日本酒の中では少しは味わいがしっかりしていると思い、好んで選んだ時もあった。しかし正統な、フランスと同じ良好なワインを飲んで氏の酒を飲むと、ただただべっとりと甘い、間の抜けた芯のない味わいとしかもう感じられない。また氏の流れをくんだ杜氏の方々の酒も同じである。
★酒の原料となる米を中心まで研いで行けば、米に含まれる栄養成分は著しく狭められていく。これに家付き酵母を使わないで、流行の匂いをもった2~3種の酵母を加えるだけで味わいの幅は本質的に狭くなります。親指と人差し指のわずか2~3mmの味わいの領域に、似たり寄ったりの味わいの酒が数多くひしめく。口の中で30秒もごろごろとやらなければ識別できないような味わいの違いは、それぞれの酒の個性ではない。抑揚のない精神の荒廃を見る思いです。
★また、繊細な上品な味わいのために、食の素材から成分を取り除くという、形式的な旨さはそれを食べる人の心と身体にじわりじわりとダメージを与え続ける。米の栄養成分は著しく取り除かれているので、むき出しのアルコールが細胞を傷つけやすい。
〔何故、私たちはこんな味わいの日本酒をおいしいものと感じるようになったのか〕
◎資本の論理、つまりより多くの利益、金が動くように考えられた
○酒の個性を可能な限り取り除き、つまり「癖」をなくし、一人でも多く、広範な人が飲めるようにする
○味わいを水に近づけることによって多少飲んでも満足できない。少しでも多く飲ませる液体を作ろうとした
※これらは日本のビール、焼酎にも全てあてはまる
本当においしいものは1~2杯少量で五感は満足する。旨いから何杯も飲めるのではない。
メーカーが時間をかけて仕組んできたトリック。ビールから時間をかけて味わいを抜いてきた。アサヒスーパードライ。コップの底に少し残った温まったビール飲んだことがありますか?まるで味の素の入ったうすら甘い、気持ちの悪い液体としか言いようがありません。とてもではないが冷やして冷たさで気持ち悪さを隠さないと飲めません。
ギンギンに冷やす。口に含む。冷たくてつらくてあわてて飲み干す。→ビールの味わい何も残らない。※ギンギンの冷たさは実は苦痛な感覚でしかありません。
→ビールの幻影を求めて何杯もあおる。
○「喉ごし生」喉ごしは味わいのすべてではない。ビールを飲んだ感覚、満足感が残らないように、あわてて飲めという押しつけ。
◎日本人の国民性
日本人は一度一つの方向に走り出すと、決して視線を自己以外の周囲に目を向けることなく、やみくもに進み続ける、今していることが正しいのか、周囲の目はどんな表情をしているのかを見つめて考えることができず、つまり自己を客観的に見ることができず、自分が定めた方向に突っ走る。これは日本人に特徴的な稚拙な国民性である。
・既に著しく平坦、狭隘になった味わいをさらに執拗につきつめていく。
◎この傾向は今、ほとんどの食の領域に顕著である。
〔本来のワインの味わい〕
・ワインはブドウの皮もすべてが発酵樽の中に入れられる。つまり、ブドウの全成分で豊かな複雑なアルコール発酵が行われる
・酵母菌はぶどうの皮についている自然の多数の菌が発酵に加わるのでそれだけで豊かで複雑な発酵が行われる。(皮に自然についている酵母などが農薬などのために以前ほどしっかりした力を持っていないので、自然の酵母菌と共に人工的に強化されたものが加えられることもある。)
・アルコール発酵終了後、取り除かれるものは原則として皮と種のみであり、超微細なフィルターによってワインの味わいを薄くすることはない。
日本酒では愚かにも超繊細なフィルタにより多くの味わい、旨みの成分をこしとり、水に近い透明感のあるつっかからない繊細な味わいを作り出そうとしている
・発酵終了したワインを木樽に詰め、2年ほどカーヴに寝かせる。樽の木から様々な成分がワインに溶けだし、味わいを深める。カーヴ内に生息する微生物も加わり、協同作業によって更に深い味わいがつくられる。そして瓶詰めされ、さらに数年カーヴの中で熟成させる。ビンの中には未だ微生物が生きており、ゆっくりと成分変化が行われ、色、香り、味わいに豊かな深みが出てくる。
◎元々栄養素の豊かなぶどうが、多くの微生物によって栄養成分と旨味の幅を広げるので、アルコールだけでなく深く豊かなおいしさと共に、身体の細胞が必要としている豊かな成分を含み、さらに免疫能力を持つファイトケミカルであるポリフェノールも含まれ、ほどほどに飲めば、健康は増進するのは明らかである。
〔日本酒の繊細さとワインの繊細さ〕
・日本酒では繊細な味わいを作ろうとします。しかしこれは米を研ぎまくってでんぷんの純度を増やして、他の成分を極力取り除きます。そして今は酒蔵に生息していた自然の多数の酵母は使わず、選んだごく少数の菌を他の微生物が侵入しない統御された中で低温で発酵させ続けます。こうすることによってできるだけ発酵を単純化、味も香りも押さえられた、少しのつっかかりもない、より水に近い味わいを作ろうとします。つまり旨味のもととなる香りや味わいを可能な限り平坦にしようとします。
彼ら日本人の杜氏は、豊かさもゆらめきもないつんと短い香りと、あるかないかの淋しい味わいを稚拙な思い込みで作り上げます。悲しくも彼らはこれを繊細さの極みの味わいと思いこんでいるのです。
・ワインは既に述べたように幾重にも香り、味わい、さらに舌触りが重なり合い、一つのこだまする複合的な味わいを作り出します。
トラックや船で一か月ほど揺られ、日本に着いたばかりのワインはフランスのカーヴ内で熟成させることによって出来た複雑極まりない成分のエマルジョン(混ざり具合)が完全に壊れ、味わいはバラバラで元の味わいとは異なるものに変わっています。
これを静かに寝かせることによって、3ヵ月、6ヵ月、時間とともに元のエマルジョンに復元されていき、たゆたう力強く、しかも優雅な香り、味わいが戻ってきます。無限ともいえる豊かな成分がそれぞれのいる場所を知り、束ねられ、厚みのある全体の味わいが生まれます。人間の感覚にはっきりと映る味わいを、感覚には直接映らない味わいが力強く支え、時には豪胆、時にはさまざまの幅広い成分の緻密なバランスの上にたった、この上ない繊細な味わいを作り上げます。このようにさまざまの幅広い成分が緻密な調和のもとに重なり合った繊細さは、際立った心を揺らす印象を持って五感に迫ります。これが良い状態の、良いワインの繊細さなのです。
何もない水のような繊細さはいくら飲んでも五感に語りかける繊細さは得られません。酔いがなければ全くむなしい、飲むに値しない物なのです。
★このようにワインと日本酒の繊細さは全く異質のもの同士なのです。
〔しかし日本ではこんな良好な状態のワインを飲むことはできない〕
〔本来のワインは日本で腐敗する〕
・今から10年ほど前まではフランスで作られたワインが何も手を加えられずにそのまま日本に輸入されていました。
・ワインを貯蔵、熟成させる木樽はその内側を硫黄で薫蒸し、樽を殺菌していました。そして樽の内側についた二酸化硫黄はワインが詰められるとこれに溶けだし、亜硫酸塩となります。この微量の亜硫酸塩は望ましい発酵に必要な酵母菌などには害を与えず、腐敗のもととなる雑菌だけを殺します。また同時にワインの酸化を防ぐ抗酸化剤としての役目もはたします。
・これによってワインは長期保存が可能となり、ワインの大量生産、工業化が可能になったと言われています。
・しかしフランスのような湿度の低い大陸性気候と、高温多湿の日本とでは生息する微生物が違います。高温多湿の日本にはワインを腐らせてしまう腐敗菌が数多くいると思われます。
・ワインが日本に着くと、すぐさまこの腐敗菌はコルクとビンの間から中に侵入し、ワインは腐り始めます。私の経験では早ければ半月ほどで、舌に腐敗を示す甘味やくすんだ味わいが出てきます。
早いものは三ヵ月で本来の味わいとは異なるものに大きく変質してしまいます。
◎様々な場所を探し、これにワインを保管しましたが、どこであっても必ずワインは変質しました。一般のワイン倉庫、電車の中の宣伝で自らワインの達人うたっているテラダ倉庫でも腐っていきました。
栃木県宇都宮市にある大谷石の廃坑内に保存したこともあります。ここは大谷石から昇華する化学成分が空気を殺菌し、ワインは腐りません。一年はとてもおいしくビックリしました。しかしこの成分が瓶内にある程度蓄積されると共通するにおいが感じられるようになり、少しずつ本来の味とは異なってきました。
★フランスと日本の空気中に生息する微生物の違いを端的に示すものは、フランスと日本の酒を仕込む時期の違いです。フランスではフルーツブランディなどはその果物の採り入れの時期に行われます。さくらんぼのブランディーであればかなり暑くなる6月です。ワインの収穫時とその発酵は秋で、それほど寒くはありません。湿度の低い大陸性気候では空気中に腐敗菌は少なく、仕込んだ酒が簡単に腐ることはありません。しかし高温多湿で腐敗菌の多い日本では腐敗菌の活動の低下する寒い時期に行います。寒仕込みはまさに腐敗菌の影響を受けにくい時期に作るということです。しかし今は統御したタンクの中で腐敗菌の心配はいらないですから一年中酒は腐る心配なく作れます。また出来上がった新酒は腐敗菌を殺すために「火入れ」によって60~65℃まで温めます。この温度であれば腐敗菌はある程度殺すが酵母菌などは生きており、うま味成分も著しくは変質しないと言われます。生貯蔵酒などは火入れは1回ですが、冷やすことなく店の棚におけるように一般酒では2度火入れしています。
しかし実際は火入れすれば味わいは壊れ、ふっくらとした豊かな膨らみは失われます。腐敗菌の少ないフランスでは微量の亜硫酸塩でもワインは変質しません。
◎今でも多くのソムリエや愛好家はこの日本での腐敗菌によるワインの変質を理解できず、ただ13度ほどに温度を一定に保つリファーコンテナで輸入し、日本に着いてからもその温度帯に保管しておけば大丈夫と考えられていますが、これは完全な間違いです。
〔かつてはこの腐ったワインを良い状態に熟成していると考え、飲んでいた〕
驚くべきことなのですが、日本のソムリエの多くや愛好家はこの変質してしまったワインを良い状態に変化したワインと捉えていたのです。
ワインは腐敗すると色合い、香り、味わいが濁り始め、次第にそれははっきりと醤油色に変色していきます。香り、味わいもワインに醤油を混ぜたような不快極まりない香り、味わいに変化してきます。これをワインアカデミーなどでも素晴らしい熟成の結果としてのレンガ色、あるいは群青色としてたたえていたのです。
私にはこんな気持ちの悪いワインは飲めません。勿論、翌日には不快極まりない状態に陥ってしまいます。
★以前は私は酒屋さんやセブンイレブンで1000円ちょっとでるくらいの、出来るだけ日本に着いてあまり日の経っていない、比較的安いワインを探して飲んでいました。これくらいの値のワインは回転が良いので総じて腐敗の程度が少し低かったからです。でも運よく少しましだと思うものにあたっても、半月も経てば味わいはもっとひどく腐っている場合が殆どです。もう飲めません。
〔この日本ではワインが腐るという事実の認識が進むと共に費用のかさむリファーコンテナ等を使わず、またいちいち冷蔵庫に保管する必要のない、扱い方もより簡単でより安いワインを輸入するために、次第に高濃度の亜硫酸化合物が加えられるようになった〕
次に示す数字は日本では何もワインだけと限らず他の食べ物や飲み物でも行政はそれを消費する人の健康には無関心で、危険な添加物の量までが企業の意向に沿っていともたやすく決められていく典型的な例です。
亜硫酸塩の規制値とキャピタン社の検出値(1ℓ中) 1973(昭和48年)に制定
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キ
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キャピタン・ガニュロ
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EU基準
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厚生省(日本)基準
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赤ワイン
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33mg
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160mg
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350mg
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白ワイン
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77mg
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210mg
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350mg
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・日本はEUの倍量が認可されているのです。
※コンビニの室温の棚や酒店やワインショップの店先にも温度はもちろん紫外線への配慮もなく無造作に置かれているワインです。これらにはおそらく上限の量かそれに近い亜硫酸化合物が添加されていると思われます。
〔亜硫酸塩と亜硫酸化合物の強烈な毒性と怪奇形性、発ガン性〕
おそらく多くの方はこの亜硫酸化合物はとても毒性が強く、4段階のうち2番目に強い毒性を持ち、発ガン性や催奇形性、心臓病その他多くの疾病を引き起こすとされることなど少しも知らないでしょう。また日本での赤白ワインの1リットル中350mlという高濃度のワインをねずみに人間の体重で1本に当たる量を飲ませたら、即座にそれだけで著しい体の変調をきたしたという実験結果もあるそうです。
◎私も初めは、へぇ、かなり危ない薬物だなという程度の認識でした。ところがあっという間にとても身近に、ワインが大好きでよく飲んでいてガンを発症した人が4人、ワインを毎日飲んでいて不妊症だった人がワインを辞めたら妊娠したなどと言う話が集まってきました。女性は乳ガンが2人、男性はリンパがん、あと一人は知人の親しい人でワインを良く飲み、ガンで亡くなったということで詳しくは聞いていません。
そういえば食道がんで亡くなられた歌舞伎役者の中村勘三郎さんもワインが大好きでかなり飲んでおられたと聞きます。ワインには抗酸化作用や免疫力を高めると言われるファイトケミカルのポリフェノールが含まれていることは誰でも知っていますから、まさかワインを飲んで健康を壊し、挙句の果てにがんになるなどとは誰も思わないでしょう。
勿論、ガンは多くの原因が重なり合って発症すると言われますから、ワインをよく飲むことが原因の全てではないかもしれません。しかしこれだけ身近にあっという間に話がはいるのですから極めて大きな原因の一つであることは間違いありません。そしてワインが主な原因でガンが発症した人は正確に調べればもっと多くの人がいると思われます。
〔誰がこんな高い濃度の亜硫酸化合物の添加を可能にしたのか〕
〔ここでも資本の論理は容赦なく人の健康と命を傷つける〕
人の健康と命を著しく傷つける亜硫酸化合物、当然の権利だといわんばかりに平然と驚くべき量が加えられている。資本の前では人々の健康の尊さ、命の重さなどの価値観は何の意味もない。人の命を傷つけようと、その結果金がもうかり、資本が増殖するのであれば、それは善であり正義なのです。
〔そしてこれは巧妙なる新植民地主義である〕
これだけ高濃度の亜硫酸塩が許可されたのは日本でである。しかしこれはどのような経緯を持ってこの数値になったかは定かではありません。しかし実際に日本には今も私たち日本人の命を傷つけるものが実に巧妙にイタリア、フランスから輸入されてくる。
フランスやイタリアのイメージを鼓舞する宣伝が常に執拗に行われ、これらの国から来るものは常に全て高尚で秀逸であるというイメージを私たちに植え付けようとしている。
しかし彼らは日本人をどうせ味など分からぬ幼稚な奴らだと高をくくり、多くの不良品が送られ、私たちの健康と命など無視され、その品物の真実の値打ち以上の金が持ち去られている。実に巧妙な新植民地主義の具現であると思う。
そしてここでもこの毒入りワインをとりもち、巨額の利益を得て、日本を売る輩がいる
◎ボジョレー・ヌーボーを飲むのももうやめよう
この日本中のバカ騒ぎは、日本人の無知さと愚かさと、そして柔らかい笑顔とは裏腹に私たちを愚弄し腹の中では舌を出すフランス人のしたたかさを表すものである。
解禁日が近くなれば、電車には毎年ボジョレー・ヌーボーの帝王とやらが今年のできもすばらしいと煽る。日本人は青い目と権威には本能的に弱い。そうか、今年も飲まなくてはと、コロリとその気になる。
・数年以上も前から本来の味わいのボジョレー・ヌーボーを飲むことはできない。そのワインは本当にその年の新酒なのか。本当にボジョレー産なのか。多くの日本人には分からない。
数種類のボジョレー・ヌーボーを飲んでも全てが不快極まりない鈍重な酸味と渋みの亜硫酸塩漬けの味わいである。
しかし毎年あるところから頂く1本だけはボジョレー・ヌーボーであった。その1本は、エールフランスがフランス大使館のために輸入しているものであった。
とにかく安い得体のしれないワインをビンに詰め、ラベルだけそれらしくして日本に送られてくる、そんなワインを有難がって、愚かなバカ騒ぎをすることを少しは恥ずかしいと思おう。
・ちゃんとしたボジョレー・ヌーボーはもう中国あたりに行くのか、あるいは中国にも韓国にも日本と同じものが行っているのか、知りたいと思う。ボジョレー・ヌーボーの生産は限られている。日本にも中国にも韓国にも、その他の国に行くだけの量はないはずである。まさしくアジア人は理不尽な搾取の対象なのだろう。
〔誰もがずっと長い間疑問を持ってきた〕
どうしてフランスで飲むワインはあんなにおいしくて、日本で飲むワインはどうしようもなくまずいのだろう。何とかしてフランスでのあのおいしいワインを飲みたいと多くの人が何十年も思ってきた。
でも亜硫酸塩の少ないワインはこの日本ではどこに置こうと腐る。そして今は殆ど全て多量の亜硫酸化合物が加えられている。本来の味わいは破壊され、そしてそれを飲めば心も身体も傷つけられる。
かなり以前こんな会話をテレビで見たことがある。普通の人がソムリエの田崎氏にどうしてフレンチワインはフランスでおいしく日本でまずいのかと質問をした。田崎氏は抜けぬけと「フランスで飲めば雰囲気などでよりうまく感じる」などと言っていました。
〔そんな輸入ワインのむなしい歴史にようやく終わりがきた〕
私もずっと同じ疑問を持ち続けてきました。いつかきっとフランスでのおいしいワインをこの日本で実現するぞと思ってきました。そして20年思い続けました。そしてとうとう、誰もが考えたことのない方法を考えつきました。そして素晴らしいフレンチワインはじめ世界のワインが極めて良い状態でこの日本で飲めるようになりました。
○仕組みはとてもシンプル
酸素を透過させないフィルムで袋をつくり、これにフランスのワインカーヴの中でワインを入れ、シールをして密閉する。カーヴの空気とそのまま生息する酵母、微生物を封入し、カーヴ内と同じ条件のもとにワインを日本に運ぶ。勿論リファーコンテナで運びます。温度だけに気を付ければワインは良好な状態で届きます。日本でビンの中に腐敗菌が侵入することもありません。
フランスのカーヴ内で寝かせられていた頃の様々の成分のエマルジョン(混ざり具合)は1ヵ月の揺れでバラバラに崩れています。味わいはバラバラに崩れています。日本で再び十分寝かせることによって、次第に以前の混ざり具合となって味わいは戻ってきます。
割と値の低い味わいの軽めのものは3ヵ月ほどで、色合い、香り、味は戻り、何とかおいしく飲めるようになります。でも本来のおいしさは6ヵ月で変わり始めます。また他の高い味わいが深くて濃いものは、6ヵ月では不十分で、甘さが少し表面に出て味わいもまとまりが未だ不十分です。
10~12ヵ月くらいで筆舌に尽くしがたい、深いたゆたう味わいが戻るだろうと思っています。
よくソムリエが味わい、香りなどを「スミレの花のニオイ」「黒すぐりの香り」などと表現しますが、日本に着いてばかりのもの、腐ったもの、亜硫酸化合物の多くは言ったワインはこんな繊細な感覚を識別することはできません。実体のない形容つまり嘘です。しかしこのパック入りのワインは、6ヵ月ほど休ませればフランスと同じ繊細さを取り戻し、まさに感覚のすべてが引き込まれる微妙な香り、味わいが感じられます。信じられるほどの深いたゆたう味わいなのです。これを飲んだらもう毒入りワインは飲めません。
〔なぜ、世界のワインのコンテストが日本で開催されなければならなかったか〕
私にはずっともっていた疑問があります。
日本にもプロのソムリエ、ワインに一家言もっている愛好家が数多くおられます。しかし亜硫酸化合物が多量に加えられたワイン、昔ながらの製法の硫黄の燻蒸による微量の亜硫酸塩しか加えられていないワイン。これらのいずれもが日本に着いてからどのように変化していくかをより克明に理解しているのは私しかいません。私の確信は次の通りです。
船便であろうが航空便だろうが、この日本に着いたときは、どんな場合でもそのワインの本来の味わいは完全に壊れてまったく異なる味わいに変わってしまっています。そして私が考案した酸素無透過の袋に封入しても味わいの輪郭が現れるのには3ヵ月必要です。この袋に入っていない場合は亜硫酸塩が比較的少ない場合は徐々にワインは腐っていきます。高濃度のものはそれを加えた時に全てが亜硫酸塩によって本来の味わいとは全く別なものに変わり、これはずっとそのままです。これらのことから次のことが断言できます。
こんな状態のワインを試飲して、ワインの産地の当てっこをすること自体とてもおかしい。また当たる方がとんでもなくおかしい。産地を外す方が当たり前なのです。そんなところでなぜコンテストをするのか。当時フランスは金あまりの日本に熱烈にワインを売り込みたかった。日本でコンテストをして日本人が優勝して世界一になれば、これ以上の日本人をその気にさせるパフォーマンスは他には考えられません。
そう、まさにこれはフランスの、しゃにむに日本にワインを売り込もうという思惑のもとに仕組まれたコンテストなのです。
〔そして田崎氏は日本に多量の毒入りワインや中身とラベルの異なるワインを急増させる環境を作り上げた〕
明らかにからだにとって危険な濃度の亜硫酸化合物が多量に加えられて輸入されたボジョレー・ヌーボーでないボジョレー・ヌーボーしかない。誰がこんな状態を許したか。それは紛れもなく現在のワイン業界の中枢にあり、その絶大な力をもっている田崎氏や少数のソムリエなどである。田崎氏その他の人たちがソムリエとしての自分の仕事に対する真の情熱、正義心を持っているならば、これらは身を挺して防がなければならなかった。
しかし彼らにはそんなものはない。まして日本人でありながら日本人の健康を気遣う心など全くない。彼らは日本人をフランスなどに売り渡している。新植民地主義の日本での執行官である。
○この高濃度の上限の基準が制定されたのは1973年でありかなり前のことです。しかし10年ほど前まではビンのラベルには抗酸化剤(二酸化硫黄)と記してありました。つまりそれまでは上限の量は規定されていたがそれほど多量の亜硫酸化合物加えられていなかった。
私の認識としてはあることを契機として一気に亜硫酸化合物が加えられるようになった。それは田崎氏がプロデュースしていたセブンイレブンのワインが急にコルクからスクリューキャップに変わってからである。高濃度の亜硫酸化合物を加えることによって、より簡便な効力しかもたぬスクリューキャップの欠点を補おうと考えたのであろう。しかしそれ以来セブンイレブンのワインは異常な酸味と渋みの薬に染まった味わいとなった。
しかし本当にワインを愛する人なら、しかも日本のワイン業界の中枢にあるのなら、ずっと以前に決められたものとはいえEUの二倍という異常な上限値を下げるべく努めなければならなかったと思う。しかしながら田崎氏は高濃度の添加を促し、危険なワインがこの日本に溢れることに力を貸したのである。
皆さんにとっては、恐らく初めて耳にする内容だったでしょう。
今私が述べた反対のことが、つまり日本酒やワインの素晴らしさを称えるものが、テレビや本などのマスメディアに溢れています。
マスメディアは決して一般人の心と体の健康と幸せに配慮することはありません。これらはほとんど常に資本の代弁者であり、私たちにとっては常に敵対する存在であることを認識しなければなりません。
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