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帽子

私達イル・プルー・シュル・ラ・セーヌでは、本当に小さな喫茶室ですが、着席し、お菓子をお召し上がられる場合は、帽子などを取って頂いています。これは次のような考えによるものです。

 

日本人は、かつては礼儀正しく、正義を重んずる国民でした。しかし、今の日本人の心と身体は荒廃しています。電車で、しかも優先席で、目の前に老人や妊婦が立っていても、全く無視。席を譲ろうという素振りも気配も感じられません。全く情けない国になってしまいました。

歩いていて自分の持っているバッグが人に強く当たっても知らんふり。朝の電車の中で肉まんを食べるお嬢さん。恥も外聞もなく化粧をしている女性達。食事の時に足を組む人達。一体、かつての日本の心はどこに行ってしまったのでしょうか。

 

どんなに時代は変わっても、失っても、変わってはいけないものがあると思います。

 

昔は日本では、室内に入ればかぶり物は取る、そして座って食べる時は決してかぶり物をつけたままなどということはありませんでした。

最近は寿司屋さんや居酒屋さんでは帽子をかぶったままは当たり前。若い人だけではありません。4060代のおじさんまでが、若ぶってか、若者のすることに理解があるところを見せたいのか、堂々と帽子をかぶったままの食事です。とても嘆かわしい。ここはアメリカではありません。日本なのです。アメリカや他の国の習慣を真似をすることはありません。

日本人がずっと培ってきた「日本の形」というものがあるのです。これすら守れなくて、正義感に富んだ弱者に対して優しい、思いやりのある国民にはなれるはずがありません。私達は戦後、特にバブル経済期には、経済的価値のあるものだけが大事にすべきものであり、それ以外のものは、他人や弱い人への思いやり、優しさ、助け合う心など、日本人としての固有のものであっても全く価値を持たないものであり、守る必要のないものだと考えてきました。そして人と人のつながりや正義感、礼儀が失われてきたのです。

 

私達が本当に一生懸命に作ったお菓子が、私達の喫茶室で、帽子をかぶったままで食べられる。これほど私にとって不快なことはありません。私達のお菓子作りの考え方と、日本の心、礼儀を大切にしたいと言う考えは表裏一体なのです。私達のそんな考えを理解して頂ける方々に私達のお菓子を食べて頂ければこれほど嬉しいことはありません。また、私共の考えが理解できない方は、決して私達のお菓子の味わいを深くは理解されることはないと思います。

 

想像も出来なかった東日本大震災が日本を襲いました。この危機が、バラバラになってしまった日本人の心を一つにまとめてくれるだろうと言われています。しかし阪神淡路大震災の時も同じことが言われました。でも日本人の心は少しもまとまらず、益々バラバラになってきました。

日頃から日本のあるべきものを大事にする。自分より弱い人達には気づかう。このような心が常日頃から大事にされていなければ、今、被災者を思う心も、やがて時間と共に希薄になり、元の、人々が疎遠な社会に戻ってしまうように思えてなりません。

 

残したい、守りたい味わいは、作り手と食べ手のお客様のお互いの考え方の理解も無ければ長く保つことは出来ません。私達はそんな思いで日々お菓子を作り続けています。

 


(2013.8.19追記)

ファッションで帽子をかぶっている方は勿論とっていただくことにしておりますが、病気などご事情があって帽子をかぶられている方に関しては、帽子をとることを強制しておりませんので、どうぞご安心してお店にいらしてください。

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コメント

帽子大好きさん
コメント、弓田にも伝えました。
ただ、弓田自身は、自分の考えは変わらないと申しておりました。
是非一度、お店にも食べに来て下さいませ。
(管理人より)

拝読しました。まだケーキ、頂いたことがありませんが、本などで弓田さんのことは存じておりまして、学ぶところ多く、関心がありました。
今度息子の誕生日にケーキを注文させて頂こうかと思っており、家族皆でワクワクしているところです。
何事にもしっかりとしたお考えがおありの方とお見受けしておりましたが、帽子についてはお説、不思議に思いました。
帽子はそもそも西洋の文化です。
私は帽子が大好きで外出時はよく被りますが、外食のときには、日本人の性癖か?つい脱いでしまうのが、逆に悩みの種でした。
食事時だからといって座敷でもないのに靴を脱ぐのはおかしい。同様に帽子を取るのもおかしいです。(これも座敷なら別ですが。)
日本人はまだ帽子に馴染んでいないからかもしれませんが、帽子とはある意味強烈な自己主張だと感じています。
帽子の種類にもよりますが、インパクトのある帽子の場合、ちょっとしたおしゃれというよりもファッションでもって主張をしようとしている、そんな気構えが必要になるように思います。
食事時に帽子をつい取ってしまうぐらい半端な気持ちなら、そもそも帽子など被らなければよいのです。
ファッション=自己主張と自覚しているはずの帽子族なら、外食時も変に気弱にならず、堂々と帽子を被っていてこそというもの。
帽子を被ってはじめて装いは完成しますし、そうなるように計算して服も靴もバッグもアクセサリーも選ぶのですから。
そうでなければ帽子に失礼、また帽子を作ったデザイナーにも失礼というものです。
私はそう思います。
日本人だからといって、ケーキを箸で食べたりはしません。
日本でケーキを食べるときでも西洋式が正解でしょう。
同様に帽子を被るときも西洋式でなければおかしい。ファッションにおける帽子の位置を考えれば、そうなるでしょう。
それが私の考えです。
また、昔の日本人は礼儀正しかったと仰っていますが、そうですか?
電車の中で酔って杖を振り回し、誰かれなくこずいていた男性、ラッシュ時に周りの人間を「どけどけどけ!」と両手で叩きながらドアに向かって突進していった男性、隣席の小柄なおばあさんを押しつぶすようにその肩で圧し、大股を広げて堂々と1.5人前の座席を占領していた男性、皆70代以上と思しき年配者でした。
そんな方はいくらもおられます。
また同様に礼儀正しく心優しい若者もいくらでもおります。
そのことと今回の帽子のテーマは特に相関関係はないと思われます。
私もこれからもっと歳を重ね、外食時も堂々と帽子を被り、それで自然体だという人間になりたいです。
しかし、弓田さんのお店でお茶させて頂くときには、喜んで帽子を取らせて頂きます。
ご不快なことをわざわざする必要はありません。
皆が気持ちよい状態でケーキは頂きたいものですね。
(尚、お鮨屋さんへ行くときには始めから帽子は被りません。鮨(=日本的なもの)にあまりにちぐはぐだからです。)

女性も室内で脱帽するのかな?英国王室とか天皇家はよくかぶってるけど・・・まあなんにせよ我々男は脱帽が基本ですな!ただ今の男はあんまり髪型をピシっとかためるのはダサいみたいな感じなので、帽子を外すと変にペチャンコになっててかっこわるいということで脱ぎたくないんでしょう。ファッションが変わってきてるので仕方がない面があるんでしょうね。昔はシャツは下着という扱いなのでウエストコートを着ないと歩いたら駄目っていうマナーだったけど、今は誰もそんなこと言わないし、帽子もドレスコードがない場所では脱がないのが普通になっていくんでしょうな。

コメントありがとうございます。
イルプルーのファンであるとのこと、嬉しく思います。これからも忌憚のないご意見、お聞かせ下さい。

弓田先生へ

私も以前、この文章が大変不快に思えたので、批判的なことを投稿してしまった経験があり、でも本当はイルプルーのファンでもありますので後悔しておりました。
イル・プルーを愛していることを書かずに、文句だけ書いてしまって申し訳ございませんでした。
何だかんだ言っても好きなお店なので、これからも利用させていただきます。
でも、一言、世の中そんな捨てたものじゃないですよ、先生。
若い素晴らしい方たちがいっぱいいます。
それと同時に年配者の方で礼儀やマナーをわきまえていても、意地悪だったり、人を見下したりする人もいっぱいいます。生意気申し上げてすみません。

雅子さん
お返事遅くなりました。ご指摘、真摯に受け止めます。ありがとうございました。

はじめまして。いつもケーキをおいしく頂いております。今日は久しぶりに喫茶室で頂いたのですが。。サーブして下さった男性スタッフのシェフコートがあり得ないほど汚れていて驚きました。ケーキの美しさよりも目を奪われるほど、全体的に汚れだらけです。非常に不快でした。外に出て接客されるのなら、清潔感は最低限のマナーだと思います。これでお客さまの服装についてあれこれ仰るのはいかがなものかと思います。また、病気やけがなど、何らかの事情があって帽子をかぶってらっしゃる方もいるのではないでしょうか。お店側が緊張感を持ち、心からのホスピタリティをもっていらしたら、わざわざ立て看板を出さずとも、お客さまのマナーは自然とよくなると思います。生意気を申し上げてすみません。ファンであるばかりに残念でしたので書かせて頂きました。

まりなさん
コメント拝見しました。

よく文章を読んで頂ければご理解いただけると思いますが、女性だけを批判したつもりはありません。
本文でも述べていますが、年配の男性でも室内で帽子を被ったままの方などを見ることがあります。そんな時、日本人として嘆かわしく思います。

今回、震災で日本人の礼儀正しさに世界が驚きました。でもそれは本当にそうでしょうか。今は「絆が大切」と言っていても、また少し経ったら震災に遭われた方々のことも、忘れてしまうのではないか。そんな危惧を私は抱いています。

「帽子」は、そういういろんな“日本人”が忘れ去ってしまった事柄の一つとして象徴的なものではないかという意味で書いたものです。決して女性を批判するために書いたものではないことを、改めて付記します。

どうして女性ばかりを批判なさるのでしょう?
この間バスの中で,奥さんに対してどなり散らすおじいさんを見ました。「なんでそんなこともわからんのか!」と。気分が悪かったです。
私が地方に住んでいるからかもしれませんが,
世間の人が言うほど,現代の女性たちは浅はかでないと思うのです。
3歩下がって,というようなことまでお望みなら
それはあなたの方がずっと浅はかです。

あなたの食に対する考え方はとても好きです,だからこそ思ったことは正直に話したいのです。

先生、こんにちわ、イルプルのツイッターからこちらに来ました。

実は先生の喫茶室にはよくお伺いします。

そして「帽子の・・ご遠慮ください」を見ておりました。

そのときに私が考えたことをお話します。

○ 先生はすごく礼儀に厳しい方だからこういうことにこだわるのだろう。

○ お客さまがどんな顔をしながら召し上がっているか作り手がみたいからかなあ?あの向かいのお教室から見てるのかもしれない。

やはり正解あったと思いました。
そしていつか質問してみたいと思っていました。

私の小さいころはまだこんな風習はあって、自分はそういうことをまだ知っているほうですが、本当に日本人が大事にしてきたことを面倒臭いとか時代が違うとかで片付けられてしまうのは違うような気がします。

日本は大変な災害に逢いました、日本人にいろんなことを気づかせてくれたことが多いといわれていますが、まだまだ気づいてない方も多いというお話も聞きました。

こんなに大変なことが起きても気づかない人がいっぱいいるのは悲しいですが、私は日本人としての礼儀とか風習とかを大切にする人でありたいです。

そんなお考えを持っている先生にお菓子を習えたことが私には誇りで仕方ありません。

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