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2010年7月

7月14日(水)早稲田大学での講義レポート

今年で3回目となる、 早稲田大学での講義。 「真実のおいしさと偽りのおいしさについて」 学生さん達に向けてお話をしてきました。 以下、当日のレジュメを公開します。

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偽りのおいしさに埋もれた日本 (真のおいしさと偽りのおいしさ)

今、日本には、私の子供の頃はかつてなかった様々の精神的、肉体的疾病が、未曾有の重篤さをもってますます重く、広く、のしかかろうとしている。国民一人一人の肉体的精神的不調は、国力をも既に衰退させ始めている。
(更なる少子化の流れの中で正常に子供産める男女は、私の感覚では半分ほどであり、これは経済的規模の著しい縮小)
(非生産的医療費の膨張)
(精神的風土の荒廃)
(創造力、情報産業や日本がお家芸とする精巧な手仕事も体と心のエネルギー必要)

私達の心と身体を蝕んできたものは、紛れもなく私達自身が世界で最も安全な状態にあると稚拙に思い込んでいるただれた「食」である。 この国では「食」の大事さを、そしてその「真実の現状」を、誰も見つめようとはしない。 そして、かつては存在し、健康な体を育んでくれた、日本人にとっての「真のおいしさ」を誰もが忘れてしまった。 食は一人一人を作り上げ、そして国力を作り上げるもっとも基本的で大事なものであるはずなのに私の目には、この国にはほぼ「偽りのおいしさ」しか存在せず、「偽りのおいしさ」を誰もが真実のおいしさと考えている。 〔食べることの意味〕 ありあまるほどの食が溢れながら、私たちは完全に食べることの意味を忘れてしまった。食は私たちの体と心を健康に保ち、人と人とを結びつけるもっとも基本的な言語であり、人間の根幹を作るということを未だに認識できていない。

○おいしさとは何なのか
・人間の身体は60兆の細胞からなる ・これを形作るのは、20種のアミノ酸のさまざまな組み合わせにより、10万種のたんぱく質が作られ、これが細胞・組織・器官を作り、糖質・脂質はエネルギー源となり、細胞の一つ一つを動かし、ビタミン、ミネラルなどの微量栄養素は細胞間の相互作用を調整する。
・生物、人間は食べ物から幅の広い豊かな栄養素を取り、これを駆使することによって、緻密で精巧な仕組みを作ってきた。
・悠久の時間の中で経験してきた膨大な食の情報は今でも私達のDNAには積み重ねられている。

◎DNAと言えば、何か雲をつかむようなあいまいさを感じることと思いますが、次の例は、私達がいかにDNAの支配を受けているかということを認識させずにはおれません。おいしさとは、今食べているものから発する情報が、これまでの経験で得た食に対する良い情報に、多く合致した場合に感じる、安堵の感覚である。 ・悪い情報に多く合致し食べるべきではないものには「まずさ」を感じる

◎産まれたばかりの赤ちゃんは、DNAに従って行動する。偽りのおいしさには動じない。体によい必要なものを必要な量しか食べない。初めての離乳食でもすぐには口に入れず、じっとにおいをかぎ食べてよいかどうか判断し、よさそうだという場合に慎重に少しずつ確かめながら口に入れる)(おいしいおっぱいを飲んでいる子は人口ミルクは飲まない)

・しかし人間社会で長く生きるにつれて、社会が個々のDNAにとってかわり、判断を与え、DNAに基づく本能の力は衰えていく。
・社会の運営のために、生命のDNAを社会の運動法則とが融合して、それぞれを尊重し合い、健全な判断決定がなされていく。
・それはかつては家族であり、地域であった。これによって、それぞれのアイデンティティが育まれる。

◎しかし、現在は大きな部分でマスコミや資本の論理などさまざまの力が生命のDNAを我が物顔に従え、偽りの美味しさをおしつけ、そして、私達の精神的、肉体的健康は蝕まれていく。

〔この国は至るところに偽りのおいしさが満ち溢れている〕

◎柔らかさはおいしさの基本 お菓子やパンには、あまりにも幅の広い、様々の味わい、香り、歯ざわりがある。

△日本人が好きと錯覚しているふわふわの柔らかさだけのスポンジケーキや、サンドイッチのふにゃふにゃパン。また、肉は柔らかくなければならないという思い込みも日本だけの常識である。肉は歯ごたえもあり、味わいが豊かな方がずっとおいしい。私には正に人間性喪失の、人間の食べるべきではないものに思える。これだけ柔らかさを盲目的に追い求めるのは日本人だけであり、殆どの国の人々にとって、これらは不愉快極まりない味わいである。

○目指すものは、それぞれの素材の特性を取り除いた、平坦な味わいである。 特性ある物を取り除き、一人でも多くの人が食べ、飲める物を作ろうとすることによる単純化である。最大限の利益を得るための単純化。アサヒスーパードライ、日本酒、焼酎など。噛み切れないほどのコシの強いそばは逆の単純化。 今、改めて特に注意しなければならないのは、アサヒスーパードライである。バブル経済前夜、全ての特性、特記するものを取り払い、一人でも多くの人を経済的ファクターとして取り込もうとしていた、より大きな経済ファクターを求めた時代の要請。これを境に食の単純化は一気に進む。 この国に、これを機に、実態のあるおいしさは全ての分野から一気に失われてきた。

→おいしいから何倍も飲める(破滅の淵の~)の嘘 ここではビールメーカーが長い年月の中で意識をもって進めてきたものである。本当においしいものは、350mlのグラス2杯も飲めば十分に満足し、それ以上は欲しいとは思わない。何杯も飲めるのは、何杯飲んでも満足感が得られない。これはメーカーが作り上げたトリックである。ビールが旨ければ慌てて飲むことはない。自然にゆっくりと、舌先に味わいを楽しみながら飲んでいる。喉越しの良さ、キレはメーカーが仕組んだ、早く喉を通して一杯でも多く流し込みなよと言う嘘である。

△日本酒 国税の徴収を徹底的に確実にするため、酒の工程、味わい基準を国が作り、その範囲内の味以外を日本酒と認めないことによって、可能な限り、国の統制下において税収を担保しようとした。

・ワインとはまったく異なる非自然的、人工的製法。米を研いでも酒の味は変わらない。NHKプロフェッショナルでのうそつき杜氏の弁。米を90%研いで、10%の芯を作ると極めて透明感のある酒が出来る。彼らのいう透明感とは、味も香りもない、水と大して変わらない味わいをさす。物事の真実を向かう判断する力を持たず、アンポンタンの杜氏のたわごとを真に受けるNHKのアンポンタンさ加減には、同じ日本人として恥ずかしさを隠す、ただ苦笑いするしかありません。
・最後にろ過すれば味は製法に関らずどれも希薄

△焼酎すべて(久球焼酎、さつま白波) 香り、味が無く、これを繊細な味わいとしている。

△輸入されるウイスキー、コニャックなど 本来原産地のウイスキー、コニャックなどは、香り味わいともに太い力のある味わいであるが、日本人は力のある味わいにはしり込みをするという習性を利用し、生産費を低く抑えた手抜きの味わいを作り上げて送ってくる。

○今あるおいしさをあらわす表現 
柔らかい、とろけるような、みずみずしい                 
キレがある クリアな味、のどごし(メーカーの作った嘘)                 

極めて異常な共通の感覚 →極めて異常な共通の感覚 口に感じないほうがおいしい つまり、旨さと栄養素が無いに等しいほど、味、香りが単調で単一なほどおいしいという日本人のみが陥った異常な味わいの習慣。

○真の意味のバランスの上の繊細さ 繊細な味わいは確かにある。しかし今まで述べたような味わいには少しの繊細さもない。何もないことを繊細さとは本当の繊細な味わいとは、様々の要素が幾重にも重なり、そのバランスの上に立つ先生菜味わいはある。しかし、これはこの日本ではほぼ皆無であり、それが具現するのはイルプルーのお菓子など、極めて限られたものだけである。

○霜降り牛肉
戦後、農地解放によって、小作人だった農民たち、1haずつの細切れの農地が安く払い下げられた。この耕地面積の小ささからくる宿命的な生産性の低さを克服しようとして、単位面積当たりの収益を最大限にしようとする中で産まれた超集約的な考え方である。何の意味もないような屁理屈としかいいようのない工程を重ね、価値を積み重ねていく。これによって、100g1000円以上という、高値が安定化されてくる。

・もちろん、おいしくなく、栄養素の幅は狭く、量も少ない偏った栄養素しか持たぬ過度の脂肪は身体を傷める。ジューシーでとけるような、噛めば味の素のような気持ち悪い味の素を溶かしこんだような不自然な甘さの肉汁がジュッと出て、後に残るのはザラザラの繊維。これはおいしさではない。
・国の農村の生産性向上という思惑によって、これは農協などが中心となって、推し進められた。 牛にビールを飲ませても、マッサージしてやっても肉は少しも旨くならない。

△ 同じ理由によるもの 

○マスクメロン→一鉢に一つの果実という不自然な栽培

○蜜入りリンゴ→蜜の部分早く腐る、りんごの糖尿病

○さくらんぼ→味わいは薄く、きれいに見えるだけ。他の国のサクランボから比べれば、まったく味わいが希薄で、旨さも季節の息吹を感じられない。

◎ 無洗米も煮たようなおろかな、ただ金を騙し取るだけの屁理屈 米は研がないほうが旨い。どうして米を洗うか洗わないかで新たな貨幣価値が生まれなければならないのか。

○権威、形式が席巻する会席料理 ・現在の懐石料理にも表される日本料理は本来の料理の目的、つまり心と身体の健康と幸せのために食べるということから完全にかい離してしまった。

・本来の料理にとっては、まったく必要のない工程を積み上げ、食材から栄養素・旨味を取り除き、虚像の味わいの空間を作り上げた。
・つまり視覚的にどう見えるのかが一番の関心事で、見た目だけの季節感を作ろうとする。フランスには、味わいの中に季節感がある。
・懐石料理は茶事の威厳を高めるためにあり、それを超えて印象的な味わいで会ってはならないと言う宿命的な性質。
・武家の本膳料理もそれを供する幕府や大名の威厳を高めるために、工程や作法をより複雑に、よりもったいつけて形式化されてきた。
・おいしさが作法を負わさないように、薄い、日常の料理とは異なる特別の味わいを作り上げた。本来のフランス的な味わいとは対極にある、バランスが取れなければさらにそこから要素を取り除くという手法である。フランス的なものは、さらなる要素を加えてバランスをとる。

○しかしフランスも現在はマスコミ力が本来の料理を変質
・その典型はミシュランの評価
・かつては全国を車で旅行する人たちのための実利性に基づいたものであり、その評価は的を得ていた。
・その評価が営業上絶大な効果をもたらし、富と社会的名声を得ると言うことが確立されると、料理人はミシュランの気を引こうとして、本来の料理の目的を忘れた、奇をてらったミシュランにすりよった味わいを作るようになった。
・またミシュランは創造性(creation)の名のもとに、自分たちにすり寄る料理人たちに高い評価を与え、自己の恣意にますます従わせてきた。

○ミシュランの評価はそれを利用する人達のための、実利のためにあるのではない。品性のないマスコミに変質したミシュランの自己膨張のために下されるのである。

・しかし最近のミシュランの評価の日本への浸透は、意味が異なる。これはフランス的な価値観の中に日本人を取り込み、従属させ、今も私達の無恥さ加減につけ込まれて際限なく日本へ手抜き商品を輸出しているが、これをさらに長期にわたり安定的に売りさばくための手段として、国家としての戦略として行っている。

○かつて日本人が国際ワインコンテストで優勝したことがあり、これがワインブームに火をつけて、一気にフランスワインの輸入が急増した。このコンテストが日本で行われ、日本人が優勝というのも出来レースくさい。

・ ワインはすぐ腐る。しかし多くのソムリエが、私がこのことを声高に叫び始めるまでは知らなかった。
・ 腐ったワインを良い状態に熟成したと喜んで、頭を痛くしてまた喜んでいた。
・ 今は防腐剤、亜硫酸塩のたっぷり入ったワインが輸入されている。すぐに頭痛するのはワインだけ(どれを飲んでも楽しく鈍重な酸味、飲めない)こんなワインは日本にはいらない。

◎ 当時のコンテスト優勝はワインを送り込むための先兵としての役割。今はフランスべったり寄りの低劣なワインの伝道師またはガードマンつまり売国奴である。

〔砂糖を料理に加えるのは日本の伝統的食文化という嘘〕
・私の子供の頃は、料理に砂糖が加えられることはなかった
・日本の素材は戦後しばらくしてから急速に味わいを失い、同時に料理からもそれが失われてきた。失われた味わいを隠すための手っ取り早い調味料として砂糖が使われてきた。
・料理研究家がテレビを通して競い合った、手をかけて素材の味わいを抜くと言う工程の当然の帰結として、失った味わいを砂糖でごまかす。
・塩が悪者とされ、代わりに砂糖が大量生産の現場で防腐剤としての役割を得る。
・著しいものは、甘さの極みのおせち料理であり、これは大量生産の大料亭、デパートのおせちのために作り上げられた、大ウソである。

◎ 甘い味付けは、おいしいものでもない。様々の病気を引き起こす、素材の表情、季節感をことごとく打ち消す、食べる人を無感動にする。食べ物が人と人を結びつける役目は果たせない。

・現在この料理法を代表するのは辰巳芳子氏である。しかし、この灰汁抜き・下茹での料理法をする家庭の人たちは、極めて高い確率で、疾病を持つ。このことは私のこれまでの経験から、確信をもったものであり、私は「失われし~」の中でマクロビオティックと共に「悪魔の料理法」として批判している。

◎ 濃い味わい、塩味はだめという間違い

〔国産のものは世界で最も安全で、最もおいしいという誤謬〕
・ 中国野菜の残留農薬、農薬入りギョーザ事件は日本人にとって不幸なことであった
・ その時の日本人の被害者としての感情を代弁しての意味ではない。国産の産物は安全で、しかもおいしい、あまりにも稚拙な思い込みをそれまで以上に固定化させ、増長させた
・ 今の日本の野菜には、公の数値でも昭和30年代からすれば1/2から1/3ほどの栄養素が失われている。栄養素の欠落したものがおいしさがない
・ ナス、水菜、ほうれん草、白菜、大根、限りなく水に近い。形だけを作り上げる農法。私が子供のころの記憶とはまったく異なる。
・ 確かにそのときは、中国のものの農薬多かったかもしれないが、これまで蒔かれてきた農薬の累積量は日本の方がずっと多く、農地は完全に傷めている。これは正に農薬メーカーと農協の金儲けのためにほとんど必要のない農薬が、あまりにも大量に蒔かれてきた。致命的なまでに栄養素が欠落してきた。そして私達日本人の細胞は劣化してきた。
・ そのため、日本の産物はどうしようもなくまずく、長期的にはより十台に危険である(栄養素の欠落、細胞劣化)
・ 以下に日本の食材料理から著しく栄養素が抜けているかを示す決定的な事例。日本で長年患っていたアトピー性皮膚炎が北京へ転居し、あちらの食をとり、一週間でアトピー治る

〔なぜ、偽りの美味しさが日本中に溢れるようになったか〕
1 自分で1人でものを考えようとしない、お上恐し、お上頼みの体制。また自己を離れて客観的に見れない性質。何も考えずに一点に突き進む国民性。
2 1を第一の素地として、古くからあるものを意味を考えようとせず、ただ脱亜入欧に走る。
3 品性なき、資本主義、金が全て、金を得るためには命でも傷つけてよい論理が国を埋め尽くす。

◎この国では身体を作る栄養素が致命的に欠落している。ほぼ偽りのおいしさしか存在せず、私達の細胞、組織、器官は不十分なタンパク質、言いかえれば必要とされる半分ほどの部品だけで、まったく不完全に形だけを作り、信じ込んでいる。身体のどの部分にどんな病気がいますぐ起こっても当然の状態の中で、私達は日本の食の優劣性を用地にも信じ込んでいる。

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