« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009年9月

第12回 今、私たちにとって大事なこと、もの。

今回から三回は日本の食べ物の作り手の中で心から尊敬する人を二人、尊敬できる人はこの二人だけなのですが、そして私が新ためて見つめ直している人について述べていきます。
 そして、この三人の方は、私達日本人が既に失ってしまい、又少しの価値も認めていないが本来は最も大事なものを守り、あるいはこれから築き上げようとしています。
 今回はまず、私の店から徒歩で15分、旧山手通りを右に行き、神泉交差点から国道246号線を左へ50mほど行った、魚料理屋の「春」の御主人について述べます。
 私は御主人を勝手に「春さん」と呼んでいます。そして心から春さんを尊敬しています。特に大事なお客様や友人はここへお連れします。
 「日本で一番おいしい魚料理を食べさせてくれる」そう広言してお誘いします。 殆ど全ての方に私の言葉の正しさを認めて頂き、皆さんそのおいしさと味わいの懐かしさに大喜びして帰られます。綺麗な立派な料亭ではありません。一人前が何万円もするいわゆる高級な所ではありません。
 春さんの話によると、40年あるいはそれ以上に経っている木造の年月の中で黒ずんだ本当に古びた昔ながらの小さな佇まいです。人によってはこれ程にひなびた所は嫌われる人もいるかなと思われるほどの所です。店内は狭く、テーブルもかなり古いものが一つあるだけで、あとは小さなカウンターです。
 私なんかのとんでもない食欲で、メチャ飲んでメチャ食べても一人前一万円越すことはありません。本当に安い。
 冷蔵の魚のケースの向こうに、春さんはいつもねじりはち巻きをして、黒いの丸顔を光らせながら仕事をしています。決して偉そうな板前様ではありません。いつもニコニコと殆ど笑顔を絶やしません。
 漁師さんが包丁を握っている、そんな風情もあります。
 昔は多分どこにでもあった、小さな小料理屋の親父さんの顔だと思います。でも、本当に昔の板前さんの雰囲気があります。
 魚のさばき、焼き、燗のつけ、仕事に少しの無駄もありません。流れるように、皿に様々の料理が盛られていきます。
使う包丁は刃渡り15cm未満のほぼ三角形のものです。多分ずーっと使い続けてきたのでしょう。始めは今の長さの倍以上はあったと思います。

 魚をさばく顔には少しの疑いも力みもありません。自分がこう作らなければならないと思うものを、そのように作り、自分がおいしいと思うものをお客に食べさせたい、ただそれだけの為に彼の人生はあるように思えます。
彼の料理はいつか述べたドゥニ・リュッフェルの料理と同じように、あるいはそれ以上に、お客の為の、お客が食べる為の料理なのです。見せる為の料理ではありません。ましてやマスコミの目など彼の眼中にも意識にもありません。多分彼は丁稚の頃に教わった料理を基礎に自分の形を作り、味わいを作り、個性を添えたものを、ずっと変わることなく作り続けてきたのです。
 何の衒いもなく、ただ静かに彼の道を歩み続けてきたのです。
 
殆どの場合、私はいつも前もって予約をしておき、その時間に店に行きます。
戸を開け、二段ばかりの階段を上がります。
 すぐに選んで切っておいてくれた刺身、2,3種盛った皿が出てきます。ある時は、まぐろのトロ、平目と様々です。そして、それが食べ終わる頃を見計らって、また刺身や焼いたものが出てきます。
 そして彼の方には格別旨い大盛りの大根の漬物、これを食べると又、あと2,3種の料理が食べられてしまいます。
 そして最後に又大盛りの大根の漬物、潮汁、そしておにぎりです。本当に身も心も喜んでいます。あーあ旨かったかなー、いっぱい食べたなと声を出して叫びたいほどの充実感が残ります。
 
 トロ、何とも言えない自然なバランスの良い味わいです。確かに脂肪の塊の部分なんだけど、感じるのがだらしない、ぬるっとした脂肪の歯ざわりだけではない、新鮮さと魚の温度もこのしっかりした歯ざわりときりっとした味を作り出しているのだと思う。いつも一定した舌に語りかける味わいだ。
 他の店での大トロ、中トロ、私はおいしいとは思わない。柔らかくなり過ぎた赤みもおいしくはない。
 
 鯛や平目の刺身も勿論、この上なくおいしい、固い歯ざわりだけでも柔らかすぎても刺身はおいしくない。
 歯に当たった瞬間にしっかりした、柔らかいが弾力のある歯ざわりがあり、柔らかめに歯を通し、すぐに、味わいが舌に溢れるくらいが私はおいしいと思う。
春さんの刺身はいつもそうだ。必ず舌を安心、納得させる味がすぐに舌の上に広がる。
鯛や平目の昆布締めも旨い。本当に旨い。
 洒落た寿司屋なんかで出る、今風の上品さの極み昆布締めではない。太い太い味わいの昆布締めだ。昆布の味わいが力任せに魚の肉に押し入り、元々の魚の味わいとは全く違った力のある味わいに変わる。身体がすぐに嬉しく反応する味わいだ。
 確かに、彼が若かった頃、教えられた味なのかもしれない。あるいは彼が作り上げた味なのかもしれない。しかし、年月を経て、しかも人間の意識、味わい、全てが希薄になってしまったこの時代に、このような力に溢れた身体に語りかける味わいを心に一点のためらいもなく作り続ける意志の強さと持続力は凄いの一言に尽きます。
鰹、私は旬に土佐で鰹を食べたことはない。タタキにしたものを送って頂いたものを食べたことはある。2日ほど経っても、充分においしかった。その他で食べるよりは確かにこれはおいしい。
 春さんの鰹の刺身は、もっともっとおいしい。こんなに鰹を感じさせ季節の香りと味わいに満ちたを感じたものが他で味わえるだろうかと思えるほどに、嬉しく心が浮き立つ旨さが口中に溢れる。時として、あんまり嬉しくて、目尻が濡れてしまうこともあるくらいだ。
 ここでは、醤油にわさび、それだけだ。鰹の味の広がりが暖かく心おきなく中に広がる。
 ところによっては、わさびは醤油に溶いてはいけない。味が混ざって魚の味が邪魔されるなどと言いますが、春さんの魚は違います。豊かな味わいの魚はしっかりした味わいの醤油にわさびを直接溶いた方が、味わいは更においしく力を持つということも春さんで知りました。
 平貝なんて、ただ焼いてその上に醤油をちょっと垂らすだけだ。でも香ばしくて、香ばしくて、平貝の飾らない丸く膨らみのある味わい香りが口中のあちこちに暖かく行き渡る。んー、ホックホクの旨さだ、嬉しさだ。
 穴子の焼いたものも優しい暖かさに満ちた素晴らしい味のバランスだ。
 あまり焼き色を付けずに焼いた穴子にほんの少しの醤油とわさびをつけて食べる。穴子の肉の味わいが素直にホックラとほぐれて醤油の香りと少しのわさびが優しく暖かく味を膨らませる。
 食物は要素と要素の相対的な関係だということを意識してか、せずにか、作り方の中にこの事が厳密に見極められている。
 春さんは穴子の味わいをこれほど、細やかに優しく仕上げる心優しい細やかさと、昆布締めが示す大胆さを持ち合わせている人だ。
 春さんにはまだまだ、まだまだ、おいしいものがある。
 それを全部一つずつ記述することもあまり意味がない。私はどうしてこれほどまでにおいしいいのですかと春さんに尋ねたことがある。彼は、「イヤー、そんなことないですよ。」と、謙遜して、次を言おうとはしない。
 何度目かの質問に、彼はやっと一言言ってくれた。「魚を選ぶ目の違いじゃないですか。」と言った。なるほど、刺身なんかは仕入れてからの保存の仕方、切り方、食べさせる温度の違いはあるにしても、魚の質が一番大事なことは私にも分かる。「それじゃ、良い魚を得る為にかなり早く市場に出かけるんですか。」と聞いた。「いや、私は結構遅いです。」と言われた。
 つまり、春さんが良い魚と考える類の魚は、誰もが欲しがるものではなく、遅く市場に行っても充分に確保できるということなのだろう。
 多くの料理人は春さんが良くないと考える魚の確保に、朝早くから血道を上げているということなのだろう。
 香りや味わいの希薄な魚を良い魚と考えているのだろう。あるいはどんな魚が香りや味わいを豊かに持っているかを識別する知識や能力がないということだろう。
 この二つの理由があると思う。
 確かに、合点がいく。以前に述べた、形式的な茶懐石料理の澄んだ薄味の料理や、希薄な味わいの日本の産物とのバランスで、より味わいの薄い魚が意識的に選ばれていくことは間違いのないところだろう。
 しかし、魚を選ぶ目だけが春さんの料理の全てではない。
 魚を生で出す、あるいは焼くなどシンプルな料理の他に、更に手をかけたものも飛び切りおいしいものばかりである。
 イカの塩辛、とにかく味わいに厚みと力と暖かみがある。味わいが舌にスーッと染み込んでいく。
 イカの内臓の持つ豊かな栄養素が確かに人間の身体が欲しがっている旨みの形に、無駄なく変えられている。食べていくと、意識が安心感に満ちていく。身体中の神経が今、舌に流れ込むイカの塩辛の旨みに耳をそばだてているようだ。
 
 今風のどこへ行っても同じ、薄ぺらな味わいの洒落たあん肝がいかにまずいかを、春さんのあん肝を食べて知った。
 以来、他で自分であん肝を選んで食べたことはない。それ以前は、あん肝は大好きで、あれば必ず食べる料理であった。
 でも、春さんのあん肝は凄い。初めて食べた時、私はその心と身体の全てに暖かく力を持って語りかけるおいしさに心打ちのめされてしまったことを覚えている。こんなにおいしいものが、こんなに凄いものが、未だこの日本にあるのか。ただ驚くばかりであった。
 今もその気持ちは変わらない。一口、口に入れる度に、思わず「んーっ」とうなるおいしさなのだ。
 決してあん肝のおいしさを個性を酸味で簡便に一括りにしてしまうことなどは彼の頭のなかにはあり得ない考えなのだろう。
 いつもあん肝がなくなると、その後には浸かっていた煮汁を有難く、ゆっくりと飲み干す嬉しさが待っている。
 そして、これも味わいは常に一定している。勿論、春さんにすればその時々で味わいが少しずつ異なることはあるのだろうか。私にはそんな違いは分からないし、とにかくいつもおいしい。
 やはり彼の頭の中には、彼が作ろうとする料理の全てのイメージがこと細かに記憶されている。
 この料理はこことここでこんな香りがして、こんな歯触りと舌触りで、味はこうで、そして、この三つのものが、それぞれのところでこう絡み合わなければならないこういう全体のイメージが、全ての料理にあると思う。
 
 晩秋から冬にかけては、あんこう鍋が極上の喜びと暖かさを与えてくれる。今年はお客様を招いてもう4回食べた。何回食べてもとびっきりうまい。俺は自分の為に、ここにお客様を連れてくるのかなと反省してしまうこともある。でも、いいではないか。食べた人全てが俺以上の驚きと満足感を得て帰るのだから。
 理屈ではないと思います。料理の本来のあるべき姿と味わいが厳としてその古びた飯台の上にあるのです。五感を期待に満ちた記憶に誘う本当の料理がそこにあるのです。その時にある平目などの魚の骨で丁寧に出しを取り、それに、春さんの目にかなったあんこうの肝を解いた出し汁が作られます。
 そして、そこにあんこうの軟骨のついた切り身が、沢山の野菜が加えられて煮上げます。
 とにかくとにかく、心と身体があったかくあったかく、暖まります。料理から立ち昇る素材の表情の豊かさに意識は霞みます。決して料理の湯気のせいでも、額ににじむ汗のせいだけではありません。
 食べることにあまり関心と意欲のない人も、缶ジュースやマクドナルドに慣れ親しんだ味覚の持ち主でも、この鍋の前では本来の食べることの喜びと、本来のあるべき味覚をすぐに取り戻してしまいます。
 口中に暖かさが、おいしさがフツフツ、トクトクと絶え間なく語りかけてきます。 本当に自分の身体は食べ物を身体の意志と食べているんだと感じます。
 皆の顔が普段は決して見せない、全ての疲れや緊張感が消え失せた、これ以上ない嬉しさに包まれます。帰りには皆さんの持ち切れないほどの満足感、ここに連れて来たことを自慢げに、誇らしげに私の顔は和みます。
 この春さんのおいしさの理由はどこにあるのでしょうか。
 私は自信を持って書くほどにしょっちゅう春さんに行っている訳ではありません。
 でも私は、それなりの確信を持って考えます。
 春さんは人間に対する真からの優しさを持った人だと思います。優しさが、その人の精神の中核にない人には人を感動させる料理やお菓子は作れないと私は思います。
 その優しさが、彼の料理を作り上げました。そして今の世にもっとも維持することが困難なこと、それは金に心を売り渡さない生き方です。確か春さんはあそこに店を開いてから、40年程になると聞きました。あのような小さな店で、彼は堂々と自分の料理をそれを食べてくれる人達の為に作り続けました。誰もの心が、意地汚く乱されたバブルの時さえ、少しでも多くの金をという喧騒の中でも、自分の領分の中で自分の料理を作り続けました。巷にマスコミが求める形だけの奇をてらったアクロバットを見るような料理に埋め尽くされた時にも彼は自分を形造った料理を作り続けました。
 たったこれだけの事なのです。彼にすればたったこれだけの事なので、別に自分のものを作り続けるために肩に力を入れて生きてきた訳でもなく、あるがままに歩んで来られたのでしょう。
 でも、昔からのものを、古くからのものを守り、そのまま作り続けることは今の時代では一番困難なことなのです。
 今、私の知る限りでは、このような料理を作り続けている人は他にはいません。本当にいないのです。
 形式のみの血の通わない料理しかどこを探しても見当たらないのです。

 以前、ある人に、ここは一生懸命いい仕事をしているという料理屋さんを教えてもらいました。恵比寿駅近くの駒沢通りにある「吉住」という店です。本来のあるべき料理として春さんの料理の次に、この店が出てきた理由は一つです。
 春さんの料理と全く反対の極にある料理なのです。
 つまり、マスコミによって育てられ、マスコミによって自分の偉さを自分に説いて信じ込み、マスコミの虎の威を借りて、張子の虎のような形式の極みとも言うべき料理を、水戸黄門の印籠のように無理やりに有難らせ、敬わせ、ひれ伏しさせ、喰わせてやっている、今の日本人の全ての悪い所を持ち合わせた、ヒトラー小児病を患った料理人と言うことになります。
 一生懸命、頑張っていい仕事をしている料理屋だと聞きました。夕方6時に店が開くということで、予約をして、6時ちょうどに店に行きました。扉を開けて中に入っても、何の言葉もありません。恐る恐る、その店の御主人様の正面から外れてカウンターだけの席に座りました。10分経っても何の言葉もありません。どうしたんだろう。自分から注文をしないと聞いてもらえないのかなと考え始めました。そして、本当にもっと恐る恐る、「とりあえず、造りのよい所を二つ三つ御願いできませんか。」と私の人生でもあまり例のないほどに丁重にお願い申し上げました。とたんに、「お客さん、待ちなよ。これから、何があるか見て今日はどんなもんが出るかと言ってやるからさら。」という言葉が忌々しげに発せられました。本当に小心者の私はビックリしました。思わず、「どうも慌てて申し訳ありません。」と、深く御詫びをしてしまいました。でも、私はこういう時は決して反射的に怒ることは決してありません。よく、寿司屋は敷居が高くて、気楽に入れないとこぼす人がいます。これは確かにその通りです。
 でも、こんな風な評判があっても、多くの物事の分かるお客さんに慕われた名人の寿司屋さんは何人か知っています。そして、私が名人と思う親父さん達はやっぱり昔の仕事を味をそのままに守り続けている人達です。彼等の寿司には常に豊かで鮮烈な香りがあり、とても多様性のある味わいです。
 お客が、高くとまっていやがると思う彼等のぶっきらぼうさは、自分の考える味わい仕事が最も大事であり、誰がお客なんかの好みに合わせて寿司が握れるかという心意気の表れなんです。もう、私が名人と思う親父さん達は誰もいなくなってしまいましたが、彼等の名人としての間合は、私にはとても荘重でしかも清々しい刺激的な時間でした。私はこのような人達の手になるものを食べる時には、いつも心の中で頭の垂れる思いの中にあります。

 そんな訳で、この「吉住」の主人も、もしかしたら、自分のものをしっかり持った人なのかと考え、逆に私の心はちょっと胸騒ぎしました。でもやっぱり、それは私は人が良すぎました。
 ちょこちょこと出てくる形だけの何の味わいもない料理とも言えない料理の連続に、どうしようもなく私の気はめいるばかりでした。でも、彼は完全に自分を日本料理界のイエス・キリスト的存在になりつつあると確信していました。
 しばらくして美人の奥さんらしき人が来られて、いかにも食べさせてやっているんだという、威高々のサービスがありました。私は一年のうちにそれほどないだろうと思われる絶望的な不快さに包まれました。
 途中で店に入ってきた若いカップルがカウンターの真ん中の席に座ろうとしました。途端に「おい、端の方に座れよっ」とまた忌々しげに腹立だしげに怒鳴られました。勘定が終わり、店を出る時に、奥さんとおぼしき方に、「これ料理の感想です」と言って、自分の名刺を渡しました。その上には、ちょっと前に、こう書いておきました。「御主人が威張っている割には何を食べたか分からん料理でした。」

 彼は歳は40歳前後でしょう。私よりは大分若い。食べ手を人と思わない。彼は真の料理人ではありません。マスコミが作り上げた鏡の世界で嘘を演じ、せいぜい魚を下ろすことしかできない味わいの組み立てなど正しくできない子供じみた料理しか作り得ないちっぽけなお兄ちゃんなのです。

 こういう人達は非常識的なことでも自分達は許されると思っています。
 カード使えるとありながら、支払いの時に「カードで御願いします」と言ったら、5%割増して払わされたよ。こんなことしていいの?

 私は春さんで彼の料理を口にする度に、必ずこの「吉住」でのことを思い出します。
 常々時代マスコミに媚び、へつらい、そして、マスコミの虎の威を身体中にまとい、得意げに本来の料理とはほど遠い子供じみた代物を作り、そして人々にうやうやしくあやめ、ひれ伏しながら頂くことを強いる料理がもてはやされる。自分が良しと信ずる料理を、自分の料理を食べたい人の為に、ずっと一途に、淡々と作り続けてきた人に人々の視線が届かないことに不条理と、そしてこの国の終末の近さを感じてしまいます。

 まあ、そんなことは別にして、皆様も是非一度春さんに行って見てください。
いつかはある人を「私が尊敬する、日本人として最高のフランス料理と思う。」というダイレクトメールを書いて、結局これは期待を裏切って皆さんに申し訳ないことをしてしまいましたけど。
春さんはいつもよりお客がいっぱい来ようが来まいが、あの小さな店でただ淡々とできる仕事をする、それが彼の全てですから、お客が増えて味が落ちるなんてことは、絶対ありません。
勿論、いっぱいの時は入れません。ただそれだけです。
 本当に残り少なくなった、「日本人の心と味わい」がこの店にはあります。
 電話は03-3463-6089。小さい店ですからすぐにいっぱいになります。
予約が確実です。

 

第11回 新年明けましておめでとうございます。

ちょうど一年程前、私はこの「裸の王様の戯言 生命からの搾取」でのエッセイを書き始めることを決めました。
 その前年に発行された、「狂った食の実態を暴く 破滅の淵の裸の王様」が、あまりにも自分の周囲に気を使いすぎ、焦点のボケた内容になってしまったように思えたからです。結局、私が伝えたかった事は、ほんの表面的にしか伝わらないのではないかと考えました。
 今の日本で何がおかしいのかをもっと具体的に伝えなければならない、そう感じたからです。
 しかし、それへの決断はやはり苦渋に満ちたものでした。もしかしたら、こんな事を続けていれば私は殺されるかもしれない、という強い恐怖感を感じましたし、それは今でもあります。
 かってにそんなことを想像して何を、一人で気負って格好つけているのかと皆さんは思われるかもしれません。でも、それまで誰もが口にもしなかった真実に基づく非難をこの社会に大きく根を下ろした、既存の大きな権威に投げつける時には常にとてつもない恐怖心を感じるものなのです。自分も茫漠とした、しかし意識の芯に迫る恐怖感を持ちましたし、心配した何人かの友人は、酔って電車のプラットフォームの端を歩かないようになどとあれこれ忠告をしてくれたりもしました。
 でも、私は書かなければならない、と思いました。フランス的なものを突きつめようとする過程で私にすら予告なく見え始めた、この日本の真の状況を、食べ物を作る人間の良心として伝えなければならないと考えました。
 そして、書くからには傍観者然とした冷静な記述はやめようと考えました。あらん限りの執拗な意地悪を持って、自分が異常と感じるものを伝えようと思いました。そしてそれに対する人々が抱く嫌悪感も憎悪も私のこの心で受け留めなければと考えました。そして常に、様々の事柄に対して責任が生じたとしても、それは決して、他人ではなく、私であるということはいつも明確に示さなければと考えました。

 このエッセイに出てくる実名の人々に対しては、エッセイの開始の時に述べたように、必ず書留で、この「生命からの搾取」の中に非難の文が掲載している旨を伝えました。それも前述のような考えに基いたものです。しかし、これらの通知に対しては一通の抗議もありません。
 でも、やはり連綿と続く既存の価値体系に正面切って異議を示すのはやはり恐怖心の伴うものです。どうしようか、この文はかえてしまおうかと数日迷ったことも一度だけではありませんでした。
 又、このエッセイの掲載は、始めの頃は同時に空しさを伴うものでした。果たしてどれだけの人がこれを読んでくれるのか少しも見当が付きません。そしてどのような事をこれに対し感じてくださるのか少しも実態が分かりません。そしてこのようなことをする意味があるのかさえも自分には分かりませんでした。
 始めの頃は、お菓子・料理教室の顔見知りの生徒さんからの数少ない感想がありました。そしてそれがやがて、少し広がりを持ち、私の見知らぬ人からのものとなってきました。これはとても嬉しいことでしたが、それでも今年一年で15通ほどの返信のみでした。
 その中には本当に私に感動と勇気を与えるものもありました。
 勿論、私に強く意義を主張されるものも2通ありました。初回のカノビアーノの料理の評価、論評は正しくないという抗議でした。私にとってこのような、私の考えとは異なるものにも、強い喜びを感じます。若い娘さん達であったと思いますが、改めて自分の考え方を2~3回の返信で伝えました。
 この一年間、エッセイを書きながら、今まで感じていたことを改めて注視するように努めました。そこで何よりも感じた事は、現在の日本の状況は私が「破滅の淵の裸の王様」で述べた以上に絶望的であり、これから良い状況に進むことがある可能性はどこにも見あたらないという程のものなのです。
 社会の組織の隅々までが偽りと形式に侵蝕され、そして私達日本人の精神のあらゆる部分がこの偽りと形式に同化されているということです。
 最も根本的絶望は、私達日本人の身体は、食べる事が完全な偽りと形式になった当然の帰結として私が想像した以上に、更なる拝金主義の進行を考えるなら痛み、力を失い、そして新鮮な想像力を失っているのです。
 自然からの搾取、私はこれから日本の景気が回復することを諸手を挙げて待ち望むものでもありません。でも例え、経済的な回復はあっても、私達日本人の身体はあるべき姿に回復することはないでしょうし、私達の生命からの搾取は更に程度と、速度を上げるかも知れません。
 それにしても今の経済的な停滞の深刻な隠れた一つの要因として精神と身体のエネルギー停滞と消耗があることは疑う所がないと思います。
 今の日本人には例え景気回復の予感の熱が見え始めたとしても、その熱に自分達の心を燃やす体力と精神の発揚と忍耐の為の力はどこにもないように思えます。
 身体が良い状態にあるなら、それを礎としている精神の立て直しはやがて可能になります。
 しかし、身体が絶望的であれば施す術はないのです。
 やがて、私達の国には「身体からの恐慌」が確実に訪れます。


 しかし、私にとってとても嬉しく又、勇気のわく出来事がありました。それは、もう既に多くの方が読まれていると思いますが、「日本子孫基金」編集の「食べるな、危険!」が発刊されたことです。
 この「日本子孫基金」はメーカーなどの実名入りで、添加物、残留農薬の実体の公表などを今まで勇気ある活動をずっと続けてこられました。その力強い正義感の持続性を私は心から尊敬しています。
 今までの活動と調査の結集として、今回の本が出来上がったのです。実に明快に偽りを切り裂いています。
そして、最後のあとがきで、主催者の小若順一さんは、私の食べ物に対する考え方が、この「食べるな、危険!」をまとめていく上での一つの指針となったと書いて頂きました。
本当に嬉しく、又、頭の下がる言葉でした。
 社会に対する、些細な働きかけであっても少しは形になりつつあるのかも知れないと考え始めることができました。
 そして、新たな闘志と考え方が湧いてきました。小若さん達は日本の食の素材の良いものと悪いものをはっきりと識別してくださった。この事を無駄にしてはいけないという考えでした。「破滅の淵の裸の王様」では、私が最も言いたかった事は、次の事でした。この日本の食の素材の多くは農薬や防腐剤、防虫剤などによって汚染されている。
しかし、例え、汚染されていない素材を使って料理を作ったとしても、様々の要因によりそれらの素材の中には既に私達の細胞、組織、器官を育成、維持する為の微量栄養素はあまりにも欠落していて、日本人の身体は既に破滅の兆候を見せ始めているということでした。
 しかし、この本の発刊の頃はそうは考えても、この現状に対する手立ては殆ど見つかっていない状態でした。
 しかし、「破滅の淵の裸の王様」発刊以来、私も更に様々な経験をしましたし、このエッセイの中でも、自分の考えを明確にまとめ上げることを目指してきました。  そうだ小若さんが示してくれた、農薬などの心配のない食の素材を使って、今、混沌としている食に関する知識と作り方の真偽を自分の手で識別して、微量栄養素の欠落した素材であっても、健全な身体の為に必要な充分な栄養素を補給できる、家庭料理の為の本を作ることを決意しました。
 以前、懐石料理の手法に侵されてしまった家庭料理について述べてみましたが、それを更に発展させ、何が正しいのか、正しくないのかを明確にし、新しい家庭の為の料理を築き上げようという考えです。私は菓子屋ですし、フランス料理についてはほんの少しの知識があるだけです。また、私共の教室の主任椎名は、本当においしい心と身体が喜ぶフランス料理を作ります。
 又、彼女は以前ずっと和食の勉強もしていましたが、それは私が間違いと考える人の身体を損なう手法によるものです。しかし、彼女の話の中で私も様々なことに築きましたし、私が明快に方向を指示できれば、彼女にはそれを突きつめるだけの熱意を持っています。彼女と出版部のスタッフと共に作り上げたいと思います。
 これから、毎日のようにフランス菓子教室で和食の料理の匂いが流れると思うと、何故かまた新鮮な思いがします。
 私は正式な和食といえるものは全く知りません。でも、肉じゃがとか豚汁とか誰でもが作るようなものは得意です。たまに作っても結構皆に評判がいいんですよ。 とにかく、身体と心が喜んで暖まる人と人を結びつける料理法を目指していきます。
 何とか今年9月までに作り上げたいと考えています。多分、今さら何を素人がと疎まれることは目に見えています。
 でも構いません。

この一年のエッセイを書くことで改め明らかになったことは実は私が一番の裸の王様であることです。
 実は私が一番今の日本人が持つ、あるべき姿からかけ離れた面を数多く持つ人間なのです。このことを明確に認識し始めて以来、このエッセイを続けることの恥かしさと無意味さを感じ、深い猜疑心に襲われました。
そして憐れな御詫び状と共に、このエッセイを終わりにしようかと考えもしました。でも、それはあまりにも手軽な責任の放棄であると思いました。
このような、社会に対して嫌悪を振りまくことを始めた以上、最後まで、自己の実存を賭けて自分の恥かしさを皆さんに隠さずに露にすることだと考えました。
ようやく、無力な停滞から今頭を上げようとしています。

(記 2003年1月21日)

第10回 全てが記号と化した日本人とその生活、そして人生

私は今この国が完全に埋もれ切ってしまった状況に、無力な薄ら寒い恐怖をずっと感じている。
何もかもがその内奥に固有の世界を持たない、表面に見える部分だけの形式、つまり記号なのです。あるのは、資本の論理が完遂される為にだけ必要な最低限の記号だけなのだ。
もう私達の言葉の中には、日本国民の歴史、情緒的由来はほぼ失われてしまったように思えるのです。一つの言葉の裏にあるべき、私達の祖先が長い時間の中に培い積み上げてきた、共通の精神的空間は何もない。

 それは家族の間に於いてさえも同様である。その家族しか理解し得ない、その家族を結び付けてきた言葉への思い、共通の思い出、価値観を話される言葉の中にもう見つけることはできない。
 言葉を口から発することによって、家族は増々バラバラに離れていく。
 それにしても、マスコミ、とりわけ、テレビから溢れる、時代の雰囲気をちょっとだけつついた屍のような、発される音以外に何の深みも、空間も持たぬ言葉が、社会の最小のしかも基本的な単位である家庭までを侵蝕し尽くしている。
 それらのマスコミが与えた言葉に、その家族特有の思いを吹き込むことはもうできない。
そしてその形だけの言葉に私達の考え行動は更に強く規制されていく。
 「超ヤバイ」「超ムカツク」「気持ち悪い系」「こってり系」「さっぱり系」「癒し系」「それマジ?」「私的にはー」「器逹」
 今、私達が口にする日本語の異常さを端的に表している言葉は、「わあ、カワイイー」である。「可愛い」ではない。
 一つの物事に対しての感覚、思い入れは、人それぞれによって、その人生来の感性、辿ってきた道筋によって感じることは決して同じものなどあるはずがない。それぞれの彩りが異なるはずである。
 しかし、この「カワイイー」という言葉は、人それぞれの感情の彩りの違いを表しはしない。人々が持つ感情の機微の中からこの時代の雰囲気に合うものだけを抜き取り、その他の個人を個人たらしめる感情の機微を捨て去らせる。無節操な経済を動かす為の最低限の人と人との繋がりが保てればそれで充分なのである。
 「カワイイー」という言葉を口にする度に、人は個性を失った、心を失ったでくの棒になっていく。
 人が、本当に愛くるしい、天使とも思える赤ちゃんに抱く「可愛い」という感情は、もうこの「カワイイー」の中には含まれていない。
 たとえ、「カワイイー」という感情を、愛くるしさこの上ない赤ちゃんに、娘さんが、「カワイイー」という言葉を発しようと、その言葉は、赤ちゃんが持つ本来の姿をとらえることはできない。本当の姿の上を、乾いた言葉が滑り抜けていく。
 そして、その赤ちゃんも、自分に届くことのない言葉の中で大きくなり、言葉への感性を育てることも知ることもない。
 本来のこのような「可愛い」という感情から、あまりにも広がった意味が、様々の感情から時代の最小公倍数だけを残し、その他の心の広がりを捨て去らせる。
 物を見て、ただ形が小さいとか、荒々しいものよりも、少しだけ優しそうであるという、ただそれだけで「カワイイー」は様々なものに浴びせられる。
 赤ちゃんの愛くるしい、瞳、可憐な微笑、心の底がそのままに表れた表情、その他、様々な表情の動きを見て感じる総体に、「可愛い」は使われるべきなのに、ただ赤ちゃんが大人よりも小さいその一点に、目の前にあるものが似ていれば、ちょっと形が小さければ「カワイイー」は発せられる。
 しかし、そのようなただの一点の似たようなところがなくても、「カワイイー」は使い始められている。
 私達の行動の多くが、個性を失い、今の状況に共通したものに記号としての「カワイイー」が投げかけられる。
 やがては、「カワイイー」は、まるで、肉体の動きが停止するまで増殖を止めぬ、癌細胞のように、私達日本人の存在が消滅するまで、私達の感情を記号化していくだろう。
 やがて物を食べた時や人を愛することまでも感じる心の機微さえも、「ワアー、カワイイー」という言葉で表されるようになるだろう。
 金に換算できるものだけが唯一価値を持ち得るこの日本の社会には、言葉の中に家族の繋がり、国民のアイデンティティーなどという余分なものは、何一つとして必要がなくなったのです。

 食べることとて、言葉以上に形式であり記号となってしまった。食べることのあるべき意味はもう見当たらない。身体と精神を発展維持させ、人と人を繋ぐ役割などは少しも求められてはいないし、ただ、求められているのは経済が動いていくだけの部分的なファクターなのだ。
 栄養素やミネラルなんてどうでも良い。企業や農協が、できるだけ手を抜いて作り上げた作物や製品に、お金を払う。正に、この事だけが食べ物の役割なのである。食べ物が作られ、流通し、そして、これに対して対価が支払われればもう食べ物の役割は終わりなのである。
 テレビが教える食べ物の情報、実はその内容の吟味など何の意味もない。テレビの番組が作られ金が動き、そして、それを憐れな視聴者が1人でも多く見ることによって、少しでも多くの金が動く、この事だけが必要なのである。
 幾つもの流派のある懐石料理、本来の食べ物料理は必要ない。それぞれの流派の正統性を誇示すべく、儀式化していく。茶席の僕となるべき定めも、料理を形式化し記号にする。

「ポケットモンスター」が「ポケモン」となる。
一つの言葉も、意味するものが分かる、最低の必要なものだけを残して、捨て去られる。
 それにも増して、私は、この「ポケモン」の表情に、心から湧き上る不気味さを感じる。表情を全く取り除いた、単純化された、顔と身体、可愛いと思うにはあまりにも何もない空虚なイメージに、私達は、特に日本の子供達は何を感じると言うのだろう。勿論子供達が、このキャラクターに自分達の心に通じるものを感じるからであることは間違いない。
 単純化された心を持たぬキャラクターに、子供達はやはり何もない自分達の心のうちを重ねる。もうこの国では、豊かな、深い機微を持った表情を、子供達が受け入れてそれに反応を示すことはできない。
  誰も子供達に豊かな純な子供らしい鋭敏な心などを求めはしない。又、子供らしい心が消え失せた今を気にするものもいない。子供達が感じることは、この国の経済のシステムが不健全に野放図に膨らんでいく為の、とりあえず、一つのファクターになればそれで充分なのだ。それ以上の事は何も求めてはいない。
 「ポケモン」を見て、カサカサの乾いた、空ろな喜びを感じ、テレビの視聴率を上げ、それを提供した企業が潤う。そして、ポケモンのキャラクターを買う。これ以上の事は何も求めてはいない。
 子供の、子供らしい心の動きさえも忘れられ、この金にまみれた社会に必要なところだけを寄せ集めた記号となっている。

 テレビのコマーシャルもいよいよ荒涼としたものになっている。
 息つく間もなく、押し寄せる洪水のように画面は変わる。そこそこに映る画面に何があるのかも識別できぬうちにガガーッと始まり、ガガーと終わる。目と頭から星が飛び散るような訳の分からない空しい衝撃が襲う。
 語りかけることもなく、画面の印象に見るものを引き込み同化させるのでもなく、意味不明の圧力が見るものを押し倒す。
 たとえ、そのような機微も細やかな静かに深く語りかける映像を作っても、この国ではそれを見る者の頭には、それを理解し、それに深く心を動かす心の動きは、失われて久しい。あるべき事実を、ありのままに深く、見つめ、それに心を震わす力はとうの昔に失われている。
 それを見る者の心をとらえるには、精神の膨らみなどはかえって邪魔なのだ。
 ただどぎつく、ただ息つく暇もなく、映像を送り込み、後に残る残像に、企業や、売りたいものの名前を単純に覚えさせればいい。
 日本にやっとテレビが普及し始めた頃、アメリカ人の、日本のテレビのコマーシャルの感想に、子供心にも誇りを感じたこともあったのだ。アメリカのコマーシャルでは買って欲しいものを、どぎつく、直接、見る者に押しつける。日本のコマーシャルは映像の流れに心の流れを重ね、宣伝の意図は間接的に控え目に告げる。
 傘の「アイデアル」のコマーシャルなんかは、つつましく、そして軽やかで目にすると嬉しい映像だった。
 コマーシャルでさえも、まず、それを見る者の心の機微に触れ、それを動かし嬉しさを与えて、つつましく、提供するものの意図が添えられていた。
 街には、テレビには若い歌手達の歌が流れる。充分な栄養素とミネラルもなく、大人の身体と知能になれなかった、声変わりを忘れたような子供っぽい男と女の声が流れる。
 歌詞はただ、だらだらと長く、その中に心の空間など少しも無くなった。記号と化した死んだ単語が無表情に連なる。流れるリズムに弾む感情は見当たらない。無表情なリズムが続く。これが、人の心を嬉しくする人の心に語りかける歌というものなのだろうか。作られる曲や歌詞は、逃げ場を失った精神が今正に崩れ落ちようとするその様をただ無表情に見つめる。今の閉塞した社会の雰囲気に少しも抗うことなく呑み込まれているものばかりだ。
 それでもいいのさ。テレビの視聴率が上がり、スポンサーが潤い、そしてCDが売れれば、今を逃げるだけの歌を聴く喜びでも、喜びは喜びさ。

 学校で教育をうけるとはどういうことなのだろうか。
 今の子供達も、そして私達も、私達の精神を育み、豊かにする為に必要なことを与えられてきたのだろうか。いや学校で与えられてきた知識は、少しも私達の心を豊かにし、そして自立の心を与えてはくれなかった。
 明治以降の教育は当時の為政者によって、この国に住む者を、経済の力の流れに必要な最も効率的な固定した階級社会を作ろうとしただけなのだ。
 カレルバン・ウォルフレン氏の言うように、日本で行なわれてきた教育は、私達を知と自立に全盲の国民を作る為に行なわれてきたように思える。
 与えられてきた知識は、私達の精神のエネルギーを奪い、常に心を内向きに、常に、自分を取り巻く時代の真実を見据えようとする目を奪う為のものだった。
 そのことと、他の幾つかの要因が教育を経済の法則が全ての価値に優先し、それを効率的に遂行する為の最低限の機械的知識を与える為だけのものにしてしまったように思える。それ以外の人間的な精神の空間は、ことごとく振り払うことが、私達に与えられた教育の唯一の目的だったのではないか。知識や、言葉は繋がることによって、新たな精神の広がりを得る、その広がりに入った言葉は更なる広がりを作る。これが人が教育を受けることの意味なのだ。しかし、私達の言葉は、他のものと決して繋がりを持つことはあり得ない。一つ一つが表情と広がりを失った無表情なかけらなのだ。無節操な経済のシステムを動かす小さな記号なのだ。
 受験の為の勉強、教育、正に知識のかけらを、咀嚼することなく飲み込む為の場なのだ。
 幾人かの名のある人達が「魂の教育」などと本人も分からぬ意味不明のことを声高々に叫ぶ。
 しかし、この「魂」こそは、本当は言葉と言葉の繋がりから生まれる広がりのある空間を言うはずだ。
 しかし彼らは、戦前の、いわゆるアメリカの占領軍に押し付けられたものでない、日本的魂に溢れた教育に帰るべきと説く。しかしそれだけでは駄目なのだ。例え、戦前に戻っても、この国では人の自立を妨げるシステムは、それ以前に既に強固に築かれているのだ。
 最も大事な事は、金に最も重い価値を置くシステムから教育を解き放たなければならない。
 知識に繋がりと膨らみを生む自立の為の教育なのです。
 京都の史跡を訪れる時に、外国の遺跡を訪れる度に、若き頃の不勉強を私も勿論誰もが深く悔いるではないか。あの時、ちゃんと日本史や世界史や地理をしっかりと勉強しておけば、今日の目にある様々なものがより深い印象を持って迫るであろうにと深く悔いるではないか。
 もしもあの時、中学や高校で、日本を世界を駆け巡り、人間の素晴らしさ、歴史の素晴らしさ、面白さを、身をもって体験した先生があり、「確かに受験勉強も大事だが、むしろそれよりも今のこの勉強は君達のこれから先の人生をより彩りある面白いものにしてくれる。この人生の面白さをこれから味わう為にするんだ。」と熱っぽく教えてくれたなら、どうしようもなく勉強嫌いであった私でさえも、もう少しは、私立大受験の為の限られた日本歴史、国語、英語だけでなく、もっと全体的な勉強を苦痛なくしたのかも知れない。
 あの机に向かう、受験の為だけの目的に縛られた漠とした苦痛が、努力することをさせなかったのだ。
 自分の精神の中で、知識が言葉が、どんどんと繋がり、確かに自分の広がりを感じる時、勉強は苦痛なものでなくなるに違いない。
 決して噛み砕くことも消化もできない、知識のかけらを飲み込み続けることを好む者が、むしろ不自然なのである。
社会の階段を駆け上がる為だけの受験勉強は、人の精神を固定し記号化する。僅か18や22~3の人生の1/3も過ぎていない人間の、それからの人生が固定された記号によって表される。殆どの人はこの自分に覆い被さる記号以上になることはできない。いや、それを許されることは無い。
 そして、多感な心にできるだけ多くのものを蓄えるべき、最も大事なこの時期に、記号を手にする為の勉強は自分を規制し、固定させる以外の何物でもない。極めて偏った価値観の上に、築かれた階級の記号を争い、手に入れようともがく。
 そして若者の、人生のピークは終わる。僅か1/3も過ごしていない通過点で、人生のピークは終わる。
 この時に、上部の記号を手に入れた者にとっても、この争いはあまりにも過酷なのだ。もう彼らに心は戻らない。そして、更に記号を機械的に無表情に生産するだけの担い手にふさわしい人材が更に作られていく。

 
 生きるということは何なのか。それは私にとって少しでも広く、少しでも、いつまでも自分の心の中を広げることだ。自分が自分の意志で生きてきた足跡がはっきりと見える広がりを作ることだ。
 今、私はもう既にその姿を見せ始めた老いと争っている。老いることに恐れはない。しかし、広がれる力が自分になくなることが怖い。
 悲しみは怖くない。それをしっかりと感じられる自分は愛しい。

 自分の心を広げること、悲しみを見つめられる自分であり続けること、これは、この国では常にあらゆるところに降り注ぐ全てのものを記号化しようとする力と絶えず、意志を持ち争うことなのだ。
 私はデザインという言葉も、それが持つ作用も嫌いだ。デザインは創造ではない。
 時代のエネルギーが解き放った創造の流れをデザインは常に一つの形に規制しようとする。
 その時代に住む最大数の人々が、誰でも理解でき、そして共通するものに、創造の流れから、その時代の最小公倍数を抽出し、その他のものは特に創造のエネルギーを無視し、社会を個人を形式化し均質しようとする。記号を与えようとする。
 常に人の心を一つの型に押し込もうとする。

 私達の日本は正に、金の値打ちという、唯一の価値観のもとに完全にデザイン化された国なのだ。
 農協が金の為に人の命も無視し農薬を撒き散らそうとも、この日本ではそれは立派な由緒正しい記号を持った行為なのだ。賛辞されるべき行為なのだ。

(2002年12月19日)

 

第9回 騒々しさの極みの国・日本、責任のなすり合いの国、日本 人への暖かさを忘れた国、日本 

先日、お菓子・料理教室の生徒さんとのフランス研修旅行から帰った。  

長い機内での身体の痛くなる時間からようやく解放されたと思うそばから、私は日本の現実へ引き戻される。一番目には、味も何もあったものではない日本の素材、そして料理をこれから食べなければならない胸の悪くなる諦めの思い。
 そして、下品さに満ちた騒々しさと責任のなすり合いの、私も含めた国民の姿とその日常に戻ることの重苦しさ。
 飛行機から、空港の建物に入る。建物の外装と内装は横と縦の線だけの組み合わせによる、鈍重な、精神の流れ、リズム感の少しも感じられぬ造りが、私の頭を不快に締め付ける。
 パリのシャルル・ドゥ・ゴールやオルリー空港での、自分が今いる建築への春の風に心が飛ぶような感情は少しも起こらない。
 でも、関西空港は少しは心の動きが感じられる空間である。だが残念ながら主たるものはフランス人による設計だったと思う。
 今回はこれがテーマではない。

 手荷物を持って進む。動く歩道が近づく。ほら、早速おいでなすった。「足元に御注意下さい。Watch your step. 足元に御注意下さい。Watch your step.」の無味乾燥な声が果てしなく続く、歩道の終わりに近づけば、「歩道が終わります。御注意下さい。Watch your step.」が待っている。
 入国審査場へ行けば、まるで、刑務所を連想させるような、かつての社会主義体制下の非人間的に硬直した、支配者の権威の覆いかぶさる空気だけが唯一の存在感であったモスクワのシェレメチヴォ空港を思い起こさせる雰囲気が待ち構えている。審査官が審査室から立ち上って大きな声で、「皆さん、パスポートはビニールカバーから外して待ってて下さい」とがなり立てる。それでも、外さない者がいたのだろう。しばらくしたら、又立って同じ言葉を今度は腹ただし気に怒鳴りたて繰り返す。
  でも、お上は例え下っ端でも偉い。列をなして待っている、お上にめっぽう弱い憐れな下々の国民はあまりの剣幕にこそこそと萎縮している。
  カキッカキッと冷たく、威高々に書かれた日本人という標識、審査官は能面のように無表情でニコリともしない。不気味という以外言う言葉はない。
  エスカレーターに乗り、下へ降りる。日本で最も外人が通るこの通路でさえも例外なくエスカレーターのそれぞれのステップには黄色の線で枠取りがしてある。ここに足を乗せると危険ですよと、とっても優しく私たちにさとすように語りかけている。それにしても、あまりにも汚い品性のない線と黄色だ。なんでこんな子供じみた黄色い線をつけなきゃならない。もう誰だってエスカレーターの乗り方くらい知っている。
 荷物を受け取るフロアーに降りる。早速、「只今、薬物等の取り締まり強化月間となっています。水際での発見の為、皆様の御協力をお願い致します。」というような内容と、同じ意味の英語とが交互に果てしなく続く。私の気持ちはもうかなり滅入り始めている。
 参加者が集まり、最後の挨拶をしようと集まっていると、係官が来て、「今、五機も入ってんだ。混んでしようがねえから外に出てやってくれ。」と忌々しげに私達に向かって、正しく、言い放つ。
 ちょっとの間ではないか。私達は子供ではない。私達が集まっている所には未だ荷物なんて流れていない。彼は完全に、ここは自分達の私有地と思っている。全く彼等の恩情があるから、今ここに私達はいれるのだぞと言っている。
 今年は四回目の帰国だ。
 別に土産なんて買うこともない。「免税」の台に行った。「パスポートを見せて下さい。」「どういう理由で外国に行かれました。」「旅行の付き添いですね。」「何か申告するものはありませんか。」私はわざっとぶっきらぼうに言った。「ありません」向こうもムッと来たようだ。何も無いからそこに並んだんだよ。不審なオヤジに見えたら、すぐにバッグの中身でも調べればいい。
  
  私は成田エクスプレスはできるだけ乗りたくない。JRの幼稚な考え方が、とにかく不愉快だ。どうして全ての席が四人向かい合わせなきゃいけないんだ、エライ迷惑だよ。足元は狭いし、新宿までだったら一時間二十分も知らない人とどうして顔を向かい合わせて過ごさなきゃいけないんだ。普通の二人掛けの同じ方向に向いた席でどうして悪いんだよ。
  夏なんか、たまらない。冷房を好まない、外人さんに気を遣っているかも知れないが、とにかく暑い。何度乗ってもその都度汗が噴き出してくる。彼等の考え方の鈍重さと固定された習慣には、もうなすすべもないような気さえする。

 急がない時は、リムジンバスを乗るようにしている。
 都心まで、遠すぎるのは腹が立つ。しかししょうがないか。でも、バスに乗った途端に、子供じみた琴の音とともに和楽が流れてくる。そして「安全の為にシートベルトを締めろとか、走行中危ないから立つな」とかこと細かにさとすように、日本語と英語が流れてくる。それも機械じみた慇懃無礼の抑揚のない女性の声でシートベルトを締めろと言ったって、誰が締めるんだい。誰が好き好んで走行中に立つんだよ。ありもしないことを機械的に押し付けて言ったって何の意味もないだろう。

 バスが走り出す。途端に、短い間隔でゴットン、ゴットンとうるさくバスが揺れる。どうして高速道路に一部とはいえかなり長い間道路が、アスファルトが切れているんだよ。
 道路を作る方は車の乗り心地なんか考えないんだろう。作る方が勝手に考えて、気ままに作ってしまうんだろう。作り手、乗り手、利用者の全体のバランスへの配慮なんて少しもありはしない。
 首都高速に入れば、ずっと、ガッタン、ガッタンの連続で、不快さは増すばかりだ。小さなカーブの連続で建築上困難な点があるのかもしれないが、それにしても人への優しい視点は少しも感じられない。フランスやスペインではこんなあまりにもみみっちい考えの道路なんてお目にかかったことがない。

 代官山の店に寄ってから家へ向かう。
 無神経な、デカ過ぎる車内放送はJRの専売特許だったが、最近は東横線でもよくある。寝不足の頭にずけずけと入り込んでくる不快さはやり切れない。
 それにしても、意味なくバカ丁寧な説明、言い回し、そして最後には必ず、「皆様の御理解と御協力をお願い致します。」時には、「御理解と御協力を宜しくお願い致します。」と、宜しくが入る。空しさまでのくどすぎるお願いだ。
 要件を手短に言って、最後に「宜しくお願い致します」で、それでいいじゃないか。
 武蔵小杉で下車して、下りのエスカレーターに乗る。そらそらおいでなすった。
「エスカレーターにお乗りの際はベルトにつかまり、黄色い線の内側にお乗り下さい。ベルトに物をのせると危険です。エスカレーターでの喫煙は御遠慮下さい。お子様をお連れの方は手をつなぎ、ステップの中央にお立ち下さい。お降りの際は足元に御注意ください。」が繰り返される。自分の乗っているエスカレーターと反対側のホームのそれの声が重なり合い共鳴する。私はもう既に感情はない。
 自動清算機で清算する。途端に「自動改札機を御利用下さい。」が連呼される。
 自動改札機を出る。そこでひっかかれば、けたたましい警告音がなる。
 JRの武蔵小杉駅へ上るエスカレーターに乗る。早速、「エスカレーターにお乗り~」が耳に入る。階段の上からはつっかけとうるさいハイヒールのガッチャン、バッタン、ガッチャンバッタンが、響き渡る。エスカレーターを降り、上の階に出る。途中の他のエスカレーターからも、同じ声が聞こえてくる。JRの切符を買う。早速、「只今武蔵小杉駅ではエレベーター、エスカレーターの設置工事をしております。」~の放送が繰り返し流される。しかも何ともあきれたご丁寧さで更にハンドマイクを持った作業員が、「只今、武蔵小杉駅では、エレベーターとエスカレーターの設置工事をしております。皆様には大変御迷惑をお掛けしております。下りホームは、川崎駅寄りの階段は使用できず、エスカレーターのみとなっております。ホームへは立川寄りの階段を御利用下さい。足元に気を付けてお進み下さい。」とありったけのボリュームでがなり立てる。子供じゃねえぞ、そんなことまで言わなくていいぞ。
 又又、同時にエスカレーターの「エスカレーターにお乗りの際は~」が重なる。
 電車が来る。スピーカーがうるさく電車の到着を告げる。「2番線に下り電車が参ります。危ないですから黄色い線の内側にお入り下さい。」警備員も、「オウ、俺の出番」とばかりにけたたましく電車の到着をハンドマイクでがなり立てる。
 又又、あのJR名物の「気違い発車ミュージック」が流れる、耳を突き刺し、「ガガガガー、ガガー、ガガガーガー」俺にはこうしか聞こえない。
 電車に乗る、動き出す、豚箱と大して変わりのないぬくもりの少しも感じられない車内、電車の内と外に、あらん限りの騒音を撒き散らす。殺人騒音電車だ。早速、頭をかち割るほどでかい親切さの極みの車内放送。「次は向河原、向河原です。お忘れ物のないように身の回りのものにお気を付けの上、お降り下さい。」JRの電車は倫理の無法地帯だ。携帯電話の野放図な話し声、溢れる漫画。他人のことなど少しも考えない隙間たっぷりに座ったお客達。
 駅々で、「気違い発車ミュージック」、車掌様の車内放送。
矢向駅に着いた。ここの駅の「気違い発車ミュージック」はとりわけすごい。「ガガガガガガ ガガガ ガガガガー」時には二度も繰り返されることがある。家に着いた私の頭は久しく忘れていた現実に打ちのめされていた。
 自宅のマンションへの小さな道に入る。ここも道路にべったりと可能な限りに道路に、交通の標示がかかれている。
道の両側の路側帯の太い線、横断歩道、横断歩道を示す、菱形の印、乱暴に書きなぐられた「止まれ」。
ここは車が数多く通る通りではない。実生活のある所だ。
こんなあからさまに人間の心と生活そのものを規制してしまうものをベタベタと所かまわず書いていく必要がどこにあるのか。
こんなものを書いたからといって交通事故が減るとも思わない。もともとそんなにスピードを出す所ではないのだから、住む人の心に爪痕を立てないようにもっと小さく書いても充分に分かるはずだ。
押し付けがましいお上の親切だ。こういうものは確実にそこに住む人達の心を締め付ける。それとも警察の天下りの「交通安全協会」の為の仕事なのか。
運転免許の学科試験に、わざとらしく(交通違反の反則金は交通標識の設置などに使われる)とあるが、まるで「交通安全協会」に仕事を委託して、設けさせる為に使われると自分で言っているようにも聞こえる。
生活の隅々まで押し付けがましい、私達を無気力にするお上の気分次第の細かい指示が入り込んでくる。
 
 さて、少しずつ良く考えてみましょう。
皆さんは、電車やエスカレーターの手取り足取りの忠告や助言が、人を気遣う心の優しさから生まれたものだと思いますか。勿論、そんな風に思う人は殆どいないでしょう。
 あれは、それぞれの立場地位の人たちが、どんなことがあっても、決して、自分の所に不慮の責任が及ばないようにという、周到な自分達のことだけを考えた、逃げなのです。私達、愚かな一般庶民が、何かつまらないことをしたとしても、それは決して、自分達の責任ではない、愚かな貴方達が悪いんだよ。私達はあんなに口を酸っぱくして教えてやったんじゃないか。ただそれだけの動機によって生まれてきた習慣なのです。そして、下々のアホな者共は手取り足取り教えてやんなきゃ何もできやしないという、正にお上、官僚の思い上がりから生まれたものなんです。ずっと辿って行けばそこに行き着きます。

  空港での、係官の態度は正しく、上から下まで下司なお上の、私達一般人を蔑視した表れなのです。
  以前新宿駅ホームで、扉が閉まろうとしていた電車に乗ろうとしたらしく、突然、「駆け込み乗車はしない。」とほぼ怒鳴るようなドデカイ、放送している人の個人的な不快さ、憤りを100%上乗せした放送を聞いたことがあります。その時言いようのない腹立だしさを感じたことを覚えています。この事も、怒鳴り散らす車内放送も全く同じです。親方日の丸気分が少しも抜けきっていない、旧国鉄、国労そのものの体質なのです。
  私企業へと変わったにしても、鉄道、交通事業の社会性、公共性などという考えは彼らには少しもない。確かにJRなくては東京の平均的日常の生活は成り立たない。だから客が減る心配もない。傲慢であっても社会的な制裁はありはしない。お客の金で、社会が運営されているなんて意識は少しもない。だから、お客を罵倒するような放送もする。うるさいだけの豚箱のような電車、カン高い車内放送、気違い発車ミュージックも、乗客の皆が喜んでいると勝手に思い込んでいる。下々の者の為にこれほどまでに優しく気を遣っているんだと思い込んでいる。自分達のしていることをお客はどう考えているかなんて考えようともしない。
  私達一般人は、とにかく、社会全体でのうるささに慣らされてしまっている。それでもうるさいと思っても、面倒臭いし、知らん振りが一番だと、あきらめる習慣が完全に身に染みてしまっている。
  どこへ行っても、手の振り方、上げた足の下ろし方、場所までもが、いつもいつもこと細かに指示される。そしてそれを私達は当たり前と思い、その指示通りに行動する。決して自分の意志を自分の行動の責任から常に逃れようとする。そして何か事があると「あれは言われたから、やったんだ。自分でしようと思ってしたんじゃない。」と、自分勝手な文句をたれることだけは忘れていない。こんな考え方では民主主義なんて成り立ちはしない。全ての人間がそれぞれの責任を相手になすりつけ合いながら生きている。そんな社会に、活力も未来へのエネルギーも形成されることはありはしない。

  いつもいつも、騒音の中に埋没していれば、物事を冷静に客観的に考えることなんかできはしない。自分の気付かぬ所で、いつも心は苛立ち、初めはあったかもしれない優しさもすぐに消え去る。
  自分を囲む、周りの人たちへの関係、繋がりを暖かい目をもって見つめることなどできはしない。いつの間にやら、心の中にあるのは、他人を責めたてる心ばかりだ。人と人をいがみ合わせる感情ばかりだ。
  新幹線の架線のすぐ下にある住宅、そこに住む人は、何らかの逆らい固いはずみのもとに、あのような所に住むことになったのだろう。でも、あれだけの想像を絶する騒音にさらされていればそこに住む人は決して自分と自分が住む日本と日本人との繋がりを感じることはできないだろう。
  憲法には、「人は快適な環境で住む権利がある。」と書いてあるけれど、静かな環境もとても大事なことだと思う。
  これは個人一人一人が他人に余計な騒音を、周りに与えないように、気を付けなければならない。
  しかし、この国では、お上や元お上や、社会的公共性を持った側がまず、一般人に法外な騒音まみれの環境を強引に一方的に与えているのである。

  これは、私の知る限りのフランスなどの公共体の考え方とは全く正反対であるように思える。
  フランス、スペインなどでは一口で言えば、都市計画、小さな地方の共同体の行政の計画は、まず人間の生活を常に中心に考えて立案されているように思える。
 そして、その為にはかなり強力な指導性が示されると思う。
 しかし日本に於いては、行政の担当する地域への、このような人間主体の考え方など少しもない。
もし、あったとしても、少しでも余分な負担が要求されたり、勝手気ままな経済活動に差し障りがあれば、そこに位置する企業は激しく抵抗して、それらの計画を骨抜きにしてしまう。そのような勢力を意識を持って排して、人間中心の政策を貫徹しようなどという、指導者、公務員は皆無である。
  要するに日本の人間の生活空間は資本、そして金によって野放図にやりたい放題に荒らされてしまったということである。

  パリ。あの大都市には豊かな緑が溢れている。
 セーヌ川は、あれだけの人口の挟を流れながらも清流とは言えなくても、日本の大都市の中を流れる川の汚染にはほど遠い。墨田川の様に匂いがするということなどありはしない。
実に合理的に、以前からの自然を少しも汚すことなく、消費することなく、今の生活の中心に取り入れ快適な生活の空間を広げていく。
 あれだけの車が行きかう通りでも、耳に障る騒音を感じない。心が落ち着く。日本でとってつけたような道路に面したキャフェテリアに座っても、何故か、常に苛々する騒音しか伝わらない。すぐに席を立ちたくなる。
 石造りの建物、豊かな街路樹、様々な要因があるのだろう。しかし、車の設計の考え方も、車内、乗る人、車の外、つまり車が通る地域や両方に与える騒音に対する配慮があるような気がする。
確かに、向こうの車は頭に響くけたたましさがないのだ。
  しかし、日本のメーカーの発想は、新幹線ののぞみ号のかなり快適な車内とそれによって生じる車外での大きな騒音と沿線の人々のことなどに少しも配慮のないJRの考え方と全く同じように車を買い、車に金を払う者だけの快適さの追及のように思う。

  フランスのアルザスの新しい路面電車が何年か前にできた。
  都市の交通の混雑の緩和、騒音、大気の汚染を防ぐ為だ。
  アルザスの後にも、リヨン、ボルドーなど各地の大都市で、路面電車が建設されている。このうちの幾つかの都市は以前にも路面電車があり、廃止した経緯があるようである。しかし、それは間違いであり、車社会がもたらす様々の問題を再び路面電車によって解決しようとしたのであろう。しかし、これはとても勇気のいることなのだ。何故なら、一度破壊したものを再び造り出すことは、様々な責任、しり込み、そして精神的なつらさ、苦痛が伴うはずだ。
  しかし、熟慮してそして人間のより良い生活の為にそれが最良であると考えれば再び挑む。歴史への反省、それに対するしなやかな反応がある。
  又やるべき事を強力に推し進めるリーダーシップと、それを国民の一人一人が考え、良ければ積極的に支持するという、社会と歴史の責任を多くの人が、人間として社会生活を営む上での最低の規範としての意識の中枢に備えている。
  決してお上任せではない。

  そのアルザスの路面電車は、後に近づいて来たことに気付かないほどに、本当に静かに滑るように走る。本当に信じられぬほどに静かなのです。車体は、流れるように美しく、車内は明るくゆったりとしていて、乗っている人は正に電車に溶け込んでいる。誰もが車を捨てて乗ってみたくなるような気がする。
  道の両側の建物と信じられぬほどに、しっくりと、溶け込んでいる。  既に存在するものを傷つけることは決してしないという決意が感じられる。
  こういう行政の決意と実行力のある空間に住んでいる人達は確かにゆったりとした優しい表情に満ちている。
  私達日本人の表情に必ず見つけられる、苛立ち、無気力、そして反射的に他人をとがめようとする意地悪い表情はない。私とてこの表情をはっきりと持っている。

  確かに、パリなどの大都会では全てがそうではないが、地方の都市などでは横断歩道の前に人が立っていれば必ず車は止まり、人を通してくれる。
  ある時などは、アルルの街で、朝の散歩をしていて、信号が赤に変わった横断歩道で立ち止まった時、一台の車が横断歩道の前で止まり、私に手で先に渡るように示してくれる。勿論、後に車がつかえていれば、後の車の為にそのまま通り過ぎたであろう。しかし、後に車がなく、後に迷惑がかからなければ歩行者に心を遣うということなのだろう。
  日本人は赤になれば当然、私も自分の権利をまず主張しようとすることは目に見えている。
  しかし、日本では、殆どの車が歩道の前に人が何人待っていようが、止まろうとはしない。「横断歩道ってのは車がいる時は渡っちゃいけねえんだぞ」とばかりに威張り散らしながら過ぎていく。確かにタクシーはひどい。しかし、一般の車もそうは変わらない。
  これが、常に全てのものをお上とアメリカから与えられ続けてきた私達日本国民と、自分達の血で自分達の権利を得た人たちとの本質的な違いなのであろうか。

  いつも全ての固有の価値、伝統が金の力に蹂躙され、騒音と悪意の中にいる国民は、人への優しさ、気遣いを忘れてしまっている。自分のしたことが自分の周りにどういう影響を与えるのか、どういう感情を与えるのかを知る能力は完全に失っている。
  フランスで静かな雰囲気のレストランに行っても、いつものでかい話声を押し通す、酒が入れば周りの人達が、そのうるささに眉をひそめていることに少しも気付かずに、更にボルテージを上げる。私達にとって日本では当たり前のことであっても、札束を得意げに見せびらかす、黄色い猿の愚かなる振る舞いとしか彼らには映らない。

  長距離列車はフランス人にとっては(他の国のことは分からない)特別の空間であり、時間である。ちょっとの間の日常を離れた、得がたい思慮の時間であり、今しがた去ってきた人と空間をしのび、やがて身を置く新たなる空間への思いを寄せ、その変化する状況の中に、それまでの人生を重ねるところなのだ。
  話し声は、他の人には届かぬほどに、囁くように低い。
  多くの人が本を開く。漫画ではない、字がいっぱい詰まった本である。
  私達の普通の話し声さえもが、いかに人の平穏を乱すほどのものであるかはこのような時に分かる。
  しかし、この車内で聞こえるのは自分達だけの声であることを日本人は気付こうとはしない。

 皆さんは日本でゆっくり回る観覧車に乗ったことはありますね。
中に入れば勿論内側からは扉は開けられません。
いつかパリのチュイリー公園で巡回の遊園地で乗った観覧車にはびっくりしました。丸いたらいの様なものに乗り、動き出してから気が付けば、周りには何の囲いもないんです。あるのは、真ん中にある鉄の棒だけです。この鉄の棒が丸いイスの付いたたらいと頭の上の屋根を吊るしているだけです。かなり早く回転します。本当にユラユラ揺れながら回ります。一回だけじゃありません。三~四回、怖くて正確な回数は覚えていません。新たな客を乗せる為に、一番上で止まってしまうこともあります。風の強い日で大きく大きく揺れました。すぐ目下には、高々にあるサクレ・クール寺院が見えます。
ただただ身体を硬くして鉄棒にしがみついていました。
長い時間でした。

 これは少し凄いな、やり過ぎかなという気もします。でも、危険でも何でもないものに、全てのところで、手取り足取り世話をされても、人の心に自立心なんてできません。
自分の意志で、責任を持って自分でやるという考え方は育ちません。
物事の責任を逃れ、人に転化するだけの逃げの心しか育ちません。


ノルマンディーのエトゥルタの海岸の断崖絶壁、柵らしい柵もありません。一ヶ所小さく海側に突き出した所があります。そこに行くには幅50cmほどの所を2mほど渡らなければなりません。勿論どこにも柵はありません。一歩足を踏み外せば真っ逆さまです。でも結構多くの人が広さ3mほどの所に渡り、怖々下を覗いているのです。勿論こんなことは日本では考えられません。でも、誰の助けも求めぬ、自分の意志での挑戦が社会に活力を生むのです。
私は怖くて、そこに渡ることはできませんでした。

(2002年11月1日)

 

臨時エッセイ 「弓田以外の目」初めての韓国訪問記

韓国の仁川空港についた直後でした。
 日本人の中年の女性の会話が耳に入りました。
「ほら、このにおい。くさいでしょ。このにおいがいやなのよね。」
どういった用件での旅行かは分からないが、その国には国の、街には街のにおいがあって当たり前です。それを知ることが旅をすること、他所に行く楽しみでもあると思います。
  日ごろ、日本で食べ物を扱っていて、におい、香りのないものの多さにうんざりしている私には、においは必要なものであり、大事な、しかしこの日本では手に入りにくいものです。
  なんとなく不愉快な気分になっていました。
  そんな気分も、迎えに来て下さった孔さん夫妻の姿にすぐに吹き飛び、短い韓国での滞在を有意義なものにしなくてはと意気おいこんでいました。
  その日は「母の日」で、道路が大渋滞で「韓国の8車線もある広い道路がこんなにこむなんて」と驚きましたが、孔さんの「韓国の人は親孝行なので、皆この日はお母さんを囲んで食事をするのです。」との説明に、2重にびっくりしてしまいました。
  始めの予定の店にたどりつけそうにもないとのことで近くの店に入りましたが、10時を過ぎているのに家族連れの方でにぎわっていて、家族での食事の風景は私にも食べることへの熱意がストレートに伝わってきました。これはフランスでも常々感じることであり、残念ながら日本ではほとんど感じられません。
  日本では何かが違う、食卓にある食べ物に対して、素直な感動がなく、何か別なところに人々の心があると感じてしまいます。
  食事はサラダから始まりました。葉はしっかりと厚く、香りもそれぞれの香りがありました。
  焼肉の肉は噛みごたえがあり、自分の歯に不安を覚えた程です。
  初めての食事で、日本の野菜、肉がおかしくなっていることに改めて気づかされました。

 2回目の朝食の、木の実入りのご飯の香りは久しぶりにご飯のふっくらとしたにおいを、体全体で感じました。最後のおこげは湯で洗って焦げた香りまでいただくということでした。
日本の茶の湯の懐石料理の作法にもありますが、形だけが優先されているように思えました。
  集団給食のような大鍋で、モーモーと湯煙をあげて煮ている牛肉のスープは、一晩中火をおとすことがないそうです。日本の牛だったら、バラバラになってしまうでしょうが、しっかりとした肉と、しっかりとした濃い出しの出た味は、家庭では無理で、店で食べる味というのも納得できるものでした。
  もちろん韓国も少しずつ変わっていっているのです。
 平日の朝食時にビジネスマンやOLではなく、地元の若者たち、親子づれがこういう店にいるということは、昔はなかったようです。
  店では確かに甘さや化学調味料が加えられているかもしれないという味のものもありました。
  しかし、チゲの中に入る野菜、キムチ、唐辛子、にんにくの香りのすばらしさ、全てのものが日本のものと違うのです。
素材の味は力強くそれぞれの香りがしっかりありました。
  孔さんとの約束のお菓子作りでは、卵黄の日本の卵のように変にオレンジではない自然な黄色みとあたたかみのある味わいにおどろきました。
  一緒に作らせて頂いたキムチの大根は時期は少しはずれているにもかかわらず、しっかりとかたく、繊維が密に入っていて、切ると包丁にピッタリと吸い付いてくるようで、切りにくい程です。
  市場ではあれもこれも買いたくなります。
  野菜の種類の多さ!!大根もいろいろな種類があります。海苔にまいてご飯と一緒に食べる葉の種類は見たこともないものも多く、少量ずつでも買えるのです。
  さつまいものおいしそうなものを見つけて、「これは一箱でないと売らない」というので少し迷いましたが、孔さんの反対を押し切って買ってしまいました。蒸かして頂き、すぐに食べた味は忘れられません。その為だけにでも、もう一度この国に来たいと思う程ホクホクとしていて、その上しっとりともいえる、忘れていた子どものころの記憶の中のさつまいもで、ベタッとせず、パサパサでもなく、割ってみたところに筋がたくさん入っている、今の日本のさつまいもとは大違いです。
  昼食をとる間をおしんで作業していると、上の階で働いているおばさんが「じゃことししとうを炒めたものと、御飯とチゲの御自分の昼御飯を分けてくれました。本当においしいお昼御飯でした。
  その夜の初対面の孔さんのご両親やご家族の方達とご一緒の食事会は皆さんの心使いがさり気なく、親戚の家に招かれたような暖かい雰囲気での中で始まりました。
  お料理はメインディッシュが鴨でした。鴨のお腹につめられたもち米やなつめ、栗のなんとおいしかったこと、水キムチは少し酸味のあるスープが、おなかの中にスーッと入ってくるようなさわやかな味わいです。食事が終わって外に出てからも、会話は続き、最後に孔さんのお母様に「あなたのお陰で、久しぶりに皆と会えました。」とお礼を言われた時は、本当に胸が熱くなりました。お母さん、お父さんともしっかり握手をして皆さんとお別れしました。
  最後の日の夜のサムゲタンも、予想以上の味であることはもちろんですが、犬の料理は食べたことのない私には、少し冒険でした。
  猪の肉よりはずっと臭くはなく、しかし確かに肉の香りは別のもので、皮と脂身との食感はかなりしっかりとした弾力のある噛み応えでした。
  少々お腹が疲れていたこともあり、全部食べられなかったのがとても悔しく残念でした。フランスもそうですが、この時ばかりは、3倍位の胃がほしくなります。
  日本でも親しくしていただいていましたが、孔さんの御主人にも本当にお世話になりました。
  サウナでお金が足りなくなった私たち(孔さんと私は裸です)に、夜中の1時に呼び出されて迎えに来て頂いたことは誰にも言えませんが・・・。
  帰りには、韓国の食材を持てるだけ持って帰り、その日のうちにスタッフと一緒に孔さんの韓国料理を作りました。百聞は一見にしかず、おみやげ話を十回聞くより、確実に皆に日本の食材との違いが分かってもらえたと思います。
  私も大根や葱、にらなど、もともと共通の作物があるこの国に来て改めて実感として、日本がいかにおかしくなってしまったかを嫌と言う程、思い知らされました。
  脂か壁のように内臓にもくっついている日本の鶏(韓国の鶏は、小さく身がしまっています)、不自然な甘みの野菜、果物、あきらめていたホウレン草のえぐみ、これはやはり、必要以上の品種改良や農薬の使い過ぎによる変化だったのです。
  食材はスーパーでも、デパートの地下でも、市場でもとても豊富で、いかにこの国の人が、食べることを大事にしているかがよく分かります。
  豚足も牛の足も内臓も、デパートにも大量に並べられています。
  ここでフランス料理を作ったら間違いなく日本よりおいしいフランス料理が出来るのに違いありません。
  乾物も塩味がしっかりしていて、余計な保存料が使われていない、しっかりした味で試食した全てを買いたくなってしまいます。
  ソーセージ(豚の血入り)も蒸して売っています。フランスのアンデュイエットより香りは穏やかですが、共通の匂いに引き寄せられてしまい、まるでおもちゃ売り場に来た子供のようになってしまいます。
  日本のデパートには、似たり寄ったりのお惣菜はとにかくたくさん並べられています。しかし、なぜかこんなに匂いにそそられるようなものはほとんどありません。
  全てきれいになっていはしますが、匂いのしないにんにく、匂わない納豆、香りの薄い味噌、数え上げればきりがありません。おかしいと思っている人はたくさんいるはずなのに、本来のものとは、まったく違ってしまったいろいろなものが世の中に溢れているのです。
  確かに甘くて大きい果物、真直ぐな胡瓜、虫のいない葉物を喜んで買ってきたのは私たちです。
  私自身、初めてフランスに行った時、他のものはともかく果物は日本の方が香りは薄いけれど、甘くて柔らかく、みずみずしいと思っていました。今から15年前のことです。それからも、日本の食材はもっともっと品種改良がすすんでいます。
  孔さんのお友達のお茶の先生の学校を訪問出来たのですが、そこで頂いたお茶の自然な甘みと香りは、ついおかわりを何杯もしてしまう程で、水の違いももちろんあるでしょうが、日本の不自然なとても濃い緑の色だけが特徴の、味の薄いお茶とは大違いです。
 「韓国でも、安心して飲めるお茶が少なくなりました。」というお話に、ああ、もったいない。日本のようになってほしくない。と身勝手ながら思わずにいられませんでした。
  このところ、家で料理をする度にため息が出ることが多くなりました。たとえば、大根おろしをしても、「なぜこんななの」と思うザラザラな大根にあたることがほとんどになっています。味わい、香りの少しもない、水分と油もしみていかない、何ともいいようのないナスには本当にがっかりします。
  今回の、隣の国の韓国への訪問は、いまの私にとっていろいろなことがはっきり見える、又見ることが出来た又とない機会でした。日本人の体格は確かに華奢になっています。韓国の男の人は、昔の日本の男の人のように骨格がしっかりしていてとても大きく見えました。
もう一度、ぜひ訪れてみたい国がもう一つ増えたこの度の訪問でした。

(記 2002年10月30日)

 

第8回 ドゥニ・リュッフェルの料理とお菓子

今年もドゥニ・リュッフェルは、八月、日本に来て、彼そのものの料理とお菓子を作り、いつものように鮮烈な印象を残して帰国した。
 今年で十七回目のフランス料理とフランス菓子の技術講習会である。
 一人のパティスィエ・キュイズィニエが、十七年間もの間、常に二百人以上の受講者を集め続けたという例は他にはないと聞く。

 ドゥニ・リュッフェル、今年五二歳。
 彼は十五歳で、昨年まで長期に渡りフランスの製菓協会の会長を務めたジャン・ミエ氏の店に見習いとして入った。
 当然のことではあるが、そのパティスリー・ミエ店でミエ氏の下で、お菓子の多くを学んだ。
 そして同時に、ミエ店に勤めながらほぼ独学で料理を習得した。
 彼は日本に於いては、パティスリー・ミエ店のシェフつまりパティスィエとして最も名高い人間である。これは日本での十回目の技術講習会までは、常にお菓子だけのデモンストレーションであり、キュイズィニエとしてのドゥニ・リュッフェルを広く知らしめることがなかった。しかし彼はフランスではパティスィエとしては勿論であるが、それ以上にキュイズィンヌ・クラシックの旗手として名声を得ている。
 しかし彼は、パティスリー・ミエ店に十五歳の時から籍をおきながら、一時もミエ店から離れることなく、独学で、彼個人のキュイズィンヌ・クラシックを成したのである。パティスリー・ミエ店では通常通り働き、それから仕事を終えて、レストラン、その他へ研修に通った。彼の睡眠時間が四時間以上を超えたことはない。正に人生のエネルギーの全てを料理とお菓子に向けてきた。

 しかし、彼は師匠のジャン・ミエ氏が優れたパティスィエであったことと同時に、ミエ氏の周りに集う、幾人もの一世を風靡した高名なキュイズィニエ、パティスィエとの深い交流が、彼の天性の才を磨き上げてくれたように思える。実に多くのフランスの伝統の中から生まれた優れた先達の眩い光を一身に浴びながら、自らの感覚に吸収してきたように思える。
 しかし、日本では、残念ながら、キュイズィニエ、ドゥニ・リュッフェルの存在を知る殆どのキュイズィニエが彼の作る料理に対しては、冷淡であると思う。それは多分二つの理由によると思う。
 一つは、日本ではパティスィエが料理を作ることに何か奇妙な感じを持つ人が、あるいはどうせ菓子屋の料理なんてとたかを括る人が多いように思える。しかし、フランスにもパティスィエから始まり、料理を勉強して、名を成した人は多い。
 例えばかつてのパリ郊外ブジーバルのレストラン(カメリヤ)の鬼才、ジャン・ドラベーヌをはじめ、多くのキュイズィニエである。
 彼はこう言う。お菓子を勉強してから料理を始めると、料理をよりよく理解することができる。
 お菓子は正確に、精密に作らねばならない。それは、お菓子は見込み生産であり、いつ、お客様が食べるのかは分からない。又、どのような状態で、条件のもとで食べて頂けるのか分からない。つまり作られてからかなり長い間、おいしさが保たれなければならない。
 又、多少の悪条件のもとで食べられようともそれに耐えられるおいしさでなければならない。この二つの事をクリアする為には、より厳密なあやふやさのない考え方と作り方が要求される。
 この点、レストランで出される料理は注文生産であり、最も良い状態で、そして作り手の望む条件のもとでお客様に食べて頂ける。
 しかし、最後の料理の仕上げは注文が来てから短時間で作り上げなければならず、確かに作り手の感と舌に頼らなければ、それをこなすことは出来ない。しかし、それまでの段階、つまり各種のフォンを取ったり、肉や野菜をおろしたり、野菜を切ったりなどの準備段階では、精密な考え方と技術が必要なのである。精密になされた準備があってこそ、舌と感による仕上げは、より高い精度と深い味わいを作り出すのである。又、常日頃からの精密な考え方、仕事の習慣が最後の舌により高度な味わいを作り出すことを可能にする。しかし、日本のキュイズィニエは精密に作り続けるという訓練と実際の力に欠けていると思える。
 レストランなどで、おいしいデセールにはなかなかめぐり合うことが出来ない。本当においしいデセールを出すところはやはり料理もおいしい。これはロジックである。
 よく、料理はおいしいがお菓子は今一つと言われるレストランがあるが、それは正しくない。お菓子がおいしくない場合は料理も同じ程度なのである。ただ料理は、お菓子にはない、熱、暖かさ、より華やかな仕掛けとかで、おいしく思わせ易いだけであって、お菓子と料理の質は変わらない。

更に彼は言う。料理を勉強することによって主体的に自分の感性に基いた味覚の領域を創り上げることが可能になると。
 日本のパティスィエには食べ物の作り手として最も基本的なものが欠落している。
 つまりルセットゥ至上主義である。ルセットゥに何のイメージも持たずに完全によりかかってしまう。自分の個性をその中に織り込もうとも、より広い味の領域を模索しようともしない。ルセットゥは出発点に過ぎない。作り手の考え方、技術、使う素材によって、最終的に出来上がるお菓子は同じルセットゥによって作られたとは決して思えない、異なる味わいが無限に広がるということを知ろうとしない。
 今、目の前にある一つのお菓子のルセットゥの中に無限の味の領域があることを知ろうとしない。イル・プルーのお菓子との違いはルセットゥあるいはそれの紙質の違いによるものだと、平面的にしか考えられないのである。あまりにも無気力な姿勢としか言えない。
 日本のフランス菓子とフランス料理の間には、補完し合わなければならない関係にあることを知らなければならない。
 ドゥニ・リュッフェルの料理が無視される二つ目の理由は次の通りである。

 彼の料理はマスメディアの為に作られることはない。彼の料理を食べたいと思う人の為に、彼は自分の料理を作るのである。
 決して、奇をてらった見せる為の料理ではない。見せる為の料理は際限なく料理の本来の使命を忘れ去る。食べる人の身体に健康を与える、これが物を食べることの基本である。まず身体の健康の為を最も基本的なものとして、それを土台にして、心のおいしさを作り上げる。素材が持つ様々の要素、栄養素を少しも逃がすことなく作り上げる。これが本来の料理である。
 しかし、見せる為の料理には、最も基本的な健康の為の考え方など少しも必要ではない。料理が築き上げるべき人と人の繋がり、家族の絆などは何の値打ちもない。
 一般大衆の下司な好奇心を刺激するものだけがもてはやされる。マスメディアに媚を売らず、地道に、本道を歩もうとする者は、蔑まれ、やがて抹殺される。それが、特に日本のマスメディアの本性なのである。
 つまり、ドゥニ・リュッフェルの料理はマスメディア用には使えない料理であるから、彼らにとってのさし当たっての価値は無いのである。
 そして同時に多くのキュイズィニエは、料理とはどのようなものであるべきなのかを、自分の心に問い掛けたことはないように思える。もっともこれはパティスィエも同様である。

 そして又、ドゥニ・リュッフェルの料理の世界に対する恐さもあるであろう。
 ある一人の料理人がいみじくも私に告白してくれたことがある。
 「昨年の講習会での料理は正に、それまで自分が経験したことのない味わいの領域でした。それまで自分がしてきたことの全てが吹き飛んでしまいました。自分が今まで、やってきたことは何だったんだろう。そう自分に問い掛けるのが精一杯でした。」

 しかし、それまでの自分が打ち消されたとしても悲嘆にくれることも、失望感に苛まれる必要はない。
 何故全てのものをかなぐり捨ててより新しい本質的な空間に足を踏み入れようとしないのか。

 フランスに於いてヌーベル・キュイズィンヌ、ヌーベル・パティスリーが時代の要請により自然発生的に、起こってきたことはうなずける。
 フランスは戦後、保守革新の政治勢力が早くから伯仲した。50%の線を境にしてもみ合う状況が早くから現出した。
 そこで、労働者、被雇用者の権利は急速に拡張する。それにつれて労働時間も著しく短縮されてくる。つまり社会全体が以前ほどは身体を動かさなくなる。当然、消費するカロリーも減少する。それまでと同じような高脂肪、高糖度、高アルコールの料理、お菓子を食べていたのでは、社会全体が成人病に陥る。その様な状況に対応しようとして起こったのが、「plus leger(プリューレジェ)より軽く」を合言葉にした、ヌーベルと言われる調理法が、認識されるようになった。
 同時に第二次世界大戦後、レストランやパティスリーに冷蔵庫が普及し始めた。冷蔵庫がなかった大戦前は、料理の素材やお菓子が腐敗しないように、より大量の塩、砂糖、アルコール類が加えられていた。それらを適正な量にまで減らそうと、料理全体の見直しが始まった。これら二つの主な要因が重なり合い、今までとは若干異なるトーンを持った味の領域が模索されるようになった。このように私は独断に基いて理解している。
 この意味では、この新しい考え方、それに基く調理法は必然的な正しい要因はあったのである。
 しかし、戦後、ここにマスメディアが介入し、料理はマスメディアがより急速に拡大する為の燃料の一部としての役目を担ったのである。多かれ少なかれ、マスメディアは最終的に、それを需要してくれる大衆があって成り立つ。情報を最終的に享受する一般大衆の顔色をうかがう。
 初めは本来の本質的なものを持っていた料理やお菓子も、今までと同じ状況にはすぐに飽きる一般大衆にとって、本質的なものとは往々にしてつまらないものであり、すすんで振り向こうとはしない。マスメディアは大衆の気を引こうと、料理やお菓子の本質的なものを抜き去り、より手軽に大衆が興味を示すものを目指していく。
 確かに、その勃興期には合理的な理由があったヌーベルな調理法も、マスメディアの顔色をうかがい始めた作り手によって急速に変質していく。
 つまり、本質的なものを捨て去り、マスメディアを、それを通しての一般大衆が手っ取り早く喜ぶような、視覚的な要素がより強くなった、軽薄な暇つぶしの話題にまで引き下ろされた料理お菓子がマスメディアを通して紹介されていく。
 特に大衆に主体性の欠けらもない、又、異文化を表面的に形だけしか理解できぬ日本人にとっては、マスメディアによって与えられた虚構の空間が真実のものとなる。
 そのような状況の中で、オテル・ドゥ・ミクニやカノビアーノの虚構そのものの料理が真実としてもてはやされるのである。
もう一度要約するなら、キュイズィンヌ・クラスィックは出来る限り多くの要素を投げ入れて、香り、食感、味の混沌とした多様性、多重性を作り上げる。ヌーベル・キュイズィンヌは本来の身体の為の料理を忘れ、精神的な面だけを考えた、料理から要素を取り去る料理である。

 しかし、ドゥニ・リュッフェルは、自分が目指す本質的なものに手をかけようとするマスメディアを決して寄せ付けなかった。
 彼の料理、お菓子はどれだけの年月が経とうと新鮮な光を失わない。決して、時代の雰囲気に身を任せた一時的な偽りの価値しか持たぬものは作ろうとはしない。
 彼にとって、料理とお菓子の全ての根源的なものは、彼が子供の頃、お母さんやおばあさんが作ってくれた料理であり、それによって築かれた家庭の絆が全てであるという。
 つまり彼にとって料理やお菓子とは人と人とを結びつけるものであり、そしてその料理やお菓子は、今では日本でその言葉の中に殆ど実際的な意味を持たなくなった旬の香りと味わいに溢れていた。
 そして季節の旬の素材は自然の息吹を与え、人間に自然との関わり合いの実感を与えてくれる。彼が子供の頃に食べた様々の料理は、彼の人生と人格の重要な根幹をなしている。それから離れて料理やお菓子を作ることは彼にとっては何の意味も持たないと、彼はやや視点を少し遠くに置きながら私に話したことがある。
 これが、彼の料理とお菓子が少しも時代の雰囲気に染まらず、人の心に迫る暖かさと光を持ち続ける理由である。
 しかし、そのような料理はマスメディアにとって有用なものでも価値のあるものでもない。そのような真実のものに手をつければ自らの存在の理由さえも傷つける恐れがある。
 又、日本でのフランス料理にとってもそれは同じであり、自らの存在のあり方を問われる危険な力を持ったものに見えるように思える。

 フランス料理の基本は「fond(フォン)出し」である。
 しかし、これは殆ど全ての国の料理に共通していることである。
 「出し」はまず、身体の細胞、組織、器官の維持発展の為に不可欠な可能な限りの無機質、有機質の栄養素を準備することである。決してここでは、エネルギーの為のもの、つまりカロリーを持つものを主とすることはない。
 この栄養素群を土台として、生まれ育った生い立ち、環境によって形作られてきた作り手の考え、つまり精神性によって彩りを与えられた料理が作られるのである。勿論、この精神性の中には、その時代の軽薄な雰囲気が入ることはあるであろう。しかし、それが他の、家族の精神的な繋がりや母の家族への愛を駆遂するものであってはならない。
 しかし、勿論、フランスでもそのような傾向はあるのであるが、日本では完全に、特にマスメディアの要請による時代の雰囲気が他の全ての要素を否定しているのである。
 勿論これは、フランス菓子、フランス料理の領域のみではなく、和食、日本での中華料理、韓国料理にも同じ事が言えるのであるが。

 そして、そのような時代の雰囲気の傍若無人さはフランス料理の最も基本と言える「フォン」の意味、作り方、味わいをも曖昧な価値を持たないものに変質させてしまっている。
 「フォン」の意味、作り方が捻じ曲げられてしまっている。

 決して、「フォン」の作り方は難しいものではなく、日本の素材であっても、少し工夫すれば充分に使い得るものが出来る。

 私達は技術講習会に於いて最も大事なのは試食であると考えている。試食のない、あるいはあまりに少な過ぎる講習会は、主催者側にとっては全く楽であり経費もかからぬ有り難いやり方である。
 しかし、どのような立派な人の目を引きつけるデモンストレーションであっても、同じく、人の舌を納得させる味わいを持った充分な試食がなければ、何の意味も持たないことを知って頂きたい。人間、口では何とでも言える。しかし、こういう考え方でこうすればこういう味わいが出来るという最終的な証明がなければ、参加者には何の意味もない。しかし、殆どの参加者は、時代の雰囲気の中で名をもてはやされたフランスや日本の技術者の時代の雰囲気だけを少しだけつまみ、そしてみみっちく、それを真似しようとする。これは菓子屋も全く同じである。
 試食が最も大事であるという認識は私もドゥニ・リュッフェルも全く同じである。
毎年、八月一日に来日し、講習会前日の八月五日まで、連日遅くまでの日本の素材による味わいの調整の為の試作が続く。
 そして、我々は、その日はもう他に何も食べる必要がないと思われるほどの、量のある試食を参加者にお出しする。
 そして、ドゥニさんの料理の真の意味を心と身体に焼き付けて頂く。

 しかし、料理の講習では計4日間全体で約50kgのフォンを使う。ドゥニさんが来日してからではこれだけの量を用意するのは困難である。
 事前にこのフォンを作り、冷凍でストックしておくのは、私共イル・プルー料理教室主任椎名と、未だ料理の意味もよく分からぬ教室スタッフの娘さん達である。
 そして、ドゥニさんは殆どいつも彼女達が用意したフォンに満足しそれを使う。そしてその労苦をねぎらうことを忘れない。ドゥニ・リュッフェルはそのような男である。
 いずれにしても、椎名に特別の際立った料理の才能があると私には到底思えない。
 しかし、彼女は忠実に、懸命に、自分の舌を通して、ドゥニ・リュッフェルの教えを理解しようとした。ただそれだけのことである。
 彼の素晴らしい料理の実現の為に、彼女が自らの意志で築き上げてきた舌の感覚が、何かしらの助けになっていることは、ドゥニ・リュッフェルも心から賛えるところである。
 正しい「フォン」の作り方は日本の素材であっても不可能なものでも、難しいものでもない。
「フォン」の本来的な重要性が忘れ去られてしまっているところに問題があるのである。
 料理教室で椎名が試作をし、それを試食することが度々ある。まずかったり、味わいが不充分だったりすることがあれば、殆どの場合は「フォン」が不充分なことによる。
「フォン」が全てを規定するのである。

 彼の作るものが決して時に負けないことの理由の二つ目は、素晴らしい先達のキュイズィニエとパティスィエ達との濃密な精神的絆と彼らのドゥニ・リュッフェルへの愛情である。これが、今の彼の多くの部分を形成していると思う。彼ほど仕事に対して一途で使命感に燃え、他人には寛容であり優しく、先達人達には心からの尊敬の念を持ち得る人を見たことはない。彼はお返しとして先達人達から、彼らの心と人柄の核心に触れる精神を注ぎ込まれたのである。そして愛情に満ちたそれらの眼差しが、ドゥニ・リュッフェルの精神性に比類のない、フランスそのものの正統性を与えているように思える。
 人の心を自分への信頼と思いやりに変えることが出来る。それが彼の最も中心となる彼の人柄である。(アルケストラート)アラン・サンデランス氏、(カメリヤ)ジャン・ドラベーヌ氏、(ラ・ブルゴーニュ)モナシエ氏他の人達の暖かい眼差しを受けたのである。


 フランスで、彼の店のサロン・ドゥ・テで食べる料理も、又、年に一度のイッサンジョーでの研修中に、彼が作ってくれる料理も秀逸である。
 フランスで食べる料理の中でも彼の料理は、飛び抜けている。味わいが常に暖かく、しっかりしていて、その香り、食感、味わいの多様性と多重性は驚くほどの力を持っている。
 かと言って日本の講習会で全てをフランスの素材を用い、この日本で、彼の味わいを再現するのであれば、それはあまりに意味のない講習会である。
 技術講習会は、この日本で、出来る限り日本の素材、手易く手に入る素材を使ってフランスの味わいを正しく再現することに意味がある。勿論、全ての素材とは言わないが、これは常に考えなければならないことである。
 しかし、これはとても困難なことである。
 例えば、野菜。フランスの物と日本の物では、あまりにも大きな違いがある。とにかく日本の物は味がなく水っぽい。人参、玉葱は異常に甘い。全ての野菜の繊維は手抜き壊培により、ゴリゴリの歯触りである。
 肉も同様、全く味がない。水っぽい。
 しかし彼は、彼の料理をかなりの精度で、この日本で再現する。勿論、一度の試作で充分なものを作ることは出来ないが、試作が重なるにつれて確実に味わいが力強く、変化していく。
 これはとても驚くべきことである。
 これを可能にするのは作り手の中にあるイメージと記憶である。
 この料理は、口に入れる前、このような香りがある。
 この香りはこのような広がりを持ち、どのように鼻腔を刺激し、歯に当たった時の歯触りは、そしてその時の香りのからみ具合はどうか、歯に当たっての崩れ方、唾液の吸い方、そしてその時の香り、そして味、どのような味の質が、どのような厚みか、どのように舌に当たるのか、そして香り、飲み込む喉ごし、後の香りの質の長さは、匂いを感じ、飲み下した後の香りまで、この料理はそれぞれの局面でどのような香り、食感、味わいであらねばならないかを全てイメージし、記録されているからに他ならない。
 このようなパネルとなるものが他の頭にあるからこそ、これとは違う不足している部分の調整が次々に可能になるのである。
 何故、このことが私に理解出来るかと言えば、私もまた、お菓子の味わいの作りは全てがこのイメージに尽きると考え、力を注いできたからである。
 しかし、とりわけ日本人にはこれは困難な訓練である。何故なら、これらの連続するイメージの養成は多様性と多重性を理解し、これを心に築くことなのである。 ここでは、詳しく述べることは出来ないが、様々の理由で今の日本人には、殆ど習慣にない別世界での倫理観なのである。
 しかしフランス的なものとは、正にこの多様性と多重性であると私は理解している。
 料理やお菓子は配合に従って機械的に素材を混ぜ、加熱することであると私達は考えてしまう。
 フランスの配合と形で、フランスの素材を使えばフランス的なお菓子と料理が出来るのではない。
 彼の料理の試作に当たっての私の役割は一つである。
 彼の作り方を見て、出来たものを食べ、もし味わいが不充分であれば、素材の状態が良くないのではないかと考え、急いでより良い状態のものを探す。これだけである。
 しかし、次の事を知って頂きたい。
 確かに、日本には多くの外国の素材が輸入されている。しかし、それは変質、変造されていて、料理の質を下げてしまうものが多くあることである。
 むしろ、良い状態のものは極めて少ないと考えるべきと私は思う。日本ではよい素材を探すというよりも、むしろ悪い素材を振るい落とす作業が必要なのである。今回、良い状態になかったものを次にあげるが、例えば、魚のフォンやソースにはドゥニさんは辛口の白ワイン、サンセールを使うが、買ってくる7~8割は変質していて、フォンやソースの味が成り立たないということを知って頂きたい。日本人向けの異常な甘さのバルサミコ酢、殆ど香りの失われたシェリー酒ではどのようにしても味わいは成り立たない。
 常に目の前にある素材の質に疑いを持つことが日本でお菓子や料理を作り始める前に最初にしなければならない重要な仕事である。
 しかし実に情けない話である。

                                                       
 

●シェリー酒

 
 

1本完全に酸化、香りなし

 
 

1本見つける

 
 

●白ワイン、サンセール

 
 

2本完全に酸化、1本香り弱し

 
 

1本見つける

 
 

●バルサミコ酢

 
 

2本香りなし

 
 

1本とにかく甘い

 
 

●コリアンダー

 
 

全く香りなし

 
 

3回目で少しあり

 
 

●セルフイユ

 
 

全く香りなし

 
 

 
 

●オレンジ
 
 (サンキスト)

 
 

全く味、甘みなし

 
 

 
 

カリフォルニアバランスィア(紀伊国屋)

 
 

少し甘み、香りあり

 
 

 
 

●冷凍ブラックタイガー

 
 

全く味、香りなし

 
 

 
 

●ムール貝(明治屋)

 
 

全く味、香りなし   グローバルフィッシュ 少し味あり

 
 

●にんにく

 
 

どれも匂いなし

 

 

(記 2002年9月11日)

第7回 私たちは今どこを漂うのか

今回は今までで最も深刻でかつ絶望的な内容であると思う。
 これから述べることは、ほぼ間違いなく日本の食の領域における全体を客観的に見渡し得るただ一人の日本人の、冷徹なレポートである。

 今年四月から六月にかけて、私にとって人生で初めての経験が続いた。一番目は、私共のお菓子教室のかつての生徒さんであり、韓国へ帰国されたAさんの料理を、この日本でではあるが韓国産の素材で食べることができたことである。
 韓国料理の基本は、「できるだけ多くの素材を」使って一つの味わいを作り上げることであり、その作り方によれば、例え、味わい栄養素の殆ど失われた日本の素材でも、驚くほどの心と身体が欲している料理を作ることができると述べた。
それでは韓国産の素材であれば、更にどのように違うのであろうかという問が私の心に強く湧いてきた。
 Aさんの帰国後、彼女の引っ越しが少し落ち着いたところで、イル・プルー教室主任の椎名を韓国、Aさんの元に家庭料理の勉強に向かわせた。 滞在の途中、彼女から何度か報告の電話が入った。どんな素材も味わいがとても豊かでそれで作られる料理も本当においしく、日本の料理では経験できない味わいがあると伝えてきた。
 普通、日本人は韓国へ行くとなると、多くの人がまずしようとすることは、日本で買うより安いブランド品を買いあさりに出掛けるという。日本人らしさに富んだ、あまりにも愚かな話ではある。
 彼女は、そういったところには目もくれず、とにかくこのおいしさを日本のイル・プルーの皆に伝えなければいけないと、トランクの中にさえもできる限り多くの食材を詰め、自分の身の回りのものよりもずっと大事にして持ち帰ってきた。とにかく自分が知った真実を日本へという、彼女の意気込みは我が門下生ながら素晴らしい。

 帰国の日、早速お菓子教室、厨房、店の全員で教室で彼女が仕上げた料理を、熱のある期待感を持って頂いた。少し以前にAさんの御宅で頂いた、ほぼ全てを日本の素材で作った韓国料理、これも本当に理屈抜きでおいしかったが、今度は更に韓国産の素材によってである。
 数種類の料理が作られた。とにかく、口に運ぶ前から厚い香りが、暖かく漂う。さあ早く食べようと、日頃栄養素に欠けたものしか食べていない身体が意識が、目の前にある料理に対して集中する。口に入れる。頭が意識が、これだ、この味わいだとざわめいている。
 理屈ではない。素材の中に含まれている栄養素と私の細胞の中の遺伝子の記憶とが共鳴しているのだ。全てが本当のおいしさに包まれた時、他に考えることなんて何もありはしない。
 あっという間に全員の顔が確信に満ちた嬉しさに溢れている。
 今の日本ではほぼ経験不可能な味わいである。

 韓国と日本の食材のあまりにも大きな違いは確かめることができた。しかし、その他の国の食材はどうなのだろうか。
 特に、今、経済成長を急ぐアジアの国々はどうなのだろうかと強い思いが湧いてきた。

 生徒さんの中に度々、タイその他のアジア諸国に出掛けている人がいた。二、三日でいいから、一緒に連れて行ってくれと彼に頼んだ。
 そしてタイのバンコクに行くことになった。
 機中二泊、バンコク滞在二日間の正に食べる為だけの日程である。  一つのことを前もって彼に頼んでおいた。
 外人の観光客、あるいは上流の社会の料理ではなく普通のバンコクの人が、通常行くところで普通の料理を食べさせて欲しいということであった。バンコク滞在中彼はこれを私の為に忠実に守ってくれた。成田から六時間、夜の十一時頃バンコクに着いてすぐに、休むのももどかしくタイ料理を食べに連れて行ってもらう。

 朝の四時頃迄開いているという、日本で言えば大衆食堂といったところにまず連れていかれた。彼が頼んだ四種類の料理が次々出てきた。
まず、砂糖の入っていない味わいの新鮮さに、私の舌は久し振りにホッとした。勿論、タイ料理にも砂糖を使ったものはあるとのことであるが、その使い分けははっきりしている。なんでもかんでも砂糖を加える日本の料理とは違う。
 そして、確かに「カライ」、でも、ハーハー言いながらでもどんどん入ってしまう。舌や口に素材がしっかりと語りかける。勿論、あの日本の素材を口に入れた時の素っ気無い、舌と素材がそっぽを向き合っている空々しさなどはありはしない。
 私の意識が食べることに本当に夢中になっていることを意識できている。
 そして、しっかりと食べている。
 食べるに従って満足感が身体と頭に充足されていくのが良く分かる。しかし、日本の食べ物では、何か大事なものが少しも満たされずに、胃とその周辺だけの圧迫感が増し、頭には何となく食べ疲れた感覚がたまるだけである。
 これは二日目の食べ歩きも全く同じ感想だった。
野菜もしっかりとした味わいがある。歯触りもサックリ、シャッキリしている。健康な繊維が緻密に張り巡らされた歯触りである。日本の野菜のあのゴリゴリした歯ざわりなどありはしない。舌の感覚が存在感のある野菜の味わいと一体になって溶け込む。
とにかく、食事の時間がどうしようもなく待ち遠しい。
 そして、様々の果物。私は日本では果物はどんなものでもまず食べない。国産のものは薬漬けの土地、そして手抜き農法、意味のない価値を積み上げてきた偽りのおいしさに侵されている。あまりにもまずく、食べて感じるのはやり場のない空々しさだけでとてもではないが食べる気にはなれない。ゴリゴリの繊維、全く希薄に過ぎる香りと味わい。輸入されるものはただ日持ちのみが優先され、全くの早摘みのものばかり、又アメリカからのものは、果物自体が日本産のものと同様、薬漬けの土地、痛んだ大規模生産に痛めつけられ異常になっている。
 とにかく、私は日本では徹底して果物は食べない。
 タイ産の果物も紀伊国屋あたりから買ってきたものを食べたことはある。
 ライチ、何だかくたびれた、少しの新鮮さも無いものであった。果物の女王と言われる、ランブータン、何かボケた味わいとしか言いようのない訳の分からない味わいであった。
 そしてマンゴー。全く早摘みの、酸っぱい、渋いとしか言いようのないものが多すぎる。

 でも、やはりタイで食べたものは全く違っていた。
 全てが水々しい。ライチなんて、あんなにおいしいなんて想像もしていなかった。大きくて、水々しくて、三~四個たて続けに食べてしまう。深い実のある甘さ、水々しさが、様々のものを豊かに含んでいる。
 バナナ、何とも言えない安心さを感じる味わいと舌触りだ。
 マンゴーも人なつっこくおいしい。心と身体に暖かく迫り溶け込むおいしさだ。
 果物の王様と言われるドリアン。何とも言えない経験の無い、いつまでも、いつまでも心に残る、心と身体を完全に包んでしまう、香り味わい舌触り全てが、あまりに多重性に溢れた果物だ。
 全ての果物が、身体の求めているおいしさを持っている。私はこれらの果物の味わいは絶対皆に知らせなければと思った。ドリアンは勿論通関は通れた。しかし、搭乗の時に、これはあまりにも匂いが強いので持ち込みはだめだと言われた。しかし、私の相棒はねばってくれた。ビニールに包んで、多分機長室にでも預けて貰えたのだと思う。ともかく何とか皆の口に届けることができた。勿論、皆あまりのおいしさに驚いた。

 二日目の昼食にタイ北東部の田舎料理を出すというところに食べに行ったが、そこで食べた鳥肉もとてつもなくおいしかった。
舌に感じる不快な脂肪は少しも無い。胸肩と揚げられた肉の硬さはそれほど変わらない。肉も、そして味わいも締まった豊かさだ。日本の鶏肉に付きまとう口中にベロベロに広がるべったりとした脂肪とその不快感なんてありはしない。
 食べることによって、身体に力が満たされてくるのが分かる。確かに力が湧いてくる。

 ただ一つ、おいしくなかったのは、泊まったホテルでのタイの伝統の踊りを見ながらの食事であった。殆ど強めの辛いものを食べれない西洋人の為に辛さを抑えた巷の料理とは全く異なる変に上品な味わいだった。それでも西洋人には辛いようであった。私達の同じテーブルのオーストラリアから来られた老夫婦は「very spicyvery spicy」と何度も言いながら、あまり嬉しくない表情で食べていた。このディナーは本当にまずかった。日本で食べるボケ味の甘いものであった。
 まあ、これはタイ国民の日常ではない。

 これが二日間の駆け足で食べたタイ滞在の印象である。

 恐ろしいことに私の予感は完全に当たってしまった。絶望感ははっきりと前にも増したが、これを驚く気にはなれない。ただ日本人としての惨めさを感じるだけである。このアジアでも、ずっとずっと日本だけが自国以外の国々との距離感もその時々の自分達の素顔も分からぬままにあらぬ方向にやみくもに駆け続けてきたのである。
 タイの人達の体型は実にしっかりとしている。日本人のように、半ば栄養失調状態と思われる体型の人は極少ない。又私達に多いブヨブヨした肉付きでない、しっかりと締まったたくましい体型である。足もしっかりと伸び、均整の取れた尻、そして豊かの胸の女性が多い。そして男もがっしりした力を感じさせる体格だ。
 もう日本人の体力は、破滅寸前のところまできている。何の栄養素もない食べ物が、子供のままの体型を大人の身体として固定したようなものだ。
 日本のテレビから流れる歌手の力ない歌声は、男も女も大人になる為の変声期さえ失った正に子供の声だ。
 何が、小さな顔に小さな尻なのか、私にはこういう若者の今はやりの男女の体型は、実に気持ち悪すぎる。
 日本の平均的な若者の体型の異常さは外人の中に混じると、よく分かる。パリの空港で、多くの日本人と他の国の人達が入り混じる。
 あまりにも貧弱な病的にしか思えない体型がある。男性の、あるかないか分からない少しの厚みも膨らみもなく下へストンと落ちる直線的な腰、そして、情けない枯れ枝のような両脚。
 こんな腰、脚、身体つきでは元気な精神なんか育つ訳がない。
 女性の、例えにすれば、もやしも怒り出しそうな、子供じみた頭、胸、腰。
 身体からエネルギーが少しも感じられない。今にもへたりこみそうな雰囲気のみの身体。
 こんな未熟な発達の腰で、赤ん坊を十ヶ月も健康に宿らせておける訳がない。こんな貧弱な身体の中には若いうちからすぐにでも何らかの病気になりそうな子宮や卵巣しかないのは明らかだ。
 様々なところから、日本人の奇形児の発生率が確実に上昇していると聞く。
 本によっては、先進国の中では、他の国の二十倍と言う人もいる。でも、これは私には少しもオーバーとは思えない。
 又、赤ちゃんが無事に五体が揃って生まれてきても、肉体的にも精神的にも、元気なエネルギッシュな、自分の人生を自らの力で切り開こうなどという子供に育つ訳がない。

 朝、学校へ向かう日本の子供達、小学生、誰もが皆肩が落ちている。弱々しく、前にかがみながらトボトボと歩いていく、顔には子供らしい表情など全く無く、無気力だけのくすんだ表情しか見つけることは出来ない。 肌は子供らしいしっとりとしたキメなどない。
 とにかく、私にはみすぼらしくくすんで見える。
 あの弱々しい無表情さは、何の疲れを引きずっているのだろうか。

 スペインのマドリッドゥのピカソのゲルニカが展示してある王宮美術館へ来た小学一、二年生の子供達、瞳はキラキラ輝き、はち切れんばかりの元気が身体中に感じられる。明るく、とにかく両親を自分が生きている世界を信じ切っている表情だ。個人と個人の間には暖かい熱がある。あまりにも違い過ぎる。
 日本の子供達には、ただひたすらテレビゲームに浸り、今のこのどうしようもない状態を更に悪化させること以外にできることなどあるのだろうか。

 五月には、前回「百年の恋 三ツ星レストラン‘トゥロワグロ’」で述べたように、フランスの素材・料理を、そして六月にはスペインを車で回り、様々のものを食べることができた。
 勿論、フランスでの素材の力強さ、身体が欲するおいしさについても既に何度となく述べた。しかし、スペインの産物はそれ以上に様々の要素が濃密なのである。
 それは地質、雨量などの違いによるものであると思われる。
 この頃はマスコミでスペインがブームとなっている。しかし、どれだけの日本人が本当に、あの味わいの力強さを理解しているのか疑問に思う。 私は、フランス菓子の素材を捜し求める中で、スペインの素材の凄さを認識してきた。
 そして、素材に甚だしく栄養素の欠落したこの日本で、私の選んだ素材が、そして、それによって作られたお菓子や料理が必ず私達の身体に、勿論充分ではないが、何がしかのものを与えてくれると考え、素材探しのシフトは既に数年前からスペインに移している。
 アーモンド、ヘーゼルナッツ、栗、黄桃、杏、殆ど全てのものが、フランスの素材の力を上回ると私は考えている。
 牛乳なんて、飲んでいると、今正に、豊かなミネラルや栄養素が、ワイワイガヤガヤ騒がしく、自分の身体に流れ込んでくるのが分かる。
 カタルーニャ地方のレリダで食べた小粒のエスカルゴ、あの旨さは、私と、初めてのスペインの土地で初めて会った人との出会いも実に容易に、和やかなホッとする食卓にしてしまう。
 フランスと日本で知られた、クレーム・ブリュレの原型となる、カタルーニャ地方の「クレーム・カタラン」要するに、これは表面に砂糖を振って焦がしたプリンである。
 誰にでも作れる実に簡単なお菓子である。しかし、1回目のスペイン旅行、カタルーニャ地方のある町で地元の人が行く気楽なレストランでデザートにこれを食べた時、世の中にこれほどにおいしいものがあるのだろうか。私の心と身体の全てを集中させてしまうものなどあるのだろうかと、気が遠くなるような感動を覚えた。生涯忘れ得ぬおいしさであり、嬉しさであった。
 日本で、何とかあの夢見るような味わいを再現しようとしたが、それは全くかなわぬ愚かな試みだった。絶望的なほどの素材の違いが立ちはだかる。
 こんな素材をいつも身体に取り入れている町で見る一人一人のスペイン人は、またフランス人とは違った堅牢な精神と身体のエネルギーを漲らせている。
 外にははち切れんばかりの意志かエネルギーが、瞳に溢れている。
 死の直前までも超人的な精神と体力で制作活動を続けたピカソは、スペインの食材が作り出した、スペインの意志であると思う。決して日本の食材の中にあのような超人は生まれない。

しかし、私達日本の国土はその土に含む少な目のミネラルで勿論エネルギッシュとは言えないが、柔和な個性を私達に与えてくれた。自然を従えようとは望まない、自然と光の裏表をなす存在として、自然と融合することを望む国民性を作り上げてきた。それがこの日本の地に住む人々のかつての同質性であったと思う。しかし、そのような私達日本人の根幹である自然との同質感は、自然と食べ物を野放図に浪費し、蹂躙し続けてきたことによって、もうとっくの昔に跡形もなく失われてしまった。

サッカーのワールドカップは日本の善戦と韓国の素晴らしい活躍で終わった。
 新聞に、日本のJリーグに在籍していたことのある韓国チームの主将のコメントがあった。「韓国と日本のチームの戦敗の差は2つのチームの体力の差が一番の要因であると思う。」とあった。
 勿論、一試合を戦い抜くことも、私達普通の人間には信じられない体力と精神力がいるのだろう。しかし、それを更に何日も続け、良好な状態に維持する為には更に想像を絶する緊張感があるのだろう。これに持ちこたえるには強靭に作られた内臓、身体、それから生まれる精神力しかないのは明らかだ。しかし、日本チームの選手の身体は、あれが限度だったのかとも思う。

確実に日本人の精神と身体の力は甚だしく落ちている。くだんの韓国のAさんは、「日本の男性はとても優しく見える。でも、韓国の男性は恐いくらいです。韓国の女性はもっと行動的ですし、日本の女性は本当におとなしい。」と言われる。これはとても気を遣われた言葉であると思う。つまり韓国人の身体からは意志とエネルギーが強く発散されているが我々にはそれが無いということなのである。でも、あれだけの差が二つの国の食材と料理の間にあるのだからこれは全くうなずけることだ。
 でも、サッカーはとりあえず頑張ったが、日本古来の国技「相撲」はもっと破滅的なところに来ている。
 元々、相撲取りの身体作りは、本来の健康の為にあるべき姿とは逆の方向に向かって作り上げられていく。とりわけ脂肪を無理矢理に身体に溜め込んでいく。元来、臓器の頑強な人でも、より若い年齢から器官への負担は過酷となり、老化はかなり早くから始まる。つまり、頑強な器官があってようやく、身体が壊れるギリギリのところで体力を維持するのである。しかしこのように元々身体の為には理不尽な身体作りが、栄養素の欠落した食材で育ち、貧弱な身体器官しか持たぬ若い力士達に本当にできるのだろうか。
 身体に水っぽい脂肪だけはついても、それを支える骨や筋肉は、本来の強靭さしなやかさは持ち合わせていない。
 すぐに身体にガタがくる。故障は当たり前としか言いようがない。どれだけ稽古を積んで、筋肉質の身体を築き上げても、もう、筋肉には本来の相撲取りとしてあるべき力は生まれて来ないのである。
 栄養素の欠落した野菜や肉をいくらチャンコ鍋で胃に詰め込んでも、水のような脂肪が溜まるだけなのだ。今場所は、休場者17名、これは彼らの不精進の由ではない。正に、日本の現代化がもたらした結果なのである。 モンゴル出身の旭鷲山関の活躍。これは日本以外の地で健全な食材によって作られた健全な器官を持った者が、精進した、当然の結果である。
 この外国出身の力士の活躍傾向は今後更に強まるだろう。又、相撲は日本人の体力ではもはや維持できないスポーツとなり、何年後かには外国人力士と日本人力士の比率は今のものと完全に逆転するかもしれない。そして、日本の国技の意味もやがて失われるかもしれない。

 このことは、「破滅の淵の裸の王様」で述べた二十年後の日本の予想が、決して大げさなものでなく、実に現実的なものとして浮かび上がってくる。

 「二十年後、国民の総体が身体的に精神的に劣化し、この国のあらゆる領域を私達自身では、維持できなくなり、より多数の外国人が、主要な地位を占め、やがて日本という実体は消失するであろう。」

(記 2002年8月11日)

 

第6回 百年の恋 三ツ星レストラン“トゥロワグロ”

先月私は十人ほどのお菓子屋さんと共に、リヨンからスイスの国境に向かって二時間ほどのフランス中部、オーベルニュ地方の高地にあるイッサンジョーという小さな村にある国立製菓学校で研修をした。
 研修の中休みの週末に私は参加者と共にリヨンの周囲を観光に訪れた。
 その中で、私にとって、最も大きな心躍る期待は、リヨンからロアンヌのミシュランのガイドブックで長年に渡り三ツ星の評価を得ているレストラン、“トゥロワグロ”での食事であった。
 しかし、実は私は、ミシュランの料理の評価は全く絵空事の、全く意味のない空間だと考えている。つまり、ミシュランの星が増えれば増えるほど料理は無意味な繊細さに富んだもの、一口で言えばまずくなると思っている。
 これは、推量ではなくそれ迄の実際に著名な星付きのレストランでの経験から得られたものである。勿論全ての著明な星付きレストランを回った訳ではない。幾つかである。しかし、僅かな経験であっても、ミシュランが評価するものの実体は私にとってはあまりにも明らかである。
 私が実際に食べた著名なレストランと言えば、まず私が二回目の研修でフランスにいた頃、地方からパリに上がって二・三年で二ツ星を取ったことで有名になった、“デュケノワ”が最初である。シェフのデュケノワ氏は度々日本を訪れ技術講習会をしている。
 しかし、その料理は、気の抜けた、さしたる何の印象もなかった。ただ、だらだらした味わいの料理だったということしか、私の記憶にはない。
つまり、二ツ星と評価する意味がどこにあるのかといった類のものであった。決して当時未だ私がフランス的なものを理解する力が無かったからではない。

 そして、ジョエル・ロビュッション氏の一番目の店“ジャーマン”である。この頃は三ツ星を得て間もなく正に話題の中心にあるレストランだった。パリにいる日本人のキュイズィニエ(料理人)も、全ての人が口を揃えて絶賛し、又、フランス人の料理人も親指を立てて、「あそこはビャンだ(とても旨い)と、はっきりと断言するほどの評価であった。
 そして、ここに知り合いの日本人が厨房にいたこともあって、一月先まで予約で一杯であるとのことだったが、運良く昼食に予約することができて出掛けた。どの様な新しい経験ができるのかと大きな期待に溢れた着席だった。
 しかし、ここのギャルソンはあまりにもふざけていた。未だ、お客の数が少ない時間からか、あるいは私達が日本人だからか、お客が食べているすぐ前で大きな音を立てて鼻は噛むは、上着を大きく広げてベルトは締め直すは、こんなことがあるんだろうかと目を疑ってしまった。
 本当にこれが今をときめく、三ツ星レストランのサービスをするギャルソンなのか。こんなずぼらなギャルソンのいるところの料理が、人の心を打つおいしさなど本当に持っているのだろうかと思ってしまった。
 初めのアミューズ・ブーシェは串に刺した小さな味のしない焼き鳥、「ん、なんだこりゃ、オラ、こんなの喰いに来たんじゃねえぞ。」それが料理への第一印象。出てくる料理は妙に無神経に軽い、味わいの明るい面だけを単純に強調した、作り手の意志など少しも感じられない料理であった。ワインも訳の分からぬ、口に入れるとピョンと味わいの消えてしまうものであった。別な言葉で言えば、子供じみた精神と味わいの膨らみの少しも感じられない料理であった。
 次はやはり、今もそれなりの好評を得ている“ランブロワジー”であった。あると言えば、時代への小利口さだけだった。
 拙著、「破滅の淵の裸の王様」で述べている様に、時代に媚びる事に徹した、正にトリックとしか言いようのない味の組み立てが全てのものであった。
 つまり、その料理は、マスメディアに見られること、評価されることのみを目的として作られた料理なのである。それを食べる人達の為の料理ではない。
 マスメディアを意識すればするほど、料理は身体の為のおいしさからかけ離れていき、頭でっかちの料理、頭のおいしさだけのものとなる。一口で言えば、才能と努力など元から必要としない時代へのすばしっこさのみの料理となる。
 特に“ランブロワジー”の料理は、本来決して逸脱してはならない、最も基本的な料理を作る上での倫理を完全に冒?することによって時代の寵児を演じようとしている。つまり、素材からあらん限りの手法を駆使して、素材の持つ、個性、栄養素を捨て去るのである。そして、あたかも、鏡の中に、別な世界の虚像を作り出す。これは私に言わせれば「神に淫する行為」としか思えない。
 しかし、この料理法は、第三回目のエッセイで述べた、今この日本にも蔓延している、柳原一成氏らの懐石料理と同じ手法なのである。
 そして、やはり三ツ星の、ボーヌの“ラルムワーズ”。ここの料理を食べた時には、このミシュランの評価の基準の本質を見たように思えた。
 その料理は、“ランブロワジー”の全くのコピーの料理だった。
 それは、微に入り細に入りあまりにも見事な、完璧な模倣であった。しかし、品のない、ふしだらなコピーであった。確かに、“ランブロワジー”の料理はあってはならない手法による料理とはいえ、良い悪いは別にしてそれを最初に作り上げた人には何がしかの時代に光る力はある。しかし、この“ラルムワーズ”の料理はクレアスィオン(creation)創造ではない。
 完全な新しさなど何もない。全くの新鮮な表情のない、二番煎じの料理なのである。
 ここにこのミシュランの評価の基準の無定見さを見る。
 以前、ミシュランのガイドブックの編集長が日本に来て講演を行ったが、最も重要な基準は創造性であると言っていた。
 しかし、“ランブロワジー”の料理は、当時のフランスの食に、経済的状況から来る閉塞感の中で、その時代を、それ以前からあるものをすばしっこく否定しようとしたその時代に与えるものなど何も無い徒花にしか、私は思えない。料理を作る上で決して忘れてはならない素材から要素を少しも逃がさないという最も基本的な考え方を、ただ雰囲気の中で否定しただけのものだった。これは創造ではない、あまりにも軽はずみなすばしっこさだけのものである。
 ミシュランのガイドブックの編集者は創造性という言葉の意味を理解していない。
 ましてや、“ラルムワーズ”は程度の低い、下品な真似である。更に創造性など少しもありはしない。
 この意味で、私はフランスのレストランの星が増えるほど思い込みだけの繊細さとやらがやたらに頭を持ち上げ、料理がまずくなると考えるのである。
 私は金と暇をもて遊び、あちこちの有名レストランを回る、自称食通とか、河原こじき同然の食の評論家ではない。その近くに行った時にその土地のレストランを訪れる程度のものである。星などなくても、心に残る料理を食べさせてくれたレストランは沢山ある。
 私はフランスなどで各地を訪れた時はできるだけ、地元の人達が行く所を聞いて行くようにしている。
 その土地土地の料理には、必ず心と身体が求めていて、そして嬉しく感じる心に残る味わいがある。
 私は料理の名前など割合忘れてしまうが、心に暖かく残るそれぞれの料理のふんわりした印象はずっと消え去ることがない。
 しかし、二つの三ツ星レストランは例外であった。
 一つはボーヌの伝統あるホテル、“セップ・ドール”のレストランであった。
 豊かでしっかりした、少しの切れ目のない、香り、食感、味わい、全体は意志を持って太く大きく収束されていた。一切れ一切れの料理が、口に入る度に、しっかりと自分の個性をとつとつと語りかけてきた。
 あのあまりにも力強い印象に私の心はしばし金縛りにあったように微動だにしなかったことを覚えている。
 そして、理屈なく、私は強く強くフランスを感じた。

 もう一つが今回訪れた“トゥロワグロ”である。
前回初めて訪れ “サラ・マンジェ”(ダイニングルーム)に足を踏み入れた時の印象は今でも鮮烈に私の記憶に残る。
 心地よく、ピンと張り詰めた空気があった。それは少しの押し付けがましさも、少しのわざとらしさも、重苦しさもなく、これから素晴らしい出来事が間違いなく訪れるという予感に溢れていた。若者のギャルソンの清々しくきりっとした動きが、その予感を増々強いものにしてくれた。
 料理が運ばれてきた、テーブルの2~3m手前からもう、豊かな香りが料理から流れてきた。そして、もうそれまでの予感は全くの現実のものになった。胸が騒ぐ、両方の目が嬉しくしっかりと開く、何かとんでもない幸が目の前にある。
 改めて、顔を近づけ胸いっぱいに香りを吸う。その香りは私の心と身体の隅々まで流れて行き、やがて私の脳天を突き抜けて、多重性と多様性を持って、揺らめき、たゆたいながら立ち昇る。私の中にある無限の遺伝子に、一つ一つ語りかけているのだ。
 そして、大きな広がりを持って共鳴する。
 これは正しく、トゥロワグロ兄弟の意志が組み立てた、神の領域にまで達しようとする創造の空間であった。
 それにしてもこの広がり、たゆたう、多重性と多様性は、今迄の自分には、日本人としての意識の中では遭遇したことのないものだったのだ。そうだ、これがフランスなのだ。フランス的な菓子の作り手としての、私のこれから進むべき道筋がおぼろげながら見えてきたように思えた。
 しかし、それはあまりにも遠く大きく崇高な創造の空間であった。
 あの多重性の極みに、いつか自分が少しでも触れることができる日が、どの様にしても来るとは思えない。長い人生の中でもそれほどはないと思われる素晴らしい夢の翌日からは、逆に、失望感が私を押しつぶし始めた。
 私の意識と、昨夜の料理のそれとは、あまりにも大きすぎる隔たりがある。余計な試みはもう止めにしよう。どんなにあがいたって日本人は日本人さ。そう考えることが全てであった。

 しかし、この多重性は、私の心に深くしっかりと沈み込み、それ以後の自分の仕事の中に常に無意識のうちに、意識されてきたように思う。
 間違いなく、私のお菓子を作り上げた最も大きな要素であると思う。

 “トゥロワグロ”の料理への憧れは常に私の心にあった。いつかもう一度と思いながら、なかなか機会がなく、行くことができなかった。
 今回企画したイッサンジョーでの二コースの研修の合間の三日間は長い間の思いを晴らす、正にその為にあったように思える。三ヶ月程前に予約を取ることができた。

 しかし、あれから既に十数年の歳月が過ぎている。当時は、トゥロワグロ兄弟のピエール氏が亡くなって、弟のトゥロワグロ氏と、その息子が料理を作っていた。
 今では勿論、その息子のトゥロワグロ氏が料理を仕切っているのだろう。
 又、「味は一代」と言うことも私は充分に知っている。料理は以前と全く同じということはないだろう。無理ではあろう。しかしそうあって欲しい。しかし変わったとしても、あの時の多様性の面影が未だ少しでも料理に残っていれば、それだけでもとても素晴らしいことではないかと、はやり立つ心を静めようとしていた。
 ロアンヌの近くを観光した後に、“トゥロワグロ”に着いた。
 部屋に入る。以前泊まった部屋とは大違いな立派な広い部屋、豪華な部屋である。
 一つの部屋のテーブルの上には細長い小さな器に、プティ・フールが三個置かれていた。
 一つをつまんでみる。まずくはないが、二つ目はいらない。少しちぐはぐなものを感じた。
 添乗員の方から電話が入る。今日のメイン・ダイニングルームはいっぱいなので、朝食の為のホールになるということであった。
 彼女も本当に困って、実に申し訳なさそうであった。駄目だと言ってもしょうがない。「いいでしょう」と答えた。受話器を置いてから無性に腹が立ってきた。三ヶ月前からの予約である。レストラン側からは少しもその様なことは言ってきていないのである。多分日本人の団体ということで完全になめられているのだろう。
 しかも「その代わりに厨房とワインのカーヴを見学させてやるから。」と言うのであるから馬鹿にしている。
 しかし、少し冷静になれば、レストラン側の考えも分からないでもない。
 特に日本人の団体は、初めは借りてきた猫のように大人しくしているが、アルコールが入ってくるとワッハハーのゲーラゲラ、挙句に足を大きく組んでしまい、あっという間に、その場の雰囲気を壊してしまう。とにかくあちこちで嫌がられるような事を繰り返してきたことは事実なのである。
 ある有名なレストランは雰囲気が壊れてしまうので、一度に五人以上の日本人は入れないところもあると聞いたことがある。
 前に述べた“ラルムワーズ”でも、酔ってバカでかい声で話す三人組の日本人がいた。
 前回の“トゥロワグロ”でも、団体の日本人客が同様の有様で、更に一人がビデオを撮るのにテーブルの周りをうるさく駆け回っていた。
 「井の中の蛙」の日本人は、恥を知ることなく日本の常識を外国に持ち込む。サラリと何気なく「郷に入れば郷に従う」ことができない。その様な経験も、そうしようという心の大きさも持たない。
 自分達に常識的な行為であっても、それがその国の人達にとって、札束で頬をひっぱたくと同じ程の屈辱を与えているとは気付こうとしない。
 西洋ではどこに行っても日本人は、ちっちゃなみすぼらしい黄色い猿と、又アジアでは傲慢な、本当は来て欲しくない存在であると感じる人が多くいることを知ろうとはしない。
 ただ、金を落としてくれるから、それだけで彼らは我々の我のままを我慢しているのだということを知ろうとはしない。

 まあこんな事を思い起こすと、レストランの処置も当然と言えば当然だ。ここは素直に従うのが筋と自分に言い聞かせた。

 六時、レセプションの前に集合、それからメイン・ダイニングルームを通って厨房へ、ああやっぱりこっちで食べたかったな。とても悔いが残る。
厨房へ通される。確かに広くて立派なキュイズィンヌだ。金をかけて可能な限りの設備を施しているのだろう。
 しかし、そこには私の心に迫る意志のある緊張感は少しも感じられない。仕事の少しも分からない高度な意志や技術など少しも必要でない単純労働の為の子供達がただいっぱいいて、とりとめもなく動き回っている、そんな感じであった。
 奥から、トゥロワグロ氏が来た。小柄で、黒い濃いヒゲを蓄えている。写真で見たことがあるその顔が今、目の前にある。しかし、目に落ち着きがない、少しも迫るものがない男であった。そういえばあの目は“オテル・ドゥ・ミクニ”の三国氏と同類の目だ。前回訪れた時にテーブルを回った彼のおじさんは、どっしりとした、自信に満ちた、人を包み込んでしまう素朴な大きさがあった。それとは全く無縁の表情だ。
 私は彼の表情と厨房の印象で、私達がこれから食べるのであろう料理の予感は充分に得られた。
 そして、カーヴに案内された。常時、何万本かのストックがあると言う、立派な、特に何も知らない日本人であればこれだけで感激してしまうカーヴであった。そして、その入り口の砂利を敷いた年代物のワインが飾り付けられたカーヴで、シャンパンが配られ、アペリティフとなった。
 中華料理の蓮華に一つずつ三種のアミューズ・ビューシュが小綺麗に盛られていた。
 一つずつ、三~四人の女性に勧められ、口にする。「ん、何の味もしない。」
 もう、これから後の料理は完全に理解できた。
 二十分前程で、アペリティフの儀式は終わった。
 どうせ味の分からない日本人には、大スターのムッシュ・トゥロワグロを拝ませて、そして、もったいをつけて立派なカーヴを拝ませてやって、仰々しく飾りつけたカーヴでアペリティフを飲ませれば、もう彼らはそこで感激し、大満足なはずだ。そこでもうここの凄さに畏縮して緊張の極みに達するはずだ。
 そこは間違いなく、私達日本人団体客をまず圧倒し、暗示にかける為の場所なのだ。

 そして、朝食会場へ。真中に楕円形にテーブルが作られ、余った椅子が、部屋の端のほうに、一つの椅子の上にもう一つの椅子がひっくり返ってのせて、無造作に十個ほど置いてある。おーおー、日本人の団体客にはとてもふさわしい設えだ。
 もったいぶった説明の後でワインが注がれた。味の短い、お世辞にもおいしいとは言えない、マイナス三ツ星でも飲めるような味わいだ。この後も数は出るがおいしいと思うものは一つもない。
 料理はどうか、コメントに値する料理なんて何一つなかった。味があるのかないのか分からない、まるで日本の平均的な味わい以下のレストランで食べている様なものとしか言えない。しかし、器だけは凝っている。厨房とこの朝食会場全部が繋がりのある演出であり、まるで劇の流れのようだ。しかし、料理は主役ではない。その場その場のシーンの為に、形作られていく、一つの流れの中の、完全な小道具になっているのだ。
 大きな皿の中央に、四角い窪みがあり、そこに味のしないコンソメが流し、固めてある。完全にジュレは、皿を演出する為の付属的なのだ。確かに器は次々に手を変え、品を変え、色んな高そうなものが出てくる。
最後のコーヒーカップがこれまた、大きな立派な大皿にちょこんと下らない思い込みと傲慢さをまとって乗って出てくるのには苦笑いしてしまった。
 とにかく訳の分からぬ食べても食べなくても良いような料理が次々と出て来た。 それらしい造りの部屋の中で、それらしい流れの中でギャルソンが、その都度、大仰々しい皿に盛られ形だけに気配りのなされた料理を出して、そして私達はうやうやしくそれを頂く、皿から、料理の出す流れ全てが演出されているのである。 いや、トゥロワグロ兄弟のやはりあの料理はあまりにも凄過ぎたのだ。二代目のボンボンには、到底到達できない領域だったのだ。確かにあの多様性と多重性を作り上げるには超人的な意志がいる。今のシェフであるトゥロワグロ氏自身も、彼の周りの人達も、それを彼の代にまで続けることは不可能であることは当然既に理解したのだろう。
 今のトゥロワグロ氏の料理にはもう人を集める力はないのだから、それなら体面と客の数を維持する為にお客に食べてもらうということを、仰々しい一つの流れにデザインしようとしたのだろう。

 他人の目をくらます形式を作ろうとしたのだろう。
 それは仕方がない。そんなところに勝手に来たのは私なのだから。しかし、その様な料理しか出せなくなっても、以前の“トゥロワグロ”という名前の七光りに頼り、全く以前のものとは違ったものに変質してしまっても、昔と変わらぬ凄い料理を作っているんだというこのレストランの態度にとても腹が立ってきた。
 しかし、この様に感じているのは私だけではないのは明らかだ。何となく盛り上がらない雰囲気、「ワァーッ、おいしい」などの言う感嘆の声はどこからも湧いて来ない。「これ本当においしいのだろうか。」と皆が疑心暗鬼で食べているのがありありと分かった。私は彼らに対しこのディナーを企画したことに申し訳なさを既に感じ始めていた。
 料理が終わり、後はデセールという所に来てしまった。何か情けない。
 トゥロワグロ氏が挨拶に朝食会場に来た。
 一瞬の表情のない沈黙があった。
 通常は彼は華々しい拍手と称賛の言葉で迎えられるのだろう。
 そして今回も彼は当然その様に迎えられると、面倒くささを抑えながら来たのだろう。
 それが何もない。いつもと違う光景に彼は大きくたじろいだのが誰の目にも理解できた。
 私は彼に言った。
 「Monsieur, ily a une question!」 (ムッシュ、質問が一つある。)
 「La cuisine que nous avons mange, cest la meme que la cuisine dans la sall a manger principale?
 Les plats netaient pas cuisines pour les Japonais?
(私達が今食べた料理はメインダイニングで出されるものと同じものなのか?)   (それとも日本人の為に作られた料理なのか?)
 彼は明らかにうろたえた。
 彼は、この様にメイン・ダイニングから隔離したことに、客に不満があることは良く知っているのだろう。聞いてもいないことに答えた。
  「En groupe tojour ici , et les plats sont pareilles.
  (グループの場合は常にここで食べてもらうし、料理は同じものだ。)
  私は更に言った。
 「Il y a quizaine danee, je suis venu ici manger et la cuisine etais braiment excellente, cest la meillu souvenir daus ma vie, Mair, trop de changeiment.
 (15・6年程前、私はここに来たが、その時の料理は私の人生の中で最良の思い出になる程に素晴らしいものだった。しかし、今はあまりにも変わり過ぎてしまった。)彼は慌てて言った。
 「Non beaucoup de progres aussi.
 (いやむしろ多の進歩があると思う。)
 私はことさら不満気な表情を見せて、それには答えなかった。
 彼は更に動揺し、「貴方は東京から来たのか、私は東京へはよく行く。新宿、渋谷?、ムッシュは名刺を持っていないか、今度東京に行ったら寄ってみる。」
 成り行きからして、全く関係のない言葉が、私を懐柔して、その場を取り繕う為に告げられた。
 後はどういう会話があったか覚えていない。
 彼は出て行った。
 勿論、その後はしばらく沈黙だ。しかし、皆も同じく感じていることを言っただけである。部屋中に結束感のある思いがあった。

 さて最後のデセールが来た。
 「何だこれは。」缶詰のサワー・チェリーが、脂肪を入れて少し歯ざわりを軽くした四角い二枚のヌガーの間にはさんであるのがある。これがデセールか、お菓子か。
 私はあまりに低劣な、ふんぞり返った作り手しか想像できない、デセールに一度にカッと来た。
 ずっとサービスをしていたギャルソンに私はこう言った。
 「Monsieur, vous allez transmettre ce que je dis, s’’il vout plait, a Monsieur Troisgros et au chef de la patisserie, ce n est pas le dessert agreable. Mai Je suis patissier. Je ne peux jamais lacceptar.
 (ムッシュ、私の言うことを今トゥロワグロ氏とパティスリーのシェフに伝えて欲しい。このデセールはおいしいとはとても言えない。私はパティスイエとして、この様なものを受け入れることができない。)
 彼は申し訳なさそうな顔をし、言った。
 「Oui monsieur daccoid.
 (はい、承知しました。)
 これが、三ツ星レストラン“トゥロワグロ”でのディナーの顛末である。
 翌朝、会計の時にレセプションで、名刺を置いて、こう言った。
 「Monsieur Troisgros ma demande de laisse ma carte.
 名刺を置いて行けと言われて置かずに、どこの誰とも名乗らずに去るのもおかしなことだろう。

 これは、ミシュランのガイドブックと、既に巨大な名が確定しているレストランとの関係である。
 星を取り上げたくても恐くてできない繋がりが確固して確立しているのである。
 それとも、あの一連の虚構の舞台も、やはり創造性なのだろうか。
 勿論、料理、サービス、レストランの内装すべてを加味しての評価であるというのは分かる。
 しかし、“トゥロワグロ”と言う名前の総体の中で、料理の役回りが完全な脇役では話にならないし、評価の対象にならないはずである。

しかし、この様な有名レストラン、シェフとのガイド、評価の本との関係は日本ではもっと甚だしい。“グルマン”、“エピキュリアン”、全てそうである。それらの人々が実体を伴っているかいないかに関わらず、高名な数名のシェフにピッタリとすり寄り、おだて上げ、虎の威を借り、あとは、その他のより力のない下々の者どもをバッサリ切る。これが全てなのである。
 もとより、これらの日本の評論家に、客観的で深い正確さを持った味の判定などできる訳がないと、様々の客観的事実が私に教えている。
 ただ、少し筆が立つ、それだけである。書いた本人達も良く分からない。意味不明な言葉を羅列して、読者を、そして特に料

理人を煙に巻き、ひれ伏せさせる。これが彼らのやり方なのである。

(記 2002年7月5日)

臨時エッセイ お菓子教室のある生徒さんからの告発

第一回目のエッセイに於いて医療の分野での「生命の搾取」について述べたが、この様な実態を示す一つの告発文を提示します。

これは決して他人事ではありません。いつ実際に身に降りかかるか分からない、実に身近なことなのです。あるいは、この様なことに既に遭遇していながら貴方はただ気付いていない。ただそれだけかも知れません。

「生徒さんからの告発」

 2001年、7月9日に夫が20年来のひどい水虫と決別すべく病院に行くことを決意したため、私も時々かゆくなることと、かかとの乾燥が気になっていたため近所の秋元病院を訪れました。そこで私が受けた診察とは、皮膚の採取をされることはなく、ただ肉眼のみの検査で1~2つポツリとあった発疹を診て「水虫」ということになりました。
塗り薬と飲み薬が処方され、薬についての説明は「最近の飲み薬は昔と違って良くなり、とても効きますよ。」ということでどの位飲めばいいのかと尋ねると、「3か月位かな」と答えただけであった。こんな軽度の水虫の私が3か月も飲んでいい程、負担の少ない薬なのだと理解しました。
処方箋を持って調剤薬局に行くと「イトリゾール50mg」と「アデスタンクリーム」が出され2人分で薬代が保険(3割)がきいているにも関わらず、たしか2週間分で1万円程したことと記憶しています。手持ちの金額が足りず、家にお金を取りに戻ることを告げると薬剤師は先生から薬の説明がなかったのかと驚かれ、「イトリゾール」という薬は金額と内容について、説明があるべきものだとおっしゃっていました。深くは尋ねませんでした。
1週間、服用したところ、朝、じんましんが少し出ていたので、普段じんましんのでる体質ではないので薬かと思い、秋元クリニックに電話をしたら「飲むのをやめて、しばらく様子をみて下さい。」とのこと、夕方には全身に広がり、夜は眠ることができませんでした。
早朝、「日赤」の救急にかかり点滴を受け、一応半日程は鎮まっていたものの夜再び救急への逆戻りで少しも良くならず薬疹」と診断され、その後日赤の皮膚科に行くことを進められるが、近所の内科を訪ね薬を出してもらい峠を越しました。

しばらくたち、気持ちが収まらないので秋元クリニックに電話をしたところ看護婦が電話に出て、「厚生省に報告の義務があるので来院して下さい。看ますので。」と言う「他院で看てもらったので結構、院長に代わって下さい。」と言うと、5分以上待たされたので電話を切った。
1年近く経った現在でもじんましんは出るし疲れやすい。こんなことになるんだったら皮膚科なんて行くのではなかったと思います。病院に対して信頼意識が高く、まさか医者が高額な薬を買わせようとか、患者の身体のことなど気遣かわないとかあるはずがないと思っていたのでショックでした。もっと薬のことを深く認識するべきでした。
医者にかかる時は、自分で自分を守るため、本当に納得いくまで説明を受けることだと学びました。

そして、もう医者に行くのが怖くなり、本等で治療法を探し、自分でやってみました。
かかとのカサカサは、入浴中、よく足を洗い、木酢液で足浴し、保湿性の高いハーブ液でかかとを充分に潤し、尿素パウダーを溶かしたものをよくすり込み、最後にオリーブオイルや、ホホバオイルを塗る。以上のことを3か月繰り返すと、頑強だった私のかかとのカサカサ、主人のめくれあがった、水虫歴十数年の汚らしい足裏は、きれいになりました。

医薬品に頼らなくても、治るものです。

(
治療法について)
 知人に紀州備長炭を焼いている人がいて、炭を焼く時にできる「木酢液」が、とても殺菌力があり、水虫にも効くというので、木酢液で、足浴することにしました。
 ある日、テレビを見ていると、私のように、かかとがカサカサになっている人の治療方法を放送していました。きれいに足を洗った後、水分を充分足裏に与え、尿素パウダーをすり込み、オイルで乾燥を防ぐというものでした。
 以上2点を組み合わせて実行しました。

「秋元クリニック」 東京都世田谷区代田1-45-3

この告発文の作者は私共イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ、フランス菓子教室の生徒さんである。
 彼女からこの話を打ち明けられた時に、私は、次に述べる理由からこれは必ず公表しなければならない性質のものだと感じた。
 殆どの人がそうであるように、医者というものを信じ、少しの疑いも持たずにその指示に従い、この様な結果を与えられ、今も未だその後遺症に苦しむ彼女の無念さは誰が晴らすのだろうか。
 一般の人達は、この様に重大な後遺症でもなく、言葉は良くないが中途半端な程度の医療事故では訴えることもできず、ほぼ泣き寝入りしか道は残されていない。
 しかし、この事例はあまりにも大きな問題をはらんでいるように思える。
 決して、この医院の医師だけのことではなく、日本の多くの医師の心に蔓延している平均的な感覚であると思う。
 正しくこれは、あからさまな「生命からの搾取」である。そして低劣でかつ悪辣な金儲けのみを至上の価値と考えるパーシャリスト(部分至上主義者)である。少しも他人の生命への、健康への気遣いは感じられない。
 まず幾つかの、重要な点を指摘しよう。
 勿論、皮膚科の専門医なのであるから、肉眼によって、皮膚病の種類のほぼ確実な見分けはつくであろう。しかし通常においては、必ず皮膚の一部を取り、顕微鏡により菌の特定を行うという。つまり、100%確実にその病気の特定をし、それに合った薬、治療法を選択するのである。万が一それが違っていれば、薬を用いても少しも効果はなく、又いらぬ副作用をもたらすだけだからである。
 水虫なら顕微鏡の中に白癬菌が確認されなければならない。ところが、ここではそれが成されていない、極めて安易に手間を省き病気の特定がなされている。あくまでも、細心の注意配慮を患者に払おうとしていない。
 そして、二番目はこの水虫の為の薬の選択である。
 私の田舎に医療機関に薬を納めている会社に従事している友人がいる。彼に聞いても、特に水虫の服用薬は副作用が激しく、鬱病、肝機能障害、湿疹などの諸症状が現れる薬であり、それを売る自分達も、又、使う医師達もそのことは充分すぎるほどに認識しているはずであると言う。
 重要なことは、治療法は、その高価で危険極まりない薬を飲むことだけではないのである。他に健康にとってより安全な塗り薬や、あるいは水虫を治療する為の様々な注意点などが少しも与えられていない。確かに水虫は治りにくい病気であり、私もずっと高校生の時からの付き合いがある。
 しかし、例え水虫がより簡単に治ったとしても、身体の他の部分が悪くなったのではいけないということは考えないのだろうか。というより、この医者はいちいち面倒なことを説明して、塗り薬を使うより、高額な自分達にも見入りの良い薬を飲ませたほうが手っ取り早いという感覚であるとしか思えない。
 保険で割り引かれたとしても、二週間分で二人分、一万円もする薬なのだから、当然効率の良い稼ぎになることは明らかだ。
 又、当然この医師は、この薬の危険な副作用は充分理解していて、これを与えようとしたのだろう。
 もし、よく理解していないなどと言うのであれば、それこそこれは更に問題にならない。患者の生命、健康への配慮の気持ちなど元々少しも持たぬ、全くの医療従事不適格者であろう。薬局の薬剤師が言っているように、そのような重大な副作用があることを知っているのであれば、その薬の使用の是非については当然、患者本人に正しい情報を与え、患者自身の判断をあおぐべきである。
 この点でも、もしかしたら患者の生命さえも傷つけるようになるかも知れぬという、配慮は少しも感じられない。
 しかし、明らかにすればよいというものではない。どうしても患者は緊張と不安のあまり、冷静な判断はできず、医師の考えに容易に引きずり込まれることはよくある。又、言葉では言わなくても雰囲気の中で圧迫感を与えることもできる。あくまでも客観的なその場の患者を想う心からの説明でなければならない。
 保険がきいても高額な薬だという説明もなかったことにも驚く。二週間分で一万円といえば、通常の収入の人達にはかなりな高額である。
 この点が告げられなかった事は、次のこの様な事以外には考えられない。  つまり、かなり高額だから、「いらない」と言われては儲けが減るし、知らないふりして、買わせてしまえ。それとも、自分の儲けが保証されれば患者への心遣いは少しも必要はないという感覚だ。
 そして、どの位の期間と聞かれて、こともなげに「3か月位かな」と言ったことも驚きである。
 つまり、とにかく三ヶ月飲み続けなさいということである。医師によっては、この爪に入った水虫などの為に、やむを得ず服用薬を投与する時は、定期的に肝機能の検査を行いながらあるいは副作用の有無を監視しながら、注意深く見守りながら薬を与えるという。これは当たり前の医師にとっての義務である。
 しかし、こんな事はわずわらしいし、金儲けの効率を低下させるだけだと考えるのだろう。
 又、例え爪の間に入った水虫であっても、危険な副作用を伴う薬を与えなければならないのだろうか。
確かに、爪の間に入った水虫は治りにくいし、服用薬でないと完治は難しいのかもしれない。それでも、前に述べた私の友人のように、重度の鬱病に陥らせるまで、その薬は与えられなければならないのだろうか。この友人は何も知らずに水虫の治療薬を半年飲み続けた。何と六ヶ月間である。
 塗り薬や足を清潔に保つことで治らないのだろうか。積極的に身近に安全な治療を考えすすめるという意識は少しもない。
 しかもこの医師は、爪の間ではない、多分、軽度の病状に、少しの躊躇もなく、劇薬を与え続けているのである。
 そして、医者を信じられなくなった生徒さんは自分の力で知識を得て、水虫を治したというのであるから、言葉がない。今の医療は製薬会社と医者の特権的利益を確実なものにする為に築き上げられてきた。人間の生命の為の医療とは全くかけ離れたものになっていると強く実感せざるを得ない。
 しかし、この秋元クリニックの医師の意識は日本の医療従事者の過半数を大きく超える人々の平均的な意識であると思う。
 悪魔の手は決して、元帝京大副学長の安部氏のような巨大な権力を持った者のみが持っているのではないのである。

(記 2002年6月17日)

 

第5回 義務を忘れた日本人

 私は川崎と横浜のちょうど境目にある、ある駅の近くに住んでいる。
 ここで、日々目にする光景はおそらく端的に今の日本人の行動の全てを表しているように思える。
 私は前夜、どうしようもないほどに飲み過ぎていなければ、朝6時半前に起き、住まいから歩いて10分弱の公園で早歩きと、体操をするのが日課となっている。
 公園に着く。ほぼ毎朝、公園に着く頃は近くに住む人達のNHKの朝のラジオ体操の最中である。
 何年か前にその公園は大きく改修され、以前のものとは全く違った素晴らしい公園に生まれ変わったこともあった。新しい植え込みもあちこちに増え、確かにかなりの予算を使ったことは誰にでも想像できた。
 しかし、今この公園は、それらの植え込みなどは、荒れ放題であり、その改修から既に何十年も経ったようにさえ思える。しかし改修が行われたのはわずかに数年前なのである。
 犬を連れてラジオ体操に来たおばあさんが、植え込みを守る為の柵に犬を繋いでいる。犬はもう既に荒れてしまった植木を、これは自分が遊ぶ為にあるものであり、そしてその為に主人が、そこに自分を繋いでくれたと、疑いもなく習慣的に思っているのだろう。無邪気に植木を蹴散らし回っている。
 私がそれをたしなめしても、このようなことは良くないことだという認識はこのおばあさんには少しもない。笑って犬の紐を解き、そこを去るだけである。ラジオ体操が終わると多くの人が去り、今度は犬を連れた善人の集団、愛犬家達が公園に集まってくる。そしてこれらの犬も完全に、自由に園内を飛び回っている。植え込みと、その他の場所との区別はない。ボールを投げて犬に拾わせている人もいる。勿論何度となくボールは植え込みの中にも無雑作に投げ込まれる。
 
 この愛犬家達は、間違いなく一つの共通の意識を持っている。つまり犬を飼う人間、自分達は完全に善人と信じ切っている。そして、これだけ多く何人かが集まれば、善人の集団として何をしようが他の誰にも咎めることのできない、揺るがない正義性を自分達は持っていると信じ切っている。
 更に、この善人集団の中では社会生活の中で当然果たさなければならない個人の社会的な義務さえも忘れても良いと思っている。そして何よりも自分達は愛犬の糞を自分で始末するほどに、生活のルールを完璧に順守している模範的な人間と考えている。
 しかし、これは犬を連れた人達だけのことではない。人間のヨチヨチ歩きの子供の行儀も犬のそれと少しも変わりはしない。植え込みと歩いて良い所のとの境界線の存在は犬の意識と同様に少しも認識させられていない。植え込みを踏み荒そうが親は微笑みながら見守っている。時には子供の手を取ってヨチヨチ歩きの真似をしながら植え込みの中で一緒にじゃれている親もいる。
 小さな子供を連れた母親達は、子供はけがれのない天使であり、私はその天使の無垢なる母なのだから、どんな事をしようが許されるし、どんな時でも一方的に守られるべき権利があると考えている。
 他の人達がバトミントンなどをしているところに子供が行こうとしても、積極的に止めようとはしない。ただ形式的に「危ないよ」というだけである。その警告の言葉はむしろバトミントンをしている人達に向けられているように思える。 「貴方達、私の可愛い天使ちゃんに怪我でもさせたら、ただじゃおかないわよ。」と言っているように聞こえる時もある。
 つまり、積極的に、自分の子供に日常の中で「危険」というものを自らの知覚と感覚で認識できるように、学習することに手を貸していないのである。自らの意思で自分の身を責任を持って律するということをその子達は教えられないのである。しかし、これらの訓練は本来はできる限り早い幼児期に終わらさなければいけないのである。

このようにして育った子供達の行動パターンは、犬とたいして変わらぬ知能しか持たぬ、ヨチヨチ歩きの子供達と全く同じである。バトミントンなどをしている所に、平気で自転車で何も考えることなしに突っ込んで行く。皆、誰もがこのイビツな都会に、広々と遊べるところなどなく、一時の憩いを求めにやってくるのである。それは自転車に乗っている子供達もバトミントンをしている人達も同じなはずだ。他人の楽しみの邪魔をしないように、どうして自分が自転車でほんの3~4m回り込んでそこを通り過ぎようとしないのか。他の人を思いやる習慣の芽生えは少しも感じられない。
 休みの日など、この駅の踏み切りに5分も並べば、いつも公園で見る様々のことが一度に更に煮詰まって表れている。
 その踏切には駅の方から見て、左側に幅3mほどの歩道がある。車道はこちら側からと対向車線一本ずつの道である。
踏切の遮断機が下りると、遮断機のこちら側に、自転車に乗った人、歩きの人達があっという間に集まる。対向車線の踏切の向こう側には、バスや車が列をなしている。
 踏切が上がる。子供も、じいちゃんも、ばあちゃんも、父ちゃんも、母ちゃんも全ての年代の人々が対向車線に溢れ、バスに向かってウワァーッと突っ込む。そう正にウワァーッとである。誰もがバスは止まっているものと信じている。歩道なんかあってもなくても一緒だと思っている。車線であっても自分が歩道だと思えば歩道になると思っている。
 歩道がある時は、車道は通らないで歩道を通る。やむを得ない場合でも、本当に道の端を通るなどということは、既に小学校に入る前に誰もが身を持って覚えているはずの、そして誰もが分かっているはずの最低の義務のはずである。そして、それを義務として育ってきたはずの私ほどの年代の人々もそこには沢山見受けられる。
 とにかく自分の便利さだけなのである。優先するのは自分の都合だけなのである。
 他の人の事は考えても少しも意義のあることではないのである。
 よく、「今の子供は」あるいは「若者達は」と言われるが、バスに猛烈に突っ込んで行くのは、子供達だけでも若者だけでもなく、全ての世代なのである。
 店へ向かう為に南武線の電車に乗る。多い時は一つの車両で実に15人ほどの大人が漫画を読みふけっている。何とも荒涼とした様である。何人かは缶コーヒーを飲み、飲み終わると、何食わぬ顔で、空缶をそっと足元に置き、5分もすると、これは自分がここに座る前からあったもんだという堂々とした顔になり、駅に着けば、すっと立ち上がり、缶はそのままにして平然と降車する。
 JRの電車は乗る人のことも線路沿いの人のことも考えぬ騒音を撒き散らす悪意の機械だ。でもうるさい電車の方が他に気兼ねせず、車内でバカでかい声で携帯電話が使えて好都合だ。
 又、JRの組織と駅員には特に倫理観など少しもありはしない。ごくたまには、「迷惑になるので、携帯電話はしないように」などという車内放送があるが、JRのそれは全く形だけだということを全ての乗客が感じているから誰もがやりたい放題だ。私は帰りの夜遅くの時など、あの電車の中はある種の無法地帯だと感じることさえもある。
 そして、威高々の、カン高い、頭の割れるような車内放送。
 武蔵小杉で乗り換えて東横線に乗る。
 皆階段を下りる、女性のハイヒールかつっかけの、ガッチャン、ガッチャン、バッタン、バッタンという不快の極みの、頭に突き刺さる、カン高い音が今日も響き渡る、朝の静かにありたい空気を打ちのめす。
 これを履いてくる人は、この音を流行とでも考えているのだろう。何年か前つっかけが流行した時は、正に誰もが追随しなければならない流行が、あの音そのものだった。自分も同じ音を立てていることに、何かしら漠とした安心感を感じる。しかし、あのどうしようもなく知性のかけらもない足音がどれだけの人に不快を与えているかを知ろうとはしない。自分が不快な分だけ、もっと音を立ててやる、そんな考えが溢れている。
 しかし、それは靴のメーカーも同じである。新しい流行を作り出すにしても、決して侵してはならない、人間と人間の生活を大事にする人間としての規範があるはずだ。それにしてもこのつっかけ姿とルイ・ヴィトンのバック、染め上げられた茶髪、携帯電話は乾いた虚構の豊かさしか私には感じられない。
 東横線の車内、JRよりは、東急のまとまった意志が感じられる。携帯電話の使用もそれなりのルールを決めて、乗客に働きかけている。しかし、JRの車内よりは少しはましであっても、あの公園での日常と同質の価値観の中で育った人達には、そんな事は真底理解することはできない。でも、電車もJRの車内よりは大分静かだから、声を出して通話までするのはあまりいない。東急線では奇数号車では携帯電話は声を出さなければ使っても良い。偶数号車では完全に使用禁止となっている。このことが良いことなのかどうかは分からない。でも、それなりに懸命に考えたのだろうと思う。
 私はフランスしか殆ど知らないが、車内での携帯電話での通話も自由だし、又、大勢でテーブルを囲んでいる時でも受信すればそこで座ったままで話をすることもある。彼らは、所によって他人の迷惑のならないように小さい声で話をするという習慣は誰もが持っている。殆ど気にならない。
 私はフランスと日本の考え方、どちらが良い悪いと言っているのではない。少なくとも、社会生活を営む上での義務、つまり倫理が著しく喪失してしまった日本では、公の雰囲気の中で出来上がった、あるべき規範は、例え法的拘束力がなくても、皆が自分のことを少しずつ我慢していくという習慣を自らの手で作っていかなければならないと思う。その意味で、車内での携帯の通話の我慢は続けていかなければならないことだと思う。そしてそれがしっかりと皆の心に定着した時に、他にもっと良い方法はないかと考えるべきだと思う。
 でも、漫画を読みふける大人の数は変わらない。あくまでもこの数字は漫画を読む人である。「週刊女性」「女性自身」などのあまりにも日本女性の知的感覚を疑わせる週刊誌、何も頑張ることを見つけ出せない腑抜けの男の為の「メンズ・ノンノ」なども、漫画以下でも以上でもない。
 漫画を読みあさることが日常の主な精神的活動であるとしたら、私達は低劣の極みの国会議員も官僚をも笑うことはできない。彼らの中の多くは目の前に杖を持ったおばあさんがいようとも子供をだっこしたお母さんがいようとも、知らぬふりを決め込んでいる。自分の他にそんな同類の人間が一人でもいようなら、憐れな連帯感のもとに全くの強気な表情すら浮かべて無視している。
 寝入ったふりをして、席を譲らないのはまだ可愛いらしいし、そんなのは遠い昔の遺物になった。
本来は感ずべき、他人への思いやり、恥かしさを殆ど喪失しているのである。

ある朝、目の前で若者三人が席に座り、漫画を一生懸命熱読していました。どういう訳かその日は、赤ちゃんを抱いた若い、あるいは若めのお母さんが5~6組立っていました。
 この三人のうち二人は、この母子の存在を知っていました。チラッチラッと様子をうかがっていました。右側の一人は、とにかく溺読の状態でした。
 私も三人相手ではちょっと怖いのでなかなか勇気が満ちてきません。でも、いつの間にかこらえ切れなくなり、バカでかい声を出していました。
 前から気付いていた二人はサッと逃げるように席を立ちました。一人の方はビックリして、「席を譲りたくないとかそういう気持ちはありません。」と言われ、ゆっくり席を立たれました。そのことに対しては、私は「大きな声を出してすみませんでした。」と謝りました。突然65歳位のおじいさんが横にきて、「アンタ、よく言ってくれたよ。皆、腹が立っていたんだ。この国には何もなくなっちまった。俺はこの間韓国に行ったけど、地下鉄内でも皆年寄りを大事にしてくれるんだよ。言いたくったって、殺されるかも知れねぇから誰も言えねぇんだよ。本当にこの国はおかしくなっちまったよ。」と興奮されながらの話でした。
  空いた席に、子供を抱いた若いお母さんが座りました。私のバカでかい声と事の成り行きに驚いたのかも知れません。一言の言葉もありません。漫画を読みふける人だけでなく、そのお母さん、そして私も含めてこの国には何かがなくなっている。

電車の乗り降りの時も、入り口の人達は道を開けようとはしない。やっと人一人が通れるだけの広さがあれば、動こうとさえもしない。これは若者が圧倒的に多い。でも若者だけではない。まだ降りる人がいようが、中に空いた席を見つけるや、無理に降りる人を押しのけて入ろうとする。これは全ての世代の人達である。
 一時から比べれば、ウォークマンのシャカシャカは減ったが、未だいることはいる。
 でもこれはマナーが良くなったからではない。
 遊ぶ為のオモチャがウォークマンから、携帯電話に変わっただけである。

車内が混んでいようがおかまいなしで背中にナップサックを背負う若者やおじさんは少しも減らない。自分の身体以外への気遣いは少しも意識にないようである。
 駅を降り、旧山手通りを進む。私の店の直前に、大きな庭と石塀になっている所が30~40mほどある。商店ではない、つまり人目のない所である。
 歩道の左側のつつじの植え込みには、あらゆるゴミが散乱する。紙屑、ペットボトル、コーヒーの空缶、インスタントの食べ物が入っていたと思われる発泡スチロールの容器、壊れたビニール傘。
 これはどの世代が捨てていったものだろうか。この代官山は圧倒的に若者の街である。東京の人が大勢集まるところは形式のみの見栄だけの街である。あまりお金を持たない若者がデート代を安くあげる為に、とりあえず格好をつけて、あとはラーメンを食べて帰る為の、意味のない時間を潰す為の、殆ど意味のない空間である。
 それはさておいても、私達日本人が素敵な街と感じるところが、ちょっと人の目が少なくなればゴミ捨て場である。
 代官山という街に誰も深い思いなどありはしない。無意味な時間であっても少しでも時の経過を一方的になんとなく感じたいという、つまり一方的な消費の対象なのである。この街から今、それらしい雰囲気を一方的に、今だけ感じられれば良いのである。今を過ぎれば、この街がゴミに溢れても汚れ果てても少しも構わない。又、マスメディアが次の新たな暇つぶしの場所を見つけてくれるさとたかをくくっている。
 どこでも、何でも、私達は一方的に自分の意のままに搾取しようとする。
 確かに、このゴミの殆どは若い世代が捨てていったのだと私も思う。
 でも若者だけでもない。

よく「今の若者は」ということが、私達の年代の人達の口から言われる。
 それでは、私達、あるいはそれ以前にの世代の日本人は、このようなことはしなかったのだろうか。
 確かに、この東京の代官山、新宿駅など、これ程に精神の荒廃を如実に見せる、まるでゴミ捨て場のような所はなかったことは確かだろう。これ程のひどさは大都会に集まる人達の、地域の伝統や人々への帰属性が希薄なことなど様々の理由があるであろう。しかし、それだけではない。
 しかし、帰属意識の強い世代と地域に育った人でも、他人への思いやりは本来は面倒なこと以外のなにものでもなく、できることならしないでごまかしてしまいたいという本音が、私達日本の心の底にあり続けてきたのではないかと私は思う。
 例えば、二年程前、南武線のガラガラの車内で、私の対面に60歳ほどの和服、下駄履きの人が座った。しばらくして、彼はチリ紙を袋から取り出し鼻をかんだ。かみ終わると、腕組みをして、同時に袖にその鼻をかんだチリ紙を入れようとしているように見えた。
 しばらくすると、何気なく辺りをゆっくりと見回し始めた。私にはピンときた。あっ、これは、間違いなくチリ紙を床に落とすタイミングを見計っている。私はわざと横を向いていた。
 確かに、チリ紙は彼の右手から、左の袖の下から床に落とされた。私はその間の取り方の絶妙さに、見とれてしまった。しかし、それは何か懐かしさと言えばおかしいが、自分が子供の頃、バスの中でも、他でもよく見かけた光景なのである。そして彼は、悠然とそのチリ紙との関わりを完全に断ち切って、電車を降りていった。
 又、こんな事もある。フランスへ向かう機内の中で、食事も終わり、30分ほどして本を読んでいたら、腰の曲がったおばあさんがキョロキョロ何かを探している。ちょっとしたところで、手に持っていた紙コップを非常口の横の座席とカーテンとの間にポッと隠すように置いて立ち去ろうとしているのである。私は思わず「あ、おばあちゃん、だめだよ、捨てるところはあっちだよ。」と言って、その紙コップをパントリーの中に置いてはきましたが、とても釈然としないものを感じた。

 他の世代の方々だけを言ってきましたが、私の意識にも、それと似たようなものは確かにありました。例えば、会社の慰安旅行などへ行くと、何かしら旅館の備品を盗ってこないと損だというような感覚がありました。恥かしいことですが私も灰皿を持って帰ったことがあります。
 とにかく、人の見ていない所だったら日頃できない何かをやらなきゃ損だ。そんな意識があったように思えます。確か一回目の滞仏の時に、フランスの新聞「フィガロ」に「日本人の観光客が泊まると、必ず備品がなくなっている。」との記事が載っていたと聞いたことがあります。その時初めて、かつて自分のした事の意味が理解できました。つまり、やはりそれが人間の倫理として最低のものであっても人が見ていなければ、自分の利益の為には平気でしてしまう私だったのです。
 確かにある一面では戦後の物のない心の貧しい気持ちがそうさせたのかも知れません。でも、それだけではないように思えます。あるフランス人に、「日本人は法律は守るが、道徳を大事にすることができない。」と言われたことがあります。確かに私もそうなのです。
 社会生活では常に義務と権利が、一対のものとしてある。決して片方のみでは、多くの人の無限の繋がりの中で生きている社会生活を正しく続けることはできない。
 しかし、義務は面倒であり、時には苦痛であり、誰もが、これから逃れたいという本能はある。しかし、誰もが義務を怠り権利のみに走れば、やがてその権利さえもが崩れ去っていく。つまり、社会生活を健全に持続させる為には、私だけが義務を怠っても大丈夫だろうと考えることは決して許されない。
 この義務が権利よりもより大事なものであると考えなければならない。
 でも、こんな事は、少なくても私の年代の人間位までは考えとして知っている。
 そして以前はそのように務めてきたように思える。
 しかし、義務は金にはならない。戦後、経済的拡大のみを目指してきた私達は、義務を守る心を、経済の法則性に売り渡してきたとしか思えない。
 
 でも、例えバブル経済期における、空前絶後の経済による国民の良心の撹乱があったとしても、何故これほどまでに私達は、この義務を忘れてしまったのでしょうか。
 これは多分私達には既に戦前、あるいはそれ以前から義務をできるなら取り払ってしまいたいと願う歴史的な流れがあり、いずれは例えバブル経済が来なくても、大きく噴出していたのかも知れません。
 私は今このように日本人の心を地に貶めようとして常に働いてきたものは何だったのだろうかと考えています。
 又、日本人の心とは、日本人の心のアイデンティティーとは何かとずっと考えています。一定の年齢に達すると、後に残る者達の為に、自然な思いの中にそれを自らに与えられた役回りであると受け入れ、山にこもった「姥捨て山」の老輩の心こそが、私達の心でなかったかと感じ始めています。

(記 2002年5月31日)

 

第4回 本来のあるべき料理・菓子、本来のおいしさ

今回はあるべき料理、おいしさについて述べます。

 勿論のことですが、料理は、私達の身体、つまり細胞、組織、器官の形成、維持に必要な有機物やミネラルなどの微量栄養素を体内に取り入れる為に、そしてそれらを運転していく為のエネルギー源としての炭水化物、脂肪などを取り入れる行為であることは明らかです。生命の誕生以来、三十数億年の生命の歩みと進化の中で、私達の身体は私達の周囲にある、あらゆるミネラルを取り込むことによって少しずつ精緻な組織を作り上げてきました。
 決して必須ミネラルと言われる僅か19種類のミネラルがあれば事足りるという単純なものではありません。
 特に、生命は海で発生、進化したものであり、海水中での進化の時間は、生命が陸に上り、進化してきた時間から比べれば遥かに長く、今陸上に棲む動物、人間が海の中で築かれてきた生命としての特徴を今もなお持っていることは当然のことと言えます。私達人間の臓器が浸かっている体液は、海水のミネラル比とよく似ていることは、そのことをよく表わしています。
 豊かで充分な微量栄養素があり、それを建築資材として細胞、組織、器官が作られ、やがて細胞は老化し体外に排泄され、新たな微量栄養素により新たな細胞が作られます。この循環は少しも間断なく生命の続く限り、続けられます。
 幅の広い豊かな微量栄養素がなければ、組織、器官は健全に形成されませんし、形成された後も微量栄養素が不足すれば、健全な細胞は再生され続けません。やがては疾病にまで及びます。
 今まで、健全な組織、器官が持っていた様々の働き、例えば免疫機構などが弱まり、あるいは失われてしまいます。私の考えでは、戦後増えてきた各種のアレルギーは、正に微量栄養素の希薄化と欠乏によるこの組織、器官の機能の脆弱化、喪失の始まりであったと思います。
 そして、顕著な疾病に至らなくても、充分な建築資材もなく組み立てられた、私達の脳や器官は、以前よりもずっと早く老巧化が進み、若年性の糖尿病、潰瘍性大腸炎、アルツハイマーと様々な疾病にまでに至ります。
 これらの病気は、遺伝子の働きによるところが大きいと最近考えられていますが、例え、病気を引き起こす遺伝子があったとしても、充分な微量栄養素によって形成された正常な細胞であれば、その病気の発病は抑えられる、あるいは人生の後半へと移行するのは容易に理解できます。

 このように、料理の最も本質的なところは、ただ単にエネルギー源としての炭水化物や脂肪を補給することではなく、日々細胞が必要としている微量栄養素を充分に、不足することなく、間断なく、身体に与えるということです。
 そして、この栄養素を充分に取り入れる為には

①〔充分なミネラルを含んだ本来の正常な素材を食べること〕
 これは全く当たり前のことなのですが、日本の陸上の産物は全く異常な状態にあります。農協を主体とした集団による、あるいはゴルフ場に大量に撒かれた農薬や除草剤などによる徹底的な汚染により、作物が正常に成育できる環境が失われてしまいました。又、意味のない価値の積み重ねによる捻じ曲げられた生産法と、手抜き生産法による作物からのミネラルの消失は、恐らく世界に類を見ない程に進行しています。おかしなことに、超大量生産方式によって作られたアメリカ合衆国の産物よりも、その程度は深刻です。

②〔できるだけ多種類の素材を取る〕
 野菜や果物、畜産物などの種類によって含まれる栄養素の種類や量は異なるので、より多くの素材を使えばそれだけミネラルの幅は豊かになります。よく一日で三十種類以上の素材を食べなければならないと言われますが、これは正にこのことを指しています。しかし、今の日本では三十種類でも充分ではないでしょう。第三回で述べた、一つの料理にも何種類もの素材を使った韓国の方の料理は確かに理にかなっていますし、正にこのことなのです。
 特に今の日本の素材での料理には必要な考え方なのです。又、フランス料理でのフォン(出し汁)も全く同じ考えに基づいています。
 例えば仔牛のフォン・ドゥ・ヴォでは、たくさんの仔牛の骨やくず肉、鶏などの骨、仔牛の足、更に数種の野菜や香辛料、海塩、ワインをも加えて豊かな味わいと栄養素を持つ出し汁を作り用意します。
最後に肉を調理する時なども、野菜その他と共に加熱し、その煮汁を煮つめ、フォン(出し汁)と共にソースを作り、肉に添えます。

③〔できるだけ旬の素材を使う〕
 野菜など、本来の旬にあるものは、微量栄養素も豊富に含み、しかも私達はつい最近までそれらを摂取してきたのですから、私達の身体の健全な発育にはなくてはならないものを数多く含んでいるのです。そして、旬の作物は当然無理なく多量の生産が可能なはずですし、安値にもなるはずです。旬のものを安く心ゆくまで味わい、身体がその季節に必要としている栄養素を取り入れることは人間としての当然の権利であったはずです。しかしこのような摂理さえもこの国では破壊され尽くしました。作物の旬を破壊し、作る量を抑え、価格を吊り上げるという内向きな生産性にこの国の作物は蹂躙され続けてきました。

④〔素材に含まれる微量栄養素は決して逃さない〕
 第三回で述べた、柳原一成氏の著書に見られる、下茹でに始まる料理法は、正に間違った考えによるものです。私達の身体が必要としているものをせっせと自らの手で捨て去る行為なのです。
自分の身体の細胞や組織、器官を自らの手で脆弱にしてしまう行為なのです。
フランス料理では、肉を焼く時にフライパンにこびりついた茶色の僅かな焦げさえもワインなどで溶かしてソースに戻します。とにかく素材の持つ旨みを逃がしてはならないのです。

私共は例として次のような考え方と作り方を実践しています。
● 豆腐、勿論、味わいのしっかりしたものを選びますが、煮物、鍋物ではそれが浸かっていた水さえも使います。こんにゃくも匂い豊かなものを選び、それが浸かっていた水も捨てないで使います。
● 殆んどアクらしいアクのない今のごぼうは、切ってから水に浸けるなど愚かなことをしてはいけません。
多少煮汁の色が濃くなっても、料理がまずくなることもありませんし、少しも困ることなどないのです。
● 肉じゃがでも何でも、残った煮汁は捨てないで取っておきます。そして又、次の時 に加えます。又、ちょっと工夫して別の煮物に加えればよりおいしくなります。すぐに使わない時は、ビニール袋に入れて冷凍しておきます。
でも、砂糖を加えると甘くなり他の料理には使えません。
● 肉じゃがや豚汁などで、アクを引く必要はありません。魚や肉類などが多量に使われる場合は、アクを引かないとかえって身体に良くないものが混ざる場合がありますが、普通の日本の煮物や鍋料理ではその必要は少しもありません。

⑤〔微量栄養素の乏しい日本の陸地の産物を使った料理には、安全な外国の微量栄養素を豊かに持った素材を加える〕
● 日本の米は農薬漬けです。皆さんは日本の米は粘りがあっておいしいと思っておられますが、以前のものとは全く違います。味、香りは平坦で殆んどなく、澱粉の密度も低く、モロモロの情けなさすぎる歯ざわりです。
こんな微量栄養素の欠乏した米のぬかは、日本の味わいのないガリガリした歯ざわりの野菜を、おいしいぬか漬けにしてくれる訳がありません。
 ぬかの中には乳酸菌の働きを活発にする、エネルギーとなる微量栄養素が乏しいのですから、満足な乳酸発酵など起るはずがありません。正にカスカスの白けた味わいです。
 でも、ぬか床に豊かなミネラルを含んだスペインのアーモンド・パウダーを加えてみて下さい。豊かな醗酵が起り、アーモンドの栄養素の幅は更に広まり、本当に深い味わいのおいしいぬか漬けができます。日本の産物よりはずっとましであっても、大量生産による微量栄養素の乏しいアメリカのアーモンドでは不充分です。
● サラダにはやはり、スペインの青い澱が残っている、エクストラ・バージン・オリーブ・オイルを使います。そしてフランス産の新鮮な日本で腐っていないチーズを小さく切って加えます。折角のおいしいチーズ、ワインも高温多湿のこの国では腐敗菌が多い為、すぐに腐り始めます。回転の良い店で輸入されて間もないものを選ばなくてはなりません。
 塩は、サラダでも、ぬか漬けでも国産の精製塩ではだめです。ミネラルたっぷりの 外国の海塩、岩塩を使います。
 例え、陸上の産物に微量栄養素が欠乏していても、Naclだけでなく、ミネラル群を豊かに含んだ海塩、岩塩を毎日取れば、私達の細胞はかなり活性化してくれると思います。経済効率だけしか考えられぬ政府による海塩の製造の禁止は、官僚でなければできない「生命からの搾取」の最たるものと私は思います。

⑥〔しっかりと醗酵したものを食べる〕
 醗酵は、その素材に含まれている微量栄養素が、微生物の持つ酵素で、更に様々な形に変化し、更に豊かな栄養素を持つことに意味があるのです。スーパーの白菜漬けは、この乳酸醗酵が少しも行われていない、湯につけてしなっとさせた塩を加えただけの少しも食べる意味のない塩漬けの代物です。
 やはり充分に白菜を干して漬け、乳酸醗酵した滋味豊かな白菜を食べなければなりません。韓国の方が作るキムチのおいしさは、白菜にニンニクや唐辛子だけでなく、果物、アミの塩漬けなどを加えて微量栄養素を豊かにし、乳酸菌が活発に活動できるように手助けをした手作りのものなのです。
 くさや、私は大好きですが、最近は匂いが本当に薄くなりました。匂いが薄くなれば味わいも薄くなり、そして含まれる微量栄養素も少なくなります。
 最近は特に匂いの強い食べものは嫌われますが、これでは醗酵したものを食べる意味は弱まります。

⑦〔匂いのあるものを食べる〕
 ⑥で述べたことにつながりますが、匂いはその食べ物、料理の個性を最もよく表わすものです。特に今の若い人達は匂いのするものを嫌がり、又、匂いの強い料理を蔑視する傾向がありますが、これは全く間違った考え方です。
そして、自分達の身体も匂いを発しない方が上品であると考えているようですが、これはとてもおかしな考え方です。
体臭の弱い身体は、往々にして微量栄養素の乏しい不健全な発育状態にあるということを知らねばなりません。
私はフランス、スペインしか知りませんが、これらの国の素材は本当においしい。身体が待ち望んでいるおいしさです。豊かな微量栄養素を含み、香り、味わい、食感全てが豊かです。
 フランスなどに行ってフランスの産物を食べ続ければ、一週間もすると明らかに私の身体にも強い体臭が出てきます。
 同時に身体には日本では感じられない、身体が独りでに働き出すような力強さが漲ってきます。
 日本人が嫌がる体臭は、私達の身体がよい栄養状態にあることの証しでもあるのです。
 この体臭を消すのに、フランスでは香水など香りの産業が発達したのでしょう。

⑧〔料理法を変える、素材に含まれる微量栄養素の幅を増す工夫をする〕
 下茹でなどの料理法は言語道断です。でも、下茹でなどをしなければそれで済むほどこの国は甘い状況にはありません。おいしさの、微量栄養素の幅を広げる、あるいは、微量栄養素を壊さない料理法を工夫するのです。つまり実際に料理を作る時に理にかなった加熱による成分変化をさせるのです。
● 肉じゃがの豚肉とじゃがいもとたまねぎは、スペイン産の多めのオリーブオイルで、火加減に注意してこんがりとキツネ色に炒めます。ただし、黒い焦げ色はいけません。オリーブオイルによって、日本の素材には欠けている微量栄養素を豚肉、じゃがいもたまねぎに移します。そして、更にこれをフライパンを通しての加熱をして、こんがりとした焼き色をつけることによって成分変化を促すのです。前述の出し汁を取る時も、フォンの種類によっては、骨、その他のものをオーブンで焼いて加えたりして、出来るだけ幅の広い栄養素にしようとします。
● もちを焼く時でも充分に強火で短時間に濃い目の焼き色がつくように焼きます。雑煮であっても汁粉であっても、香り、味わい共に、より深いものが出来上がります。お菓子やもちなど、この焼き色をしっかりとつけることを忘れてはいけません。これによって確実にこれらの栄養素の幅は豊かになっているのです。 このように、料理や素材の中にどうしたら微量栄養素を豊かにするかということを意識して料理の方法を考えれば、更に幾つもの工夫が可能になるはずです。
 決して、今までの古びた存在の意味のなくなった概念にすがり続ける必要はありません。今の力のない、栄養素を持たぬ素材の為の料理法が必要なのです。
● 私はお菓子の素材を探しにもフランスに度々行きます。確かに、味わいの豊かな日本のものとは雲泥の差があります。でも、スペインの産物はもっともっと信じられぬほどの豊かさです。

『(おいしさとは)身体のおいしさと頭のおいしさ』
 私達が物を食べるときに感じるおいしさとは何なのでしょうか。
 私は、このおいしさには二つのものがあると考えます。
 一つは、本来的な細胞などに必要な微量栄養素を持っているものに対してのおいしさです。
 もう一つは、頭のおいしさです。これは時代の雰囲気やそこに住む人間の精神が作り出すおいしさです。しかし、これは実体のあるおいしさではありません。
 しかし、この二つのおいしさは、人類が人間としての形をなしてきたころには、完全に近く重なり合っていたと思われます。
 それが、文明の進化に伴い、人間が様々な意味で土から離れるにしたがって、この二つのおいしさは少しずつ離れてきました。
 そしてこの二つのおいしさの乖離の程度は時代によっても、又、国によっても大きな差があります。
 日本でも、戦前は今ほど甚だしくこの二つのおいしさがバラバラであったとは思いません。又、フランスやスペインでは今でも日本ほどの大きな溝はありません。又、日本では、頭の時代のおいしさが、本来の身体の為のおいしさを完全に凌駕し、あたかも、頭のおいしさが本来のおいしさであると多くの人々が錯覚し、信じるほどにまでなっています。
 正に、第一回目のエッセイで御伝えした、「カノビアーノ」の料理などは、今の時代の日本でしかその存在を許されない、時代の徒花なのです。又、第三回のエッセイで述べた懐石料理などは、日本という限定された地域にしか成り立ち得ない極めて矮小な独り善がりの味わいなのです。

 勿論フランス、スペインでも、二つのおいしさの間には状況によっては小さくない乖離が見られるのですが、未だ多くの人々は自分の身体にとって良いものをおいしさと考えているように見えます。
 環境ホルモンに近く、突然変異性があり、発癌性の疑いもある、合成保存料としての安息香酸ナトリウムを多量に含んだコカ・コーラ社のファンタやダイエット・コカコーラなどをおいしさと感じることはありません。
 又、今日本でフランス料理の主流となっている、ミシュランが評価する、味わいを抜く料理法によるヌーヴェル・キュイズィンヌなどは殆んど一般の人は見向きもしません。この多くの部分は全く虚構の世界であり、たまに気晴らしに首を突っ込むことはあっても、本気で全身をどっぷりと虚構の味わいに耽るというようなことはしません。一般の日常の食べ物とは無縁の空間なのです。

〔本来の身体へのおいしさ〕
 食べ物には、匂い、食感、味があります。
 匂いは鼻腔での、味は唾液を通しての化学的反応の結果、感じるものです。
 食感は、食べ物を口に入れて噛み、呑み込むまでに感じる、歯触り、舌触り、口どけ、喉ごしなどの全ての物理的な圧力の種類と強弱を言います。
 そしてこれに視覚が加わります。動物が物を視覚で認め口に入れ、噛み呑み込む、極めて短時間の間に、様々の情報が食べ物から発せられ、私達の遺伝子に伝えられます。
 私達が感じるおいしさとは、無限の時間の中で積み重ねられてきた、生命の維持の為に充分な微量栄養素を持った身体の為によい食べ物についての情報と、食べ物から発せられた情報が、豊かに合致した場合に感じる反応なのです。今までの経験で得た身体に好ましくない情報に合致するものは不快感であり、まずさなのです。
 そして、食べ物から発せられる情報が豊かであり、つまり香り、食感、味が豊かであるほどにそれが好ましいものであれば、より深いおいしさ、感動を料理などに感じるのです。

 視覚、嗅覚、食感、味のうち、最も重要なのは嗅覚なのです。
 もし、身体にとって望ましくないもの、例えば毒性を持ったものであれば、これを体内、つまり口に入れることは許されません。たちどころに、生命の停止などの重大な状態に陥るからです。
 ここで、視覚、嗅覚は、そのような毒性を持ったものを認知する為に、特に重要になります。しかし、視覚、食べ物の見た目は一応の判断の情報を与えてくれても、その中身までは、つまり生命に大きな影響を及ぼすかも知れない化学的特性までは探ることはできません。そこで、この嗅覚は、食べ物から発される、匂い、つまり化学的な情報に最大限の情報を求めようとします。今まで積み上げられてきた遺伝子の膨大な量の情報が動員され、駆使されます。
 何故なら、毒は口に入れれば、生命はそれで終わりだからです。
 この匂いによる食べ物の検索から比べれば、食感、味に対して発せられる情報は少ないものになります。ここでは、口に入れても大丈夫と嗅覚が判断したものの最後の再確認がなされているのです。ここで、望ましい情報に合致しなかったものは吐き出されることもあるでしょうし、又とりあえず噛み下されたとしても、これはおいしくないものとして、次のものを口に入れようという意欲は失われます。

 皆さんが、料理やお菓子でも本当においしい、あるいは感動を覚えるような心動かされるおいしさを感じた場合には必ず情報を充分に持った豊かで多重性のある、匂いがあるはずです。風邪を引いて匂いの分からない時は何を食べてもおいしくありません。又、元気な時でも鼻をつまみながら、匂いが感じられないようにして食べてみて下さい。やはり少しのおいしさも感じられません。これほどに匂いは大事なものなのです。
しかし、頭、時代のおいしさは、私達の遺伝子が見つけるおいしさではありません。
充分な匂いや味わいがなくてもおいしいものとされてしまいます。
特にこの日本では私達が生きる時代や社会が作り上げ、そして私達に押し付けられたおいしさが圧倒的に優性なのです。
 そしてこれは往々にして私達の健康などは全く無視したむしろ私達に不幸を与える、極めて実体のないおいしさなのです。
 「カノビアーノ」の料理のおいしさは正に、今の日本の閉塞感が生んだ、行き着くところまで行った日本人としての愚かさを極めた時代のおいしさなのです。
 又、勿論おいしさは民族、国、地域、家族によって表面的には実に様々の形を見せます。
 土地土地の、国々の気候、風土による産物の違い、あるいは宗教の違い、国民性によって、おいしさの形は確かに異なります。
 同じ地域であっても、家庭によって、又母親の出身の土地によって、料理の形は異なります。
 でも、それはほんの薄皮に過ぎないのです。
 フランス人と日本人としての特質が、異なる風土が生まれる前に、生命と人類は共通の食に対する規範を遺伝子の中に積み上げてきたのです。
 その共通の規範から見れば、国民性などの地域性の違いは、ほんの小さな情報の違いでしかなく、民族の間に実はおいしさの境界などありはしません。
 イル・プルー・シュル・ラ・セーヌのお菓子をフランスで食べるものよりおいしいと言って下さる東京在住のフランス人もおられますし、日本のお客様にも、今の日本にない心を動かされるおいしさを感じると言われる方も多くおられます。日本人、フランス人としての薄皮を越して、ほんの少しだけ意識の下に降り立てば人間のおいしさは共通なのです。そして、それは本来のおいしさなのです。豊かな情報量を持った、豊かな味わいの食べ物なのです。

 しかし、食べ物を目で見て口に入れ、噛み下すまでの行為は、完全に生理的な欲求によるものではありません。つまり、この過程で、私達は間違いなくこの食べ物は身体にとって良いものであると判断しているのでありません。あくまでも、推量の過程であり、実際に腸で吸収されてみなければ身体に必要なものを含んでいるかどうかは分からない場合が多いのです。
 つまり、特に食べ物を噛み下すまでは、人類の経験が生んだ遺伝子に組み込まれた情報、規範だけでなくその家庭や個人がその実際の歴史の中で積み上げた情報が重なり往々にして口に入れた食べ物の実体とかけ離れた判断がなされます。つまり個人の考えが反映する精神活動の領域であるということです。ここでの判断は人それぞれ、国それぞれによって異なることはあっても不自然ではありません。
 又、次の興味深い事実を見て下さい。
 料理やお菓子を作る時、使う素材、分量が同じであっても、単に混ぜ方の違い一つによっても、必ずおいしい、まずいができます。しかし、その料理に含まれる栄養素は全く同じなのです。
 つまり、噛み下すまでは、個人や国民の経験と遺伝子の情報が複雑に交錯し、判断を下します。しかし、未だ精神のより深い遺伝子の領域まで下っていない、その人生に於いて実際に記憶された情報は勿論より強い実感を伴ったものであり、通常はこちらの情報がおいしさを判断する際に中心となる役割を果たします。しかし遺伝子の情報への感応の訓練をした人はそれとは異なる判断をします。でも、どのような異なる判断が下されようと、含まれる栄養素はいずれも同じなのです。
 このことは又、今まで述べてきた一つの事を再確認させてくれます。
 つまりおいしさとは地域や人類の共通の規範だと言うことです。
 確かに日本人には日本人のおいしさがあるでしょう。
 そして日本人のおいしさも、今の時代には蹂躙されたおいしさと以前の本来のおいしさがあるでしょう。
 そしてそのおいしさは、その時代、地域に生きる人によって作られます。例えば十人のうち少なくとも半分以上の人がおいしいと言うことによって、おいしさは成り立ちます。一人がおいしいと言ってもおいしさとは認められません。つまり共通の認識、価値の判断なのです。
 本来は時代と地域のおいしさと、遺伝子のおいしさが合致するのが望ましいのですが、今の日本は全く別なものになってしまいました。遺伝子のおいしさは、時代、地域のおいしさに完全に隠され、一般の人の意識までは上ってきません。
 しかし、フランスやスペインの素材に感じるおいしさは、遺伝子からの情報に豊かに感応するおいしさです。
 この遺伝子からのより普遍的なおいしさは、例え日本人であってもフランス、スペインなどの本来のおいしさを経験することによって理解することができます。遺伝子が反応するようになります。
 ある本では、私達は通常、遺伝子の中にある情報の5%ほども知覚していないとありました。学習によっては遺伝子の情報を更に深く読み取ることはできます。

 ただ微量栄養素の効用といっても、皆さんにはなかなか実感として理解しにくいと思います。
 私自身の体験も交えて述べてみます。
 実は二年程前までは、私の頭はほぼカッパさんになりかけていました。
 そこに、大正製薬の「リアップ」が発売されました。それまで、「不老林」「ペンタデカン」など色々試してみました。でも、少し冷静に考えればそんなものが効く訳がありません。人の弱みに付け込んだ、バカ高い詐欺そのものの商品です。
 そして、「リアップ」も二ヶ月ほど経っても、それほど効用は見られませんでした。何かでる度に、信じてはいないのについつい手が出てしまう、髪に恵まれない人間の憐れで浅薄な心情を私もまた、人以上に持っていました。
 丁度その頃、お菓子教室の生徒さんに、アメリカ産の栄養補給剤を頂きました。でも、私はそういうものは全く信じられない方でしたので、しばらくは机の上に放っておいたのです。しかし、「いつもシェフは疲れた顔をしているので、本当にこれはいいですから、飲んでみてください。」と頂いたものをそのままにしておいては申し訳ない、とにかく飲みきってしまわなくてはと、始めたのです。
 私の想像に反して、半月で様々な変化が現れ始めました。まず、アルコールの飲みすぎで、あれだけ痛かった肩こりが取れてきたのです。そして、頬の肌がしっとりとしてきました。大酒飲みの為、顔の肌はかなりカサカサとしていました。本当にしっとりした気持ちの良い肌触りで、しばらくは、いつの間にか自分の頬を撫でていた程です。
 私も驚きました。そして、すぐにその生徒さんに電話で御礼を言い、飲み続けることを伝えました。
 一ヵ月ほど後から、どうも髪の毛が少し多くなっているようなのです。そして少しずつ黒さも戻っています。三ヵ月後、頭の変化は誰の目にも明らかで、多くの人に、「髪の毛が増えて黒くなってきましたよね。」と驚かれました。
 勿論、「リアップ」の効用もあると思いますが、新たに体内に取り入れ始めた、今まで日本の食べ物では取り入れることができなかった、微量栄養素が体内に注入されたからだと思います。以来、今も私の髪の毛は増え続けています。
 長く生きていれば、良いこともあるんだなという幸せな実感。
 それにしてもリアップその他の育毛剤も一本五千円以上ですよ。その気になって意気込めば月に一本以上使ってしまいます。全く人を馬鹿にしています。ハゲと、それに悩まされている人の弱みに付け込んだ、あくどい人間の良心を持たぬ商売だと思います。最近はリアップも下火と見えて、安くなさそうなオマケ付きで客を釣ろうとしています。私なんかは彼らにすれば昔のオマケ付きグリコキャラメルを買った子供みたいな存在なのでしょうか。ふざけるなと言いたい。

 同じ頃、私の手の甲にもびっくりする変化がありました。
 手の甲や頬の染みほど、自分が老年期に入ったことを思い知らされる、少し惨めなものはありません。ところが、これが全部消えてしまったのです。
 そして、アルコールの翌日までの影響がかなり軽減されました。何よりも身体に力の充実感が本当に感じられるようになりました。
晩秋、冬の空気の乾燥期には近年特に身体中がかゆくなり、しょっちゅう、家ではあちこちボリボリかいていました。でもこれも本当に綺麗に消えました。
 一年後、服用するサプリメントの種類を増やしたのですが、多分活性酸素を抑えるスポーツマンの為のものなのですが、私は高校以来、第五腰椎分離症で、ずっとギックリ腰に悩まされてきました。朝は可能な限り、早歩きなどの運動をしているのですが、年のせいもあるのでしょうか、身体の筋肉がすぐに痛くなりました。それで、その筋肉の回復を早める為にと思って飲み始めました。
 この半年前から、信じられないほどの血尿が出始めていました。それでも、ワインが止められない、アルコール依存症一歩手前といった状態でした。
 朝、トイレに行きます。赤ワインと同じ色の尿が出ます。二日酔いの残った頭では、「あっ、いけねっ、あんまり飲みすぎたのでそのまま出てきちゃった。」と、一瞬錯覚するほどの色でした。
 病院に行って様々の精密検査をしましたが、左の腎臓が糜爛していてそこからの出血であるが、悪性の腫瘍等はないので様子を見るしかない、ということでした。
 疲れるとワインのような濃いものが、疲れていない時は薄くなっているといったような状態が一年以上続いていました。
 しかし、新しいサプリメントを飲み始めてから、いつ頃からはよく覚えていないのですが、私の目では分からない程に止まってしまったのです。
 私は本当に驚きました。
 今も、かつての一時ほどではなくても、やはり毎晩ついついかなりのアルコールを取ってしまいますし、特別、日常の仕事に余裕ができた訳でもありません。
 私は新たに飲み始めた、筋肉つまり器官の為のサプリメントの効用だと固く信じています。
 でも、こんなことを言っても、医師も簡単には信じてくれないと思い、言っていません。
 でも、このことを分かってくれる医師に会えたなら伝えようと思っています。
 つまり、老巧化してきた、私の細胞はこのサプリメントの新たな微量栄養素によって、本来の活性化をかなり取り戻したのだと思います。
 以来私はこの栄養補給剤を人に勧めるのが趣味となっています。
 イル・プルー・シュル・ラ・セーヌお菓子教室主任の椎名は、かなり黒かった顔の染みが、彼女の母親が驚くほどに取れました。 便通が良くなって、殆んどの人は肌がすべすべになります。そして、女性では生理痛がとても軽くなったという人も多いです。又、吹き出物がひどかった人が、これも治まりました。
 勿論、第二回エッセイの潰瘍性大腸炎の子にも、少し多めに飲むように勧めました。退院後、三ヶ月の検査では腸壁に少し炎症は見られるが、白血球の数は減少し、医師は首をひねっていたそうですが、確実に彼女の腸壁は強くなっていると思います。潰瘍性大腸炎は白血球が自らがある腸の組織を外敵と間違い、腸壁を攻撃する病気とのことで、白血球の増減が、病気の状態を判断する有力な材料となるとのことです。

〔既にこの国では、幼児期からこのような栄養補給剤を取らなければならない状況になっている。しかしー〕
 確かに、この国では幅広い栄養素を持った栄養補給剤のようなものを子供の頃から取らねばならない状態になっています。国産の狭い栄養素しか含まぬビタミン剤では、何の意味もありません。
 でも、この場合、二つの間違いがあります。
 一つは、これらはあまりに高値すぎます。普通の家庭では、あまりに大きな負担となり、家族全体が取ることはできません。素晴らしい効用は分かりますが、あまりに高すぎます。
 もう一つは、このようなものを取るようになると、肝心要の料理が、より簡単に手抜きになってしまわないかということです。いくら身体に良くても、栄養補給剤だけでは子供の心は豊かになりませんし、家族の絆も強まりません。家庭での料理は今まで以上に愛情を持って作り、これらのサプリメントは目立たぬようにそっと与えることが必要だと思います。今、アメリカからは様々のメーカーの栄養補給剤が輸入されていますが、多分それほど大きな違いはないと思います。私が服用しているもののメーカー名はここでは知らせません。それにしても、日本の製薬メーカーの程度の低さです。アリナミン、エスファイトゴールドなど抽出された偏ったビタミン類なんか取ってもあまり意味はありません。このことはアメリカでは大量生産による作物からの微量栄養素の欠乏が顕著になり、健康に影響を与える状態が日本よりずっと以前に始まったと推量できます。でも日本は戦後に急速にこの状態が進み、今はアメリカの先に行ってしまったということでしょう。又、日米の医学の水準の開きも見せられたような気もします。
 いずれにしても、日本人の体力はかなり低下しています。日本のナショナルサッカーチームもよく土壇場で外国に逆転負けしました。身体に真底からのエネルギーがない為、極限の激しい闘いでは頭も身体も後半は真空状態になっていたのだと思います。最近は勝負強さが出ているようです。これなども、食の大切さをよく知っているフランス人のトルシエ監督によって食事の面での改善がされているのではないかと勝手に考えます。
 それにしても、フランス人、スペイン人、彼らのセックスはすごい。一晩に数回なんてのはざらです。肉を食べているからではありません。肉を含めた全ての素材に豊かな微量栄養素が含まれていますから、細胞、組織、器官の質とエネルギーが全く違うのです。日本人でもフランスに長くいる人はやっぱり元気です。日本の油だけの肉を食べていれば、私たちの身体はかえってダメージを受けます。
 私はフランス、スペインへ行くと、食べるのが一番大きな楽しみです。さすがに、朝は抜きますが、昼、夜、レストランでも食欲は落ちません。とにかく思う存分食べます。でも、どこへ行っても朝一時間の早歩きは欠かしません。これだけの運動で、旅行の間、ほぼ体重は増えません。食べ物に様々の微量栄養素が含まれています。血行を良くするもの、脂肪を分解するもの、とにかくありとあらゆる働きをもった微量栄養素が完結しています。だから、消化吸収、燃焼がとても活発に行われる。身体に力が湧いてくる。
 でも、日本であれほどの量を食べたら、例え、脂肪分が少なくても、必ずすぐにブクブクに太ってきます。栄養素が偏っているから、燃焼しきれない分がすぐに身体に溜まります。体内で使われるそれぞれの栄養素は微量で、偏って種類の少ない栄養素しかない場合は特に使われないものは当然身体に蓄積されます。
 私はフランス、スペインで二日酔いになったことはありません。ワイン、三、四本飲んでも、次の朝は元気です。日本では一本半飲むと次の日は少し危うい。
 日本のワインは、いつか述べますが殆んど腐っているので身体にダメージを与えることも確かですが、食べ物の質が違います。食べ物の中にアルコールを分解するもの、血行を良くするもの、肝臓の働きを助けるもの、消化を助けるもの、様々の働きをもった微量栄養素が豊かにあります。そして、日本の食べ物にはそれがありません。アルコールのダメージを身体が直接受ける、ただそれだけのことです。
 決してポリフェノールうんぬんではありません。
 日本はとにかく今世界で一番の長寿国と言いますが、何もしないで霞のように長生きをするのと、少し短い人生でも元気に生きるのと、どちらが良いのでしょうか。又、これから何年か後、今の若者が老年期に入ってから、今の年寄り達のように日本国民の平均寿命を上げる存在で在り続けるのでしょうか。不可能であると私は断言できます。

又、私はもっと手軽に安く誰もが取れる、栄養補給剤を今考えています。これはあくまで私個人の経験と推理によるもので、まだ発表はできません。いわゆる臨床試験なんてできはしません。多分これで微量栄養素不足はかなり改良されると思います。
 それが発売された時、ご覧になられてどこかの二番煎じかと笑われるでしょうが、でも私はまじめです。とにかく急いで作ります。

(記 2002年4月19日)

第3回 料理における生命からの搾取 

 私達が生きるこの日本では、こともあろうに料理までもが生命を搾取してきたのです。権威を保守する為の形式のみの虚像と化した、日本料理、懐石料理を、そしてそれを持ち上げ追随することのみに終止してきたマスコミの真の姿を知らなければなりません。

 私は拙著「破滅の淵の裸の王様」、NHK出版「男の食彩」でのエッセイで次の事柄を何度となく述べてきました。現在の日本料理、懐石料理は本来の人間の 身体、精神の育成と健全な維持の為にあるのではありません。茶席などの権威を補強する為の形式としてしか存在の意味はないのです。この日本を包む四季の 趣、日本人としての感性が、料理の味わいではなく形式的な視覚的なものにしか置きかえられない本質的性質を持ち、そのように権威化されてきたことを述べて きました。

 料理法は常に観念的で形式的な味わい、おいしさしか作り出すことはできないのです。
 健康の為ではありません。社会の中で上の階層にある人々があくまでも一般庶民を底辺と認識し、自らを底辺とは違う階層にあると確固と認識する為の数ある 装置の中の一つであったように思えます。それを作る料理人も、自分達は巷の料理人とは全く異なる天上の料理を作る料理人であると感じる為に、地道を上げて きた結果ともいえるのではないでしょうか。料理人の中での下らない階級意識が匂う。

 又、私は料理に流派があることに極めて不条理なものを感じます。味わいの突きつめ方、作り方の違いからくる流派の違いでないことは明らかです。料理が出 される流れの形式とか、使われるべき汁器の種類、形とか、立居振舞とか、箸の持ち方とか料理そのものからは全くかけ離れた、様式の違いだけによるもので す。そして、それらの流派は他派よりも、より正統な流れであることを誇張しようとして、それらの様式をさらに複雑化して権威づけをしようとますます本来の 料理の意味は忘れられてきたのです。

 常に、より形式的により形式的にと彼らの料理は本来の料理からはかけ離れてきたのです。
そして本来は社会の上部の一般には目の触れぬところにあったものが、多分、特に戦後なのでしょうが、マスコミの介在などにより、私達の一般社会に降りてき て、権威に弱い庶民の家庭での料理に浸透してきたのでしょう。しかしその経緯は少しも重要ではありません。この形式のみの料理が実際に私達の今の食生活と 生命、健康を蝕んでいることが問題なのです。

 彼らは言います。「日本料理」は四季を大事にすると。しかし、それは味わいに於いてではありません。高邁な茶碗、その他の小道具を野放図に駆使することによって作り上げられる、肝心の料理の味わいの外の季節感なのです。
 目をつむって、彼らの料理を口にすれば、そこに季節などは少しもなく、何を食べたのかすら分かりません。たまにあるとしても、痩せ細った息も絶え絶えの
季節の彩りらしきものだけなのです。

 勿論、フランス菓子、料理に於いても鋭敏な季節の認識は最も大事なことです。しかし、それは形式に於いてではありません。素材の持つ、匂い立つ季節を競い合わせ、人の心と身に深くしみ込む季節の息吹を味わいの中に作り上げるのです。
 そして、それは確実に身体の細胞、組織に、生命に力を与え、子供を健やかに慈しむ味わいなのです。
 しかし、形式に蹂躪された料理はそれを食べ続けてきたものの、特に子供達の身体と心を際限なく蝕んでいくのです。


 このようなことを私は既に機会あるごとに述べてきました。
 しかし、恥かしいことなのですが、今考えるなら、これはつい最近までかなり実感の欠如した推量の域をでなかった考えでした。
 しかし、今、かつてのこのような認識は、強い力を持って、私の思考に再び浮かび上がってきたのです。
 今の私の全存在が怒りに震えていることを、私は皆さんに告白しなければなりません。
 この怒りは、二つの事実を経験することによって湧き起こってきたものです。

 第二回目のエッセイで、私のある親しい人の娘さんが、「潰瘍性大腸炎」と診断されたことは既に述べました。しかし彼女は簡便な出来合いの惣菜を自分の子 供に与え続けてきたのではありません。毎日、多くの時間を裂き、家族の為に料理を作ってきた結果なのです。私はどうしても合点がいかなかった。更に何度 か、どのような料理をどのような作り方で調理していたかを聞き出そうと試みました。

 彼女はある地方のかなり裕福な家庭に生まれ育ちました。大学の家政科で学び、後、幾つかの料理教室やお菓子教室に通い、結婚前の時代は料理教室の助手として仕事をしていました。
 彼女は、料理雑誌「栄養と料理」を最も信頼できる書として、常に彼女の料理作りの為の、指針をその書に求めていました。
 彼女がその書で得たものは、彼女が助手をした料理教室で教えられたことと全く同様に、料理で最も大事なことは「上品な澄んだ味わい」であったと言いま す。その為にはどのように調理しなければならないか、料理教室と「栄養と料理」から実に多くのことを学んだと言います。

 幾つかの例を挙げましよう。
 「煮干し」は、「出し」の味わいが濁らないように、頭と内臓はちぎって、取り除いて使わなくてはならない。
 「こんにゃく」は下茹でをして、えぐみを取り除いてから使う。
 里芋は下茹でをして、ぬめりとえぐみを取ってから使う。
 大根も又、下茹でをして、えぐみをとって味わいを穏やかにしてから使う。又、米ぬかか、米を加えて茹でる。

 又、栗きんとんに使うさつま芋は、ゆでて裏ごしてから、布袋に包んで「芋臭さ」を取る為に、じゃぶじゃぶと水の中で洗うようにしてさらし続ける。大根おろしも、大根の辛さ、えぐみを取る為に布袋に入れ、水の中でもみ洗いをする。

 煮物に使う蓮根は色が変わらないように、酸を入れた水に漬けておいて、下茹でをしてから使う。
 筑前煮の場合は一度油で炒めてから使うので、色が変わらないので切ってそのまま使う。

 「出し」は、まず昆布を水に浸けて漬けておいて、うま味を出し、これを沸騰させたところに鰹節を加え、軽く沸騰したら火を止めて、鰹節が下に沈んだら、すぐに濾して、一番出しを取る。
一番出しは、お吸い物に使うので、澄んだ味わいでなければならない。残った鰹節と昆布に再び水を加えて、少し長く沸騰させ残った旨みを取り出し、二番出しを取る。二番出しは、煮物などに使う。

 そして、彼女や、その他の料理を習う女性達は、これらの料理法は手間がかかり、普通の家ではなかなか作れないが、おいしく、上品な味わいがあり、もし余裕があるなら、一般の家庭でもできる限り、取り入れるべきだと考えていたと思うと言います。
 そして彼女は実家でもこのような考えを実践して、決して手を抜かず、せっせと素材のアク抜きをして、下茹でをして料理を作り続けたと言います。

 そして、やがて彼女は結婚しました。新家庭でも彼女は更に一途に家族の健康の為に、上品な味わいの料理を作り続けたのです。
 やがて子供が生まれました。「栄養と料理」と首っ引きで、望ましいと言われた離乳食を少しも手を抜くことなく作り続けたと言います。その本の考え方の中 心は、大人の食べ物は赤ちゃんには刺激が強すぎるので、できるだけ大人の食べ物とは違った刺激の弱いものを作り上げて与えることが大事であると説いていた ように思えたと言います。つまり、私流に端的に言えば、実際の生活では存在しない味わいを彼女は自分の子供に与え続けてきたのです。やがてその子が成長し
て経験するであろう、そして食べ続けていくであろう食べ物とは、全くかけ離れたものを食べさせていたのです。
 食べることであれ何であれ、今、その人間が経験していることは未来への準備であり、訓練であることを彼女は見失っていたのです。
 その子は生れ落ちて以来、成長してやがて離乳食を終えるまでの何年間は、この世の実際の食べ物を、現実にこの世で人間として経験することはなかったので す。生れ落ちてからその時まで、親の愛情と共に最も大事な、食べることの経験が今も全く余白の状態なのです。
 この二つのことが、彼女の「潰瘍性大腸炎」の基本的な大きな要因に私は思えるのです。
 日本料理の真髄とも思われているこの「濁りのない澄んだ」上品な味わいは、本来の味わい、つまり私達の身体の健康を維持発展させ、精神的には人と人とを強く結びつける絆を作り上げる味わいではありません。
 意味のない手間、価値を積み上げた、元々自らと他を社会的に識別する為の手段の一つであり、形式的な味わいなのです。
 この味わいは、確実に私達の身体と精神を蝕んでいます。
 今まで幾度となく述べているように、「頭の為のおいしさ」が完全に、「身体の為の本来のおいしさ」を完全に駆遂した味わいなのです。

 「澄んだ味わい」の美名の元に私達の細胞、組織、器官が必要としている、料理の素材に含まれる様々な栄養素を取り去り流し去っているのです。本来は私達 庶民の目に触れぬ所に見を隠しているべき、虚構としか言えない実体のない味わいが今日本全土を覆い尽くしているのです。
 この国の陸上の産物は、際限なく野放図にばら撒かれた農薬と、生産的効率だけを追い求めた手抜き生産法によって、全く形だけの水の塊に成り下がってし まったといっても少しも言い過ぎではありません。本来その作物が持っているはず様々の栄養素を殆んど失ってしまったのです。

 これだけでも、私達や、若者、子供達の身体や頭脳は計り知れないダメージを受けています。
 更に、それを追い討ちするように、形式的な味わいは、ほんの僅かしかなくなってしまった、栄養素さえも自らの無知ゆえの傲慢さによって捨て去っているのです。

 腸などの器官を健全に育成する為の本来あるべき栄養素を持たぬ食べ物や料理は、子供達の腸を水の如き形だけのものに作り上げる。
 時代の雰囲気と常識に従って、彼女が自分の赤ちゃんの為に精一杯の愛情を注ぎながら作り続けた離乳食はその子に何を与えたのだろうか。
 彼女も、彼女の夫も、好き嫌いは全くなく、何でもおいしく食べることができた。
 しかし、その子は、かなりの好き嫌いが今でもあるようです。わさびなど辛いものは全然駄目らしい。つまり、食べ物の嗜好が離乳食を与えられていた頃に停止したままで、未だ通常の成人になっていないのである。

 しかし、彼女は、自分の子供に、やがてその子が経験するであろう実生活から徹底的に隔離された離乳食を与えたことの意味をつい最近まで理解することはなかった。
 ある方の一言で彼女は、自分が自分の子供に与えたものの誤りに気がついたのである。
 その言葉は、私達がとても御世話になっている韓国人の女性の言葉である。
 彼女の作る韓国家庭料理は本当に筆舌に尽くし難いほどおいしい。理屈なくおいしい。
 殆んど今の日本では経験することができなくなった、本当の身体が求めているおいしさである。彼女の御宅に伺い、待ちに待った彼女の料理が出てくると、一 緒の私共イル・プルーのスタッフはもう箸が止まらない。本当においしい。確かに、強く身体が求めている、おいしさなのである。それも自然なおいしさなので ある。
 テーブルの上に出されるものをいつも殆んど食べ尽くす。
 しかも、驚くことは、殆んどが日本の素材を使っての料理なのである。日本の素材で、これほどに本来のおいしさを持った料理が作れることは、去年の様々な出来事の中で、一番の大きな驚きでした。
 日本の素材では、決して本当のおいしさは作りえないと考え、そして広言していた私にとっては恥かしいことであり、このことの愚かさは私は素直に認める。
 しかし、その料理の作り方の基本は既に日本では久しく失われてしまったものであることも事実である。

 彼女はその韓国人の女性にそのおいしさの秘密を解くべく、何度か彼女の御宅に通った。
 そこで、彼女は、かつて自分の子供にしたことと反対のことを聞いたのである。

 今、やはり韓国でもキムチを食べない子供が少しずつだが増えている。
 3歳迄にキムチを食べたことがない子供は一生キムチを食べられなくなってしまう。
 私達にすれば、唐辛子と、ニンニクの効いたキムチは、乳幼児には刺激が強すぎるもの、子供の正しい発育を阻害するものに見えるのかも知れない。しかし、それは少しずつでも食べさせ、未来への準備、経験を少しずつ積まなければならない。

 そして、何度も彼女の手作りのキムチを頂くにつれて、醗酵ということの本来の意味を私達は忘れてしまったことに気づく。 
 本当においしい。食べた誰もが、そのおいしさにはっとする。心と身体に力が湧いてくる。
 乳酸醗酵によって、豊かに幅を広げた身体の望む栄養素が満ち溢れている。気候と風土が長い年月の中で作り上げた、そこに住む人にとっての最良の食べ物さ えも、私達の国日本では、マスコミやその時代だけの雰囲気によって作り上げられた、子供への無用の気遣いによって忘れさせてしまうのである。

 又、私はこれと全く同じことを語る、NHKのベルギービールの特集を思い出した。
 それは何代かに渡って、家内製工業によって手作りのビールを作り続けてきた家庭の食卓であった。
 未だ一歳にもなっていない幼児に、勿論、グラスに5分の1ほどの少ない量であるが、ビールを飲ませているのである。そしてその子は実に嬉しそうに、おいしそうにそのビールをなめるように飲んでいる。
 私も驚いた。こんな小さな子にアルコール性の飲み物を与えるとは。
 でもその子のおじいさんはこう言ったのだ。「私達が代々に渡って造り続けてきたこのビールには、私達の家族の歴史の全てが含まれている。代々続いたビー ル造りの考え方、そして家族の愛、様々のものがこのビールの中にある。この全てを、私達は、この子が物心つかぬうちから、この子の身体と心に教えなければ ならない。」私はこの言葉を聞いた時に、私の全存在が震えたのを忘れることはできない。これは正しく食べ物と人間との関わりの本質を示した言葉なのだ。私 はこの言葉によって、人間と食べ物がどれほど大きな関わりを持ち、そして人と人とを結びつけるかを知った。

 しかし、彼女が、自分の子供に与え続けた離乳食は、意味のない時代の雰囲気だけに作り上げられたものであり、彼女自身の考え方、彼女の母が与えてくれた愛を湛えた料理ではなかったのだ。


 さて、前述の「澄んだ味わい」の為の料理の作り方を分析してみましょう。

 何故、煮干しは、味わいが濁らないように頭と内臓を取り除いて使うのでしょうか。
 その前に何故煮干しが味噌汁などの出しとして使われるようになったかを考えなくてはなりません。一匹の魚の全てを食べるということに意味があるのです。 人間でも魚でも、その器官、部位によって含まれる成分、栄養素は異なります。全てを食べるということはそれだけより種類の多い、幅の広いミネラルや微量栄 養素を取ることができます。人間は生命の誕生以来、三十数億年の歩みの中で、自然界に存在する、幅の広い微量栄養素を組み込むことによって精緻な組織を作 り上げてきたのです。
よく言われる必須ミネラル19種類だけの問題ではありません。
 可能な限りの幅の広い無機質と有機質の栄養素が人間の細胞、組織、器官の育成、維持の為には必要なのです。19種類ほどの必須ミネラルでは、全く不充分な建築資材であって、短期間で老巧化する腸壁しかできないのです。
 しかし、「澄んだ上品な味わい」とやらに煮干しの頭と内臓を取り去ってしまうことは、先人達が築き上げてきた健やかな生命を維持する為の必要な経験、習慣を私達自らの手で破壊してしまうことなのです。
 いわゆる、濁った味わいを作り出すと考えられる頭や内臓にはより豊かな幅の広い微量栄養素が含まれていることは誰にでも容易に理解できるはずなのですが。

 勿論、私の子供の頃、会津の家では、煮干しはそのまま使いましたし、残すと両親に叱られたものです。これは特に子供達には食べさせなければならないものと、親達も自然に理解していたからなのでしょう。

 前述の韓国の方も、日本に来て、ある所で日本料理を習われて、煮干しの頭と内臓を取り去ることを習ったと御主人に話したところ、それはしてはいけないこ とだと窘められたそうです。彼女の家で頂く、チゲ鍋では、キムチと共に今の日本のメーカーが作ったものとはかなり違った私が子供の頃味わった味わいの味噌 と、煮干しでしっかりと出しを取って作り上げます。本当に心と身体が暖まる、力が湧いてくる、これも又、今の日本では全く経験できない本来のおいしさを 持ったものでした。彼女の御主人は、しっかりと煮干しを使うことの意味を理解されているのです。

 つまり、ここでは後に続く、お茶の味を邪魔しない、料理の味わいを作るという大義名分のもとに、全く容易に、本来の料理のあるべき姿が歪められてしまっているのです。
 様々の懐石料理の流派があり、それぞれの正統性を競い合うなかで、いわゆる、自派の料理にもったいをつける為の、「意味のない」儀式の複雑化と、本来の ものとはかけ離れた当事者だけの思いつきによる「意味のない」形式と価値が積み上げられてきたのです。以下のことも同様の発想により形式として発展してき たのです。

 どうして、お吸い物は澄んだ出しと、澄んだ味わいが良いのでしょうか。
 どうして、一つの完全なものから、ある部分を取り出して、あるものに加え、残りの部分を別のものに加えるのでしょうか。

 本来の料理からすれば、全ての料理に対して、出しの全ての要素が、分けられることなく加えられた方がよりおいしいに決まっているのです。
 ある料理には出しのこの成分、ある料理には、この出しの成分などという手法は意識的な形式の複雑化であり全くのこじつけにしか過ぎません。
 お澄しであっても、舌全体に厚くしっかりと味わいを感じるものの方がずっとおいしい。
 薄っぺらな味わいのお澄しを私は少しもおいしいとは思いません。
 煮物にしても、同様です。出しの全体のしっかりした味わいと共に、香りもより豊かな方が誰が食べても本当においしいのです。
 里芋のえぐみとはどういう味なのでしょうか。味わいのどの部分がえぐみなのでしょうか。私には全然分かりません。本当に「えぐい味」ってなんなんでしょ うか。全く分かりません。私の子供の頃、会津の家で下茹でも何もしないで食べた里芋の記憶の中に、食べた人の心と身体の健康を阻害するえぐみなんて、私の 記憶にはどこを捜してありはしません。
 大根のえぐみとはどんな味なのでしょうか。味わいの中に溶け込んだ、大根の少し苦みを中心にしたあの個性的な味わいを指すのでしょうか。でも、あの大根 そのものの味わいが無かったなら、何故、大根を食べなくてはいけないのでしょうか。どうして、私達のおじいさんやおばあさん、そして私の両親が、私にあの 味わいを伝え続けたのでしょうか。勿論、私が育った会津では、大根のえぐみを取るなんてことは、私の家と同様にほぼどの家庭でもしなかったことは容易に想 像できます。当然そんなことは全く余計な手間にしか誰も思わなかったでしょう。
 勿論、以前の大根には、私達の身体に必要な幅広い栄養素が含まれていたことは間違いないと思います。そして、秋刀魚や鯖や脂肪の多い魚には、必ず大根お ろしが添えられます。勿論、大根の中に含まれる、ジアスターゼなどの消化酵素が、日常的に脂肪の多いものを食べ慣れていない日本人の胃を助けてくれます。 効率よく、季節の恵みを完全に近く消化吸収できるように力を貸してくれます。果てしない時間の中で培われてきた生活の知恵というよりも、はずしてはならな い必須の要件だったと思うのです。
 勿論、大根は農産物ですから、その年の気候、季節や品種によって味わいは違います。辛い時もあれば、甘い穏やかな味わいの時もあります。でも、それは、量を増やすとか減らすとか、加える醤油の味を加減すれば少しも問題はないはずです。
 でも、布袋に大根おろしを入れて、水で大根のえぐみを洗って流す、これは全く気違いじみた、しかも子供じみた行為としか私には思えません。とにかく、懐 石料理の宗家の「もったいぶった本物らしさ」をより誇張する為には、何でも良いのです。素材の個性的な本来の味わいさえも、寄ってたかって、なぶり殺しに するがの如く、自分達の流派の正統性を作り上げる為の愚かな契機にしか過ぎないのです。

 又、どうして、下茹でして、大根の味わいを抜いてただ柔かいだけの、単調な歯ざわりだけの味わいにまで私達日本人の大根を卑しめなければならないのでしょうか。
 彼女は又、切った大根1個1個の「面取り」とかも時間をかけて、一生懸命忠実にやったそうです。
 でも、これは、見栄え、その他のことを可能な限り考慮しても殆んど意味がない。勿論角が傷つきにくくなること以外には何もありません。これによって
、大根がおいしくなる訳でもない。又、よりおいしそうに見える訳でもない。作り手の、押しつけのおいしさが伝わるだけなんです。
 でも、本当に和食の料理人、そして日本人の総体の画一的、はっきり言えば主体性のない馬鹿の一つ覚えには今さらながらあきれてしまいます。
 確かに、私も教室で、自ら試してみましたが、筍のえぐみは、真水だけでは取り除けません。米ぬかを加えて煮上げれば、程よく、ほんの少しの筍らしさを感じさせる「えぐみ」を残して豊かな味わいに煮上がります。
 確かに、米ぬかには、この筍のえぐみを分解して、穏やかな味わいに変え、しかも米ぬかの豊かな栄養素が筍にしみて、元々栄養素の乏しい筍の味そのものに 豊かさを作り出すということあったでしょう。でも、大根に使う米ぬかは、全くお門違いな使い方をされていると私は思います。だって大根には、筍のように、 これがあっては日本人は誰も食べられないなんてえぐみは存在しないと思うし、和食の料理人が考えるえぐみは、私達、庶民が感じるうま味そのものであると思 います。
 つまり、筍のえぐみも、大根のえぐみも和食の料理人にとっては同じ不快なものであるようですが,私にとっては彼らの二つの「えぐみ」も全く異なります。 筍でやっているアク抜きを全く質の異なる性質の素材に、何も考えることなしに機械的にあてはめた、それも自分達の流派のより深遠なる正統性を自らが感じる 為に作り上げた、ただそれだけのことだと思います。
 ある人は、前述のように米ぬかのもっている豊かなおいしさ、栄養素を与える為だと言われるなら、何の為に下茹でするのかという大義名分が、「えぐみ」を取る為ではあまりにも淋しい、情けない。

 「匂い」のしないこんにゃく、何の為に食べるのでしょうか。匂いを取れば取るだけ、こんにゃくが持っている個性的で特徴的な、微量栄養素の分布、つまり種類と幅は失われます。
 あの歯ざわり、複雑な様で単調な歯ざわりだけに、「こんにゃく」の存在理由を見つけるのであれば、とても空しい。こんにゃくなんて食べなくても別に困り はしないです。それぞれの素材が、人類と共にあり、日本人と共にあり続けてきた必然を作り上げた理由は、その素材に含まれる栄養素の豊かさ、種類の幅以外 には有り得ないのです。この日本の地で取り得る素材の種類には限りがありました。その中で、自分達の身に必要な最低限のものを、私達は、私達日本人の基本 的な忘れてはならない習慣として作り上げてきたのです。
 決して、他の素材との見た目の違いとか、歯ざわりのみで、こんにゃくが私達の食事にあり続けたのではありません。
 ここでも、こんにゃくが持つ、特徴的な栄養素が、澄んだ味わいのもとに、流派の拮抗の下に抹殺されてきたのです。

 日常の殆んど全ての料理に、たっぷりの上白糖を加え、甘さ以外に何の味わいもない味つけを、日本固有の文化と考える人はこの日本にとてつもなく多いと思 います。しかし、これほどに、盲目的にというよりも、節操もなく、料理に単一的な砂糖という代物を投げ入れながら料理を作る民族は他には無いということ を、私達は知らなければなりません。
 年に何度か訪れるフランスで、必ず何人かのフランス人に声を潜めるように「どうして日本の食べ物、料理は、あれほどに甘いのか」とどのようにしても理解 できないという表情で質問されます。正しく、今私達が食べている甘さが全ての料理は世界中で私達、日本人だけなのです。勿論、他の国々にもかなりの甘さを 伴った料理はあります。しかしそれは、簡便で単純な調味料としての描出された砂糖を使っての甘さではありません。ココナッツミルクを使ったり、その土地土 地の、栄養素を豊富に含んだ地の産物を使っての、その土地に必然的に培われた甘さなのです。
 しかし、私達日本人が今、私達そのものと考える砂糖による甘い味つけは、昔ながらの味覚の習慣ではありません。昔ながらの日本人によるものではなく、実 はこの30~40年に形成された、様々の最近の社会的状況によって醸し出された、本来の私達日本人の嗜好の実体とは全くかけ離れた虚構の味わいなのです。
 この甘さが台頭した理由には様々なものがあり、様々な理由が複雑に錯綜して

、築き上げられたものです。しかし「破滅の淵の裸の王様」には余すところなく
述べていると思いますので、一読下さい。

 何よりも、この甘い味つけはそれを食べる人の身体と、精神、つまり社会性を傷つけ損ねます。
 一番恐ろしいことは、この甘さは、素材の持つ表情の機微を消してしまいます。今の素材は、薬漬け、手抜き農法の結果の全く味わいの薄い、無表情なものば かりなのですが、その中にかろうじて残っている、その素材の持つ、細やかな表情を包み隠し、食べることを一つの記号にしてしまいました。そのような料理を いくら食べたとしても、人は季節の喜びを優しさを、自然の息吹を感じることはありません。私達人間が自然の大きな営みの中に、揺られ育てられているという ことを知ることは決してありません。そしてこれらはやがて、自然への心遣いを忘れた傲慢さのみの人間を作り上げます。
 自然への心遣いと同時に、自分以外の人への心遣いを忘れさせてしまいます。
 いわんや、家族の繋がりさえも忘れさせてしまうのです。料理は、作り手の生まれ育った環境、家族の愛情、様々のものが、一皿の中に集約されて表れます。作り手によって、それぞれ料理の表情が違うのです。

 そして、それを食べた子供達は、母の愛を、その家の持つ、アイデンティティーを知り、それを自分の存在の柱として育つのです。しかし、砂糖の甘さは、素 材の機微と同時に、作り手の心の細やかさをも包み込んでしまうのです。子供は母の愛を、自分が生れ落ちた所の特徴、個性を知ることはできません。つまり、 自分を作り上げていくべき鏡が見つからないのです。甘さに蹂躪された食べ物は、食べることを単なる記号にデザインしてしまうのです。
 機会ある毎に何度も述べてきましたが、食べ物は、音声を発する言語よりも、より基本的な人と人とを結ぶ言語なのです。人は、表情のある食べ物、料理を取 ることによって、自分が人間という、社会的存在の規範の中にあることを知ります。決して自分は一人ではなくて、肉親だけではなく数知れぬ人との繋がりの中 に生きていることを知り、安心するのです。そして、この世で、自分は自分の家族によって最も愛されていると感じた時に、この人との繋がりに安心し、自信を 持ち、他人に優しくなれるのです。

 つい最近までの、日本の食べ物も、確かに人と人とを結び付けていてくれたのです。しかし、今は、物を食べることによって、この日本では人と人はより疎遠 になり続けています。社会の中には、様々の生命を搾取する動機が満ち溢れ、家庭では、全く意味もない時代の雰囲気に足蹴にされた料理法によって、私達の心 と身体の健康を搾取しているのです。


 私は今、日本料理、懐石料理の書を素人なりに幾つか開いています。
 しかし、私は、これらの食に関する知識のスペシャリストになろうと思いません。何故、このような意味のない価値の積み重ねの料理が、私達一般の人のところにまで降り立ってきたのかを知ろうとしているに過ぎません。
 又、読み始めた幾冊かの本を充分に理解したわけでは勿論ありません。
 しかし、その中でも、今まで述べてきたことがほぼ100%近く当てはまる、あまりにも無定見で、もしこの料理法が日本人の一般の常識として定着すれば必 ず、日本人の生命と精神の尊厳を傷つけ、やがては日本人の存在そのものを危うくするのであると考えざるを得ない本を見ながら述べてみます。
多分この本は今のマスメディアの中での様々な意味で、今の日本料理を余すところ無く見せているように思えます。
 それは柳原一成氏の和食の為の指南本です。氏は伝え聞くところによれば、現在日本料理界の中での第一人者の中の一人であるとのことです。料理教室もなされ、多くの生徒さんが氏が教える料理を「あるべき形を持った日本料理」であると認めているとのことです。
 何よりも懐石料理、近茶流の宗家であるという血筋が周囲の人達の尊厳を集めるのでしょう。
 しかし、ここに書かれている料理は、あまりにも安易な考えに満ち溢れているように思えます。まず何の考えもなく、ただ機械的に、「澄んだ味わい」を作り 出すための本来の料理とはかけ離れた無意味な技法が百年一日の如く、駆使されています。えぐみを取る為の下茹で、更に水にさらし、栄養素を流し去る。
 とにかく素材から旨みを取り去り、空虚な味わいを作ることを、料理の最も大事な命題である「澄んだ味わい」を作ることと、他の和食の多くの料理がそうであるように、あまりに容易に継承、踏襲していることです。
 そして、配合を見ただけで、その甘さが想像できるほどの、砂糖とみりんの多さです。

 この本に載る60%ほどの料理には、たっぷりと砂糖が、あと残りの砂糖にも必ず「みりん」が実に機械的に容易に加えられます。
 これだけの砂糖の量を料理に加える味覚上の根拠は何なのでしょうか。他の料理の本と同様に、この本の中にその理由を見つけることはできません。
 多分、他の流派も砂糖を加えているから、あるいは、砂糖を加えるととりあえず味わいに形がつくからという、漠然とした甘えからではないのでしょうか。

 そして何よりも、多くの人達に読んでもらい、多くの人達に料理を広めるに値する書である為には、致命的にかけている視点があります。
 それは、今の海の産物を除けば日本の陸上の産物は、以前の私が子供であった頃の素材とは、それに含まれる栄養素の幅、種類、これは同時に味わいの深さに 於いても異なることを理解されていません。あの頃の野菜や果物とは今のものは全く違うのです。水の塊のように少しの味も、香りもない白菜やジャガイモ、味 わいとはほど遠い得体の知れない苦さしか感じられないキャベツ、殆んど大根らしい味わいの消え失せた、大根おろしにすればザラザラの繊維と水に分かれる大 根、気の抜けた、ぬめりもなくなった、味わいもしない里芋、そして、匂い、味わいを意識的に既に製造元で取り去られたこんにゃく、白滝。
 今のこれらの素材のどこにえぐみや強い個性があるのでしょうか。そんなものはどこにもありはしないのです。しかし手抜きと薬漬け、水耕栽培などにより、 かつてのしっかりした素材にはあったであろう、そしてえぐみと感じられるほどの味わいの個性とは全く別の、本当の身体に良くないえぐみがホウレン草、アス パラガス、キャベツ、三つ葉、春菊などには表れています。しかし、これ大根、里芋、その他には分かるほどに表れてはいません。
 つまりこの本の著者は、私より年輩ですが、日本料理の宗家でありながら、かつてと今の素材の味わいを認識していないとしか言いようがありません。
 殆んど意味のない私の詮索ですが、著者の前代の宗家の方々の時代には、彼ら懐石料理の作り手には「えぐみ」と言われるものは確かにあったかもしれません。しかし、今の野菜には、無理矢理に屁理屈をこじつけたとしても、「えぐみ」などは存在しないのです。
 ありもしない「えぐみ」をあるものとして、既存の形を踏襲する。これほど楽で、努力のいらないこともないのです。

 例えば「うど」を使った料理です。今の栽培のうどを、著者は真剣に食べたことがあるのでしょうか。心もとない歯ざわりだけの、それ以外に「うど」を意識 することのできない全く空虚な味わいです。こんなものを下茹でして、更に水にさらせば、あとには何が残るのでしょうか。季節や作り手の思いなどは決して、 このようなものの中には織り込めません。
 あるいは、こう反論されるかもしれません。自然の良質な素材を使うことは当然な述べる必要ない基本的な知識であると。しかしこの本は、一般の人達の為の 料理の本なのです。その為の指南の本なのですから、本来の良い素材と、実際に流通している素材の違い位は詳しく説明して欲しいのです。
そして当然一般の人はどのようにしても常に望ましい良い素材など手に入らないのですから、あまり良くない素材の場合の作り方なども記して欲しいのです。でもこれは多分無理な望みでしょう。
 ありもしない、消え失せた素材の特性の為に同じ技法、考え方を固執し続ける。正に「裸の王様」の料理法だと言えるのではないでしょうか。
 もう、このような形式のみに呪縛された料理法は捨てなければならないのです。
 殆んど全ての陸上の素材が、希薄な栄養素、味わいしか持たなくなってしまった今、私達は、新たな料理法を作り上げなければなりません。いや、かつてのあるべき姿に立ち戻らなければならないと言った方が正しいかもしれません。
 これには、前述の韓国人の知人が作ってくれた手料理が答えを与えてくれると思います。

 彼女が作ってくれたキムチ、ナムル、チゲ鍋のおいしさは私達にはあまりにも大きな驚きでした。
私の身体がずっと待っていたものであり、少しの理屈も、おいしさについて考える必要もない、食べているその時は、私の全てがその料理に吸い寄せられている感覚を私は感じました。
 でも、その料理の素材はものによっては韓国の素材が少し、またものによっては日本の素材だけで作られていました。私にはそれが信じられませんでした。私 はその時まで、日本の陸上の素材では決して、本来の味わいの料理などできるはずがないと固く信じていました。

 日本の素材でもこのようにおいしくできる料理法をどうしても知りたくて、前述のように私の教室スタッフを彼女の御宅に料理の勉強に行かせました。そしてその理由が少しずつですが明らかになりました。
 最も大事なことは、一つの料理であっても、その素材の旨み、特徴、全体の味わいを高める為に、使う素材一つ一つの個性を引き出す為に、その素材に合った 異なる下ごしらえをし、そしてこの素材の特性と、素材同志のコントラストを失わないように、最後に全てを一緒にすることです。
 今の日本の和食の作り方と最も異なる点は、一つの料理に使う幾つかの素材があり、その素材一つ一つの下ごしらえの為に、更に幾つかの調味料、素材を使う ことです。つまり、できるだけ多くの素材を使い一つの料理を作り上げるのです。勿論、使う素材が多くなれば、様々の栄養素の幅が広がり本来の味わいが可能 になるのです。
 味、その他の調味料も昔からの作り方が守られています。素材を醗酵させることによって、素材が持っている栄養素の幅を更に豊かに広げるということが、しっかりと実生活の根底で理解されていて、古くからの民族の教えとして変質せずに伝えられているのです。

 しかし、日本に於いて一般的であり前述の和食の作り方に見る日本料理の作り方は、この韓国料理とは全く正反対の、観念の中の料理なのです。
 つまり、同じく素材に手を加えるものであっても、素材に更なる栄養素、更なるおいしさを加えるのではなく、下茹で、水にさらす、煮干しの頭と内臓を取る など、素材から、栄養素、旨みを取り去り、私達の身体は少しも望んでいない実体のない「澄んだ味わい」を作り上げるのです。
 様々の要素、つまり旨みや栄養素を積み重ねて、一つの混沌とした豊かな味わいを作り上げることは、フランス料理に於いても、最も基本的なことなのです。 洋の東西を問わず、料理の基本とは、身体が本当に望むものに少しの精神的な彩りを与えるということなのです。しかし又、フランス料理でも今の日本料理と同 じ、料理から要素を引くという形式のみの自称フランス料理が横行しています。これは私達フランス菓子を作る者の間にも同じ考え方が溢れています。

 でも、とにかく、私の浅はかな信念は脆くも崩れ去りました。でも、嬉しく崩れ去りました。

 料理は、昆布と鰹節の出しを使い分けるということすら、私には形式以外の何ものでもないと感じ始めました。
 鰹節をその都度削って出しを取ることは、いつも即製の出しを作っている人には、これだけでも面倒なことでしょう。でもこれすら私にはあまりに簡便な手抜きの料理法に思えてきました。必ず鰹節で出しを取らなければならないことなど、どこにもないのです。
 本当に、私達が毎日食べる家庭料理でも昆布と鰹節だけで取る出しで充分なのでしょうか。
 未だ、私が子供の頃のように野菜など陸上の産物の素材に、より豊かな栄養素が含まれていた頃は、整合性があったのかも知れません。
 私の家の出しは、味噌汁などは煮干しをたっぷり入れているだけでした。動物性の蛋白質と言えば海産物だけで、肉を食べるなんてことは中学生になった頃 で、それもほんのたまに、そしてほんの二~三切れという程度でした。18歳で上京し、学生生活と言っても食べる為のアルバイトばかり。一週間、米と味噌、 醤油、塩だけで過ごしたことも何度かあります。でも今私は元気すぎるほどに元気です。

 又、第二回目のエッセイで述べたように、ある歯医者の先生が、老人の歯は機械が摩耗としてるのではないかと思うほどなかなか削れない。でも、今の若者の歯はあっという間に、脆く削れてしまうという言葉の中にも理解することができます。
 でも、今の栄養素の乏しい素材では、鰹節だけではどうしようもない栄養素の欠乏を招いてしまうと思います。もっと他の要素を沢山加えないといけないのです。
でも、ちゃんと一本の鰹節を削って使えば既に薄く削られたパック入りのものよりは、確かに幅の広い豊かな栄養素を含んでいるでしょう。でもこれだけでは不充分です。
 ここで、もう一度私達は「出し」ということの意味をよく考え直して見なければなりません。
 現在は、陸上に棲む人類も、海に発生した生命から進化したものであり、それがやがて陸に上がり、更なる進化をしてきたとのことです。
 海で棲息していた頃の特徴は今でも強く残っていて、私達の内臓が浸かっている体液のミネラル比は、海水のミネラル比ととてもよく似ていると言われています。


 そして体調を良い状態に保つ為にはこのミネラルの豊かさ、バランスが崩れないように常に補給し続けなければなりません。
 料理の基本とはこの身体の必要とするものを日常的に豊かに補うということなのです。
 でも、陸上の産物だけでは海から上がってきた人間の必要としているミネラルを充分に補給することはできません。そこで、海のミネラルを含んだ海の産物を 「出し」として使い、ミネラルの幅を広くする、これが「出し」に海の産物を使うことの意味だと思います。決して、グルタミン酸とか、イノシン酸といったう ま味の要素のみを加える為ではありません。
 「出し」だけでなく、「ホウレン草のおひたし」、「冷奴」に、鰹節を削ったものを添えることの意味なのです。
 あるいは、日本でも以前は海塩が家庭で使われてきた理由なのです。政府の経済効率のみしか考えられぬ偏狭な考えのもとに精製化学塩に取って代わられたの ですが、ここでも、私達日本人の微量栄養素の補給は絶たれてきたのです。この精製化学塩がどれほど私たち日本人の身体を傷つけてきたかは又、別の回に述べ るつもりです。
 このような化学精製塩を使うのは日本だけであり、海塩の中にNacl食塩と共に私達の身体が必要としている豊かなミネラル群を求めてきたのだということを完全に忘れてきました。

 次に考えなければならないことは、何故、この本だけでなく、その他多くの本やテレビなどで、料理に砂糖がこのように使われているのでしょうか。これほどの砂糖が使われるようになった流れに関しては「破滅の淵の裸の王様」の中で既に私なりの推論は述べました。
 又、ここでは料理人にとってという新たな視点から見てみます。
 今まで述べてきた日本の陸上の産物の決定的なほどの栄養素の希薄化は、和洋を問わず既に多くの人が、ましてや料理人なら気づいていると思います。
 そして、このような素材では、今まで、彼らが競ってやってきた「澄んだ味わい」すらも、全くの水の如き料理とは言えない代物になることは当然理解してい たでしょう。しかし、このような流派というものは、今まで既に築かれてきたものを盲目的に保守しようとする傾向にあります。
 自らが代々行ってきた料理法、下茹で、その他の手法を変えたのでは、自らの存在を否定するかの如く強迫観念にとらわれます。今まで通りの料理の手法、形 式を変えずに、手っ取り早い調味料としての砂糖を使うことによって、今の素材で以前からの料理法で作ることに論理的整合性を与えようとしたのでしょう。

 砂糖という実体のない旨みでもって、彼らは自分達の古来からの形式を守り抜こうとしたのです。それにしても、何という最も簡便な料理人としての良心を持たぬ、便法なのでしょうか。


 本来のあるべき料理を、魚の頭を右にして盛り付けるか、あるいは左にして盛り付けるかなどという意味のない形式にすり替えてはならない。ましてや、自分 達の盛り付けが一般化したことが、自分達流派の料理の正統性を示すものであると考えることなど笑止千万である。この本にはその他の立居振舞、配膳例、食べ 方などが述べられている。この中には、どうしてこんなことまで規定しなければいけないのかと思うものもある。しかし、私はこのような作法などで教えられる 社会的な位置には育たなかった。つまり全くの不調法ものである。又、日々失われていく「良き日本」に心を痛める日本人の一人である。日本人として形式もあ る程度はそれぞれが持たなくてはと思う。料理以外の形式に対して私は何を言うつもりも、又見識もない。
 そして、そのような素養の少しも無いことに、私なりの恥じらいはある。
 しかし大きな流派の形式的体系の中の一部の位置付けしかない料理には、前まで述べたように大きな異論を持つ。
 でも、この形式的料理が茶事の世界だけに留まるのであれば私は何も言わない。
 しかし、このような料理法が、私達一般家庭の料理法として浸透することを、このような料理法によって、私達日本人としての尊厳が蝕まれていくことを更に早めることを、私は食べ物の作り手として看過することはできない。

 私は断言する。知人の娘さんの「潰瘍性大腸炎」も、発病に至るまでの大きな要因の一つに、このような爛れた料理法があることを。

 又、私は宣言する。遅くとも二年の間に、日本の家庭でのあるべき料理の姿を明らかにすることを。

(記 2009年3月18日)

 

第2回 「生命からの搾取」という言葉の中に私が持つイメージ、内容

第二回目は、「生命からの搾取」という言葉の中に私が持つイメージ、内容について述べたいと思います。
 端的に言うなら、この日本では、例え、人間の存在の中で最も重い価値を持つと、私達が漠然と考える「生命や健康」であってもそれだけでは全く価値あるも のとは見なされません。「生命」を商品として扱い、経済的価値、つまりお金を生み出さなければ何の価値も持たないと見なされる精神風土に陥ってしまったと いうことです。
そして、「金」さえ生み出すのであれば、例え、生命や健康にとりかえしのつかない危害を加えても、生命の尊厳を傷つけたとしても、それは賛えられるべきこととなってしまっているのです。
 何故このような状態になってしまったのかという、私なりの推論はありますが、今回は、そのことについては触れません。
 この本来、あるいは古来の日本を根底から変質させてしまった経済的効率というものは、身体に巣喰った、癌細胞のようなものなのです。それが取りついた組 織の骨のずいまで、最大限の経済的効率を求めて、それに抗うものはことごとく破壊して、自らの存在の目的を慣撤しようとします。
 決して忘れられてはならない民族としてのアイデンティティ、地域性、家族の絆、全てのものを冷徹に破壊し尽します。本来は、その様な経済の冷たさをふり 払うのは無限の時間の中で築き上げられてきた人間としてのあるいは日本人としての理性であり、自分のことよりもまず他人を、自分の国よりもまず他民族を思 いやる人間としての心なのですが、不幸にも、この国にはその様なものはすべて消え失せてしまったのです。
 ちょっと冷静になって私達の周りを見回して下さい。私が「破滅の淵の裸の王様」で述べた、これほどまでに私達日本人の存在そのものを揺るがそうとしてい る、爛れた食の現状にしても、実は全て、経済的利益を作り出し、獲得することのみを最も崇高なものと考える動機からもたらせているのです。

 今回はその他の様々の領域でのこの実体を大きく見てみます。
 日本の農業は本来は全く必要としない多種類の大量の農薬をこの日本の地にバラまきました。
 決して、正しい意味での生産性の為ではありません。農協と農薬会社と種苗会社、そしてそれらに阿る族議員にとって農業は畑、水田は、国民にとって生命に とって基本的で必要不可欠なものを生産する場という認識はさらさらありません。単なる経済的利潤追求の場なのです。農薬の大量の散布が農産物にどのような 悪い影響を与えるかは、又、それによって国民の生命にどのような悲しい結果を招くかは、少しも問題ではありません。
 ただできうる限り大きな利潤を生み出せば良いのです。できるだけ多くの農薬を農家に押しつければそれだけ農協の利益は増大します。
 そして、国会議員、とりわけ族議員と呼ばれる人達は、選挙の際の安定した票欲しさに全ての良心をかなぐり捨てて農協の妾同然の丸ごとおかかえの御用聞き となります。昔のこととなりましたが、決して生産者米価とか減反とかの表だったことだけでなく、実に巧妙に農協がこの国の農業のあらゆる分野に渡って独占 する手助けを恥じらいもなく続けています。この国にどうしようもない壊滅的な農薬をばらまいたもう一人の共犯者は正に国会議員なのです。勿論これもあまり にも大きな「生命からの搾取」なのです。
 又、本来官僚とはその様な性格を内蔵する集団であることは間違いのないところなのですが、特にこの国の官僚は極立った自己保身のみを最大の目標とし、そ れを慣徹しようとする為の余方もない力が与えられています。官僚も族議員と同様に、自己保身の為にはあらゆる手段とともに〔HIV〕に関する資料の隠ぺい など「生命からの搾取」を日常化し、そして、それを不正義と感じることなど少しもない感覚を磨くことに心血を注いでいます。
 意識を持って議員をコントロールすることができない国民は、勿論官僚をコントロールすることなどできるはずがありません。野放図で下劣な彼らは、私達国民を自己の存在を確実にする為の「生命の搾取」の対象としか考えていません。

(狂った食の実態を暴く 破滅の淵の裸の王様より)

 ‘東京都水道局では、97、8年に8か所の浄水場で、浄水する前の原水のダイオキシン類の水質検査を行い、その検出数値から「これが浄水だとしても、飲んだ人の健康に支障はない」と発表したという。
 ところが、その根拠となるTEQという検出方法は、米軍の枯れ葉剤作戦により大量に散布され、これが原因となって、後にベトナムに多数の奇形児出生など の惨禍を残し、最強の毒性を持つとされるタイプのダイオキシン類の検出には有効かもしれないが、最近注目されている環境ホルモンに対してはまだ不明の部分 もあり、観点も薄い。さらに、210種類のダイオキシン類のうち、有機塩素系の除草剤クロルニトロフェン(CNP)や日本で有力な除草剤だったPCPなど の農薬から検出されるタイプのダイオキシン類がたとえ高濃度であっても、毒性が未解明などの理由によりTEQではゼロの扱いとなるそうだ。
 アエラ側が都水道局にさらに詳しい資料を求めたところ、CNPやPCP由来タイプのダイオキシン類はかなりの高濃度であったという。ダイオキシン類では 我が国の先駆的研究者である愛媛大学の脇本教授らによると、その浄水場原水のダイオキシン汚染は、CNPやPCPが発生源となった複合汚染だと考えられる という。
 環境庁による肉、魚、野菜、卵、牛乳などの食品調査や、東京都衛生局・環境保全局の魚類・河川・沿岸の調査でも、農薬に由来すると推定されるダイオキシ ン類が高濃度で検出されている。しかも、これらのデータは自発的に公開されたものでなく、アエラ側の強い要求によって、初めて得られたものだという。 
 前出の脇本教授らによると、松山平野の土壌を採取・分析した結果、水田の土壌はダイオキシン類(主としてCNP、PCPなどの農薬に由来したものと推定 されるによって桁外れに汚染されていたという。このダイオキシン類は瀬戸内海に流れ込む。焼却施設から排出されるダイオキシン類の影響も徐々に強まってい るが、それでも依然として大量に土壌にとどまっているダイオキシン類の影響の方がはるかに深刻であり、その総量の9割以上がCNPなどの農薬に由来するも のと推定されるとのこと。また、松山市内のスーパーで市販されている魚介類の調査からは、魚介類をよく食べる日本人の食生活は危険なところまで来ていると 推定でき、これらの魚介類を汚染しているダイオキシン類も農薬由来と推定されたそうだ。 
 さらに、教授は、多数の奇形児が出生していた89年から4年間、毎年ベトナムでダイオキシンによる人体汚染の実態調査をしたところがあり、日本との比較について「当時は、日本人もベトナム人も、汚染濃度は同じくらいだったが、現在は日本人の方がはるかに高い」と言う。
 95年に松山市で遺体から採取した検体のうち、5人の脂肪組織から検出されたダイオキシン類の数値は、80年代に調査されたベトナム人の場合の約5倍の濃度だったそうだ。
 教授は、「今の検査方法だけで見ていては危ない。これまで毒性ゼロと言われていた種類にも、そうでないという見方が出ている。環境ホルモンとしてのダイオキシン類の毒性評価はこれからだ」と指摘している。
  農水省や環境庁では、農薬メーカーが自粛しているとか、関係機関による研究を待つ、としか言っていないが、ダイオキシン類の大発生源の一つである除草剤、CNPを取ってみても、80年前後までにはダイオキシン類を不純物として含むことは既に確認されていたらしい。
 さらに、この農薬の大量使用と新潟平野での胆のう癌激発の間に相関関係があると疫学研究結果を、新潟大学医学部の教授グループが90年代前半に繰り返し発表し、94年に入っては厚生省がCNPの1日当たり摂取許容量の取り消しまでしている。
 それでも農水省側は、CNPを使った農薬の登録取り消しをせず、メーカーが再登録の申請を控える形の自然失効に任せた。CNPを使った銘柄すべての登録が自然失効したのは96年9月のことだった。
  農薬からのダイオキシン類発生については、元山形大学農学部教授で環境カウンセラーである識者も、ハウス栽培などに使った塩化ビニールの廃材があちこ ちの田畑で焼却されてダイオキシンによる環境汚染に拍車をかけていることを憂慮し、後続世代への犯罪行為をあたりかまわずやっている、とまで言っている。
 このように、環境を破壊し、農協などの懐を肥やす、化学物質の過剰投入を、日本の農業関係者が国家管理のもとに地域ぐるみで行ってきた。
 元東京都立衛生研究所の所員であった識者は、東京湾で奇形などの異状が認められるハゼ、ムラサキガイからCNPを検出。このCNPなどや、CNPで汚染 された利根川のオイカワからダイオキシン類そのものを検出。いずれも78年と81年に英国の専門雑誌で発表していたが、この先駆者も、もう手遅れかも、と 言っているそうだ。
 愛媛大教授は、欧米諸国はことの重大さを早く認識して対応を始めたので大丈夫だが、日本の土壌はもう手の打ちようがない。それでも打つ手はないかと考えている、と言っているという。
 ダイオキシン類の現在の主な発生源として、一般廃棄物(都市ごみ)、産業廃棄物の焼却施設が注目を浴びていて、焼却炉からのダイオキシン類の排出を規制 する措置が、関係法律の改正などでようやく環境庁、厚生省によって進められ始めているが、ダイオキシン類の含有が早くから確認されていたのに、CNPなど の農薬が田畑に長期間大量に撒布され、蓄積されてきた事実は、焼却炉をめぐる関心の陰に隠れ霞んでいる。(「アエラ」1998年8月10日号より要約)”

  食料品メーカーは、発ガン性たっぷりの清涼飲料水をどうどうと押しつけ、料理とは何かということを、食とは何かということを根底から忘れさせてしまうよう な、乏しい栄養素しか持たぬ砂糖漬けの焼き肉のたれや、そばつゆを売りつけます。そして、素材が持っている栄養素を酵素によって変化させ栄養素の幅を広 げ、生命の維持に必要なものを作り出すという、時間をかけた本来の醗酵という意味を忘れた、即製の醤油や調味料が氾濫します。ここでは、それを食べる人の 為の健康とかは少しも問題にはされません。長い時間をかけて、それを食べる人の精神と肉体が蝕まれようが、知ったことではありません。とにかく売れればそ れで良いのです。そしてテレビのコマーシャルは、少しも自分の意志と力で物事を判断する力を持たぬ国民に、本来は生命を危うくする食べ物であっても、それ を隠し、真実性を持つが如く大規模な資本力を持った生産者に一方的に加担します。コマーシャルを作る人には、その内容が良心にもとるものであれ、そのコ マーシャルが生み出した視聴率と経済的利益のみが重要なのです。
 そして、下らなさの極みのテレビでの食に関する番組はこの国民が既に陥ってしまっている危機的な状況を常に隠し、人間の正義からは全くかけ離れた、空虚な空間と時間がこの国を覆いつくしています。

  医学でさえも生命は経済的利益獲得の為の動機にすぎないのです。患者の心と身体を救う為でなく、どうすれば今の医療制度の中で最大の利益を得られるかと供 給している医者は、あるいは医者とは一般人よりも良い身入りを得る為の特権的方便と考える医者はとても多いように思えます。そして、これは私達菓子屋など も全く同じなのですが、自分が新人の頃覚えた時代遅れの知識技術をそのまま、何十年も少しもかえり見ることなくただ漠然と繰り返している医者も多いように 思えます。
 様々な強い副作用を持った抗生物質が大量に生産されます。製薬メーカーは、これらを売りつけようと、商品の良い効能だけを誇大に売りつけ、副作用などの 負の部分を抑制しようとします。多くの医者は、深く考えることもなく、又、その薬を投与後も患者の様子を深く観察することでもなく、より高い収入源となる 人気の抗生物質を少しの疑いもなく与えます。

  私自身の経験でも、薬による副作用で鬱状、肝臓機能の低下によるどうしようもない去脱感に陥ったことが数度あります。私は薬というものを初めから疑う習慣 がついているので、全身がどうしようもない虚脱感におそわれ、かなり思考力が低下した状態でも、なんとかふん張って、その原因を見つけることができます。 でもそのような経験の乏しい普通の人は、それが薬のせいだとは気づかずにそのままどうしようもない状態に、突き進んでしまうのではないかと思います。
 私の友人に、水虫の菌が入ったということで、簡単に内服薬を与えられ、かなりの期間重度の鬱病になってしまった人がいます。
 この水虫の内服薬はかなり肝臓にも負担をかける薬のことですが、勿論定期的なチェックはありませんでした。
 又、もう一人の知人は、同じ状況におかれ、かなり身体の状態がおかしくなっていたのですが、私の話を聞き自分の意思で薬を止めたのです。
 この水虫の抗生物質を飲ませられるきっかけとその後の医者の対応は目に余るものがありますので、後の方で詳しく述べます。
 結局この様な場合、これらの薬は手っ取り早い、利益を生み出す為の医者としての特権の上に成り立った金儲けの為の方便になってしまっています。患者、人間の生命健康への気づかいはどこにあるのでしょうか。
 前回述べた、髪の毛の華々しく空しい様々色比べも「生命からの搾取」が行われています。
 内分泌撹乱物質と呼ばれる今問題にされている環境ホルモンなのですから、ただただあきれる他はありません。どうして私達日本人の同質性の大きな要素であ る黒髪を金髪や茶毛に染めなければならないのでしょうか。これは正に、私達自身が日本人の心を抹殺するに等しい行為であることをどうして知ろうとしないの でしょうか。どのようにあがいても、いくら髪を染めても私達は、今私達が自らを醜いと感じる日本人なのです。何も変わりはしません。しかし、この行為によ り、私達の日本人としての共通の心は次第に蝕まれているのです。
 その上、自分達の生命の尊厳さえも危くする環境ホルモンを頭からかぶり、そしてこの地に溢れさせているのです。そして大人の気まぐれで髪を染められてい る子供を見かけます。彼らの親は子供達の将来に何を与えようとしているのでしょう。とりかえしのつかない傷を心と身体に与える地に落ちた行為であるとしか 考えることはできません。
 しかし、下記の雑誌の記事を、かなりの数の女性が髪を染めている、私のお菓子教室の生徒さんに見せた時に、厳しい反応をした人はわずか2~3人で、ほと んど髪を染めている人達が、彼岸の火事と言った具合に無関心であったことには私はどうしようもない恐怖感におそわれました。決して自分の意志で物を見よう とはしません。流される。他の人のようにただ流されているだけなのです。

(日本子孫基金 月刊誌『食品と暮らしの安全』
 2002年1月1日発刊No.153より)

ヘアカラーは環境ホルモン

ヘアカラーに含まれる危険な成分
 環境ホルモン作用を調査したヘアカラーは、3品目でよく使われるブラウン系、その中でも売れ筋の商品を選びました。ヘアカラーには、驚くほどの多くの危 険な化学物質が含まれています。例えば、パラフェニレンジアミンは、発ガン性があり、骨髄など造血系に毒素影響を与える物質です。レゾルシンにも発ガン性 があります。パラベンは、化粧品一般に添加されていますが、環境ホルモンで、アレルギーも起こします。 含まれる成分のうち、数種類には、「○○フェノー ル」という言葉が入っています。
 これらの物質には、女性ホルモンに共通した化学構造を持っているため、環境ホルモン作用があっても不思議ではありません。
  環境ホルモンは、女性ホルモンと似た構造を持つため、間違った情報が伝達し、生体内の機能が攪乱されます。

※『食品と暮らしの安全』は実に勇気のある消費者の為の情報誌です。
是非の購読をお勧めします。
連絡先は特定非営利活動法人 日本子孫基金03-5276-0256

  官僚の発想とほぼ同じ程度でしか物事を考えられないのはJRも同じです。前身の「国鉄」は国民の上にふんぞり返った「親方日の丸」と言った言葉が以前はよ く使われました。でもこの体質は少しも変わっていません。ただ以前よりは「金儲け」が上手になったのは事実でしょう。しかし、彼らは今、この「金」という 点しか物を考える動機はないように思えます。
 確かに新幹線の車内は小綺麗で快適と言えるのかも知れません。でもそれは、高いお金を払ってくれる乗客に対してだけなのです。
 新幹線のあの騒音、線路の近くに住む人々、一般の人々に対してはいささかの配慮もありません。正に非人間的な扱いを堂々と当たり前のことと彼等は考えています。
 これは新幹線のことだけではありません。大して高いお金の取れない、南武線や東海道線の車両は、フランスなどの通勤の車両から比べればただの薄っぺらな ブタ箱にすぎません。車内は騒音のるつぼ、少しの思いやりもない朝の重い頭を打ちのめす、バカ高い車掌のスピーカーからの声、線路から3~4mの沿線の家 々には容赦なく家を揺るがす騒音と振動があびせられ続けます。通常の一般の生活をまず最も基本的な視点と考えるフランスなどは車内も綺麗でそして車外への 騒音も優しく、暴力的ではありません。
 そして更に驚き、とても恥かしい気持ちにおそわれるのは、新幹線の架線の下にまでせり出して来た一般の民家です。
 ここへ家を作る不動産も、それを許す行政も、他の人々への思いやりや優しさなど少しも感じられません。とにかく金になれば良いのです。
 そして、憐れにも、そんな条件の家でも欲しいと思ってしまう。又、それ以外に選択の余地はないと考えてしまう国民のあきらめに、私はとてつもなく冷たいものを感じてしまいます。
 これも正に、冷厳な「生命からの搾取」であることに変わりはありません。
 出版業界とて全く同じことが言えると思います。私は食べ物の作り手ですから、自信を持って言える、料理、菓子などの本の内容について述べてみます。
 とにかく殆んどの本が、その本の読者、つまり料理や菓子の作り手のことなど少しも考えていません。その内容はどうでも構わないのです。その本を見て菓子 ができようができまいが、料理を作って、その作り方が長い目でみて、その人の健康や生命を傷つけるのかは少しも気にかけるところではありません。
 ただ売るだけで、実体はお菓子作りの少しの基礎的技術や知識を持っていない人であっても、時代の流れに乗ることだけしか考えることができない、あるいは 料理ということの本来の意味を少しも理解していない人であっても、もっともらしい雰囲気を持った名の売れた美人先生に本を作らせます。本を作り売ることに よって、どの様な本質的な影響を読者と社会に与えるかなどは、少しも考える力は、今の殆んどの出版社にはありません。
 どこかの出版社で、あるスタイルの本が売れれば、柳の下のどじょうを狙い浅薄な本作りが溢れます。
 野菜や肉、日本で生産される素材の全てが乏しすぎる栄養素しか持たない状況の中であるからこそ、しっかりとした、本当に体の喜ぶ料理方法を広めなければ ならない時なのに、売れないからと、どの出版社も心と手間をかける本来の料理方法の本など作ろうとはしません。必ず長い時間の中で心と身体を蝕む、手抜き が全ての料理の作り方をこの日本に溢れさせました。
 しかし、人々の目が間違った方向に向いている時こそ、執念と義務感を持って、正しい方向に目を向けさせることこそが出版の与えられた義務ではないのでしょうか。
 しかし、誰でもが売れなければ会社は潰れるではないかと言うでしょう。しかし私達イル・プルー・シュル・ラ・セーヌは、自らの小さな出版部で、通常の2倍の制作費をかけながら、作り手の為の真実を伝える本を僅かながらあえぎながら作り続けています。
 この様な単に利益を追求するだけの、更に今の日本人を誤った方向に追いやる、あまりにもの低い姿勢も結果として、やはり、紛れもない「生命からの搾取」であると思うのです。

  又、一般の消費者として、あるいは一般的に生活する者も、自らの手で「自らの生命からの搾取」を行っています。一家の健康を預かる主婦でさえも、世の中全 て、手っ取り早く、簡単に済まして、できる限り多くの暇を作り、軽い話題だけの食べ物屋に出掛けたり、又、早さが全ての形だけの食事を可能な限り短時間で 作り上げ、でき合いの砂糖の塊のような焼肉のたれを使い、ちょっとでも長く「ワッハッハ-のゲーラゲラ」の心も身体も下品に蝕んでしまうテレビ番組にしが みつこうとします。
 この様な料理で育った子供達の心が豊かな感性を持つようになるとは思えません。又、身体は細胞、組織、器官といった最も基本的な部分で未発育のまま固定 し、大きなダメージが積み重ねられていきます。でも今の日本では、家庭での手抜きの手っ取り早さの料理のみが、とり分け大きな「生命からの搾取」というも のでもありません。勿論、これも大きな決定的な要因であることは間違いありませんが、それだけではなく、この国では特に様々の「生命からの搾取」が多重的 に複雑に行われているのです。
 ずっとお母さんが家族の為にしっかりと料理を作り続けてくれた家庭の子供であっても、既に身体に大きなダメージを受けている子供達があまりに多いことが、この国の破滅的な状況を現わしています。
 今、私達の身近なところに、実に多くの病んだ若者達がいます。アトピー症の人達も本当に多い。でも、もっと重大な機能障害をもたらす病が増えています。
 女性をたらしめる、子宮、卵巣その他の病気、そして潰瘍性大腸炎などの、将来重大な疾病に繋がる恐れのある病気も増えていると聞きます。そしてこれらの病気は、お母さんがしっかりと手作りの料理を作り続けてきた家の子供も皆同様に、このような病におかされているのです。
 決して、インスタント食品だけを与え続けられてきた子供達にのみ、この様な不幸があるのではないところに、この国が包まれている状況の深刻さがあると思うのです。
 本来含まれているはずの栄養素がことごとく失われた、薬漬け、手抜きの極みの食べ物、その他の実に様々な形の「生命からの搾取」が行われ続けてきた結果なのです。そして、これは今も深く遂行しています。
 腰が細く、顎もまた小さく細い体形に若い女性は憧れます。でも、私の目には、実に気味の悪いものにしか見えません。この様な体形は、身体の組織や骨格を 作り上げる為の最低限必要な栄養素も持たぬ食べ物を食べ続けた末に、本来あるべき姿に成長しきれずに子供の体型のままで固定してしまったのです。これは女 性だけではありません。若い男性の腰はあまりにもひ弱です。
 度々行くフランスでの帰国の際の空港待ち合い室、日本人の中にいるフランス人の体型から比較すれば、あまりにもここ20年ほどにこれらの日本人の体格のひ弱になったかが、私には一目瞭然なのです。
 私のお世話になっている歯医者さんの話では、7,80歳の御年寄りの歯は、グラインダーが、守ろうとしているのではないかと思う程、なかなかけずれな い。でも、今の若者の歯はあっという間にもろく、けずれてしまうと言います。じゃあカルシウムが足りないなどと、馬鹿の一つ覚えの栄養学の先生みたいには 考えないで下さい。
 全ての栄養素が、今の日本の食べ物にはないのです。食べ物の数は豊かになっても、その食べ物の中には何もないのです。
 この国には自分達の姿、国の姿を離れて全体から見ることのできる人が殆んどなくなってしまったように思えます。皆、それぞれが自分の持ち分のことだけしか考えず行動します。今自分達のしていることが、他の部分に全体にどの様な影響を与えるのかを考えようとはしません。
 内科医のことはと言いますが、ジェネラルに総体を見れる人がいないのです。それぞれが、部分的Specialistと言うより、偏狭なPartialist(部分主義)しかいなくなってしまったのです。
 この偏狭なパ-シャリストを示す典型的な例があります。
 私の知人の子供さんが潰瘍性大腸炎になりました。1ヶ月の入院中、ずっと点滴により栄養が補給され、食べ物は殆んど食べさせられません。少しの繊維質のものも、また脂肪を多く含んだものも与えられません。

  そして1ヶ月、確かにとりあえず潰瘍はほぼ消えたとのことでした。確かに、その1ヶ月はできるだけ速やかに腸壁の潰瘍を直すことが必要であり、その為に腸 にできるだけ負担をかけないというのは必要だと思います。しかし、どのようにしても疑問に思うのは、退院後の食事指導です。規則正しい時間での夜も早めの 食事、そして過食をしない。これは分かります。しかし、次の指導は私には理解できません。又、病院に入院しにおいでなさいと言っているようにしか思えない のです。つまり、腸に負担をかけないように脂肪の多いもの、繊維質のものは食べないようにしなさいという指導なのです。これはとてもおかしい。
 この潰瘍性大腸炎の原因はまだよく分からないと言うのです。しかし、私にはその原因はあまりにも明白です。
 勿論、その子の最近の精神的、ストレス、食事の内容、時間によって発症したことは間違いないと思います。しかし何よりも一番に考えなければならないことは、この子のお母さんは確かにずっと、しっかり料理を作り与え続けてきたのです。
 しかし、本来あるべき栄養素の殆んど失われた日本の食べ物はこの子の組織、細胞、器官を正常に作り上げることができなかった、ただこれだけのことだと思うのです。
 潰瘍ができるまでになった腸を、今からより強い、本来のものに作りかえなければならないのです。決して食べる物の種類を減らしてはいけないのです。多く のものを食べて、体内にできる限り数多くの栄養素を補給しなければならないのです。決して、退院後も過度の食事制限はだめなのです。でも、いくら食べても 日本の素材では含まれる栄養素に限りがあります。日本になくなってしまった栄養素を外国からの食べ物で補うことも忘れてはなりません。
 ヨーロッパのチーズ、ミネラルを豊かに含んだ外国の岩塩、そして更に地上ほどはおかしくはなっていない、より多くの海産物を体内に取り入れて、腸を作りかえなければならないのです。
「フランスで食べるモツ料理は、土鍋を密閉して3~4時間炊いて、ようやく弾力のあるしこしこした柔らかさになります。でも、国産の成長ホルモン抗生物質 漬け、そして豊かな栄養素を持たぬ飼料で形だけ大きく、水ぶくれに育てられた牛の腸壁はちょっとの過熱でもろもろのもろい柔さになってしまいます。正に今 の日本の若者の腸はあまりにも脆弱な腸になってしまったのです。
 この医師は正に全体を見失ったパーシャリストなのです。
腸壁の潰瘍が消えればそれで事足りるのです。できるだけ腸壁に負担をかけずに寝た子を起こさないようにしようという、医者として誇りを失った考え方なのです。
 勿論、過度の負担は腸壁を傷つけるかも知れませんが、少しずつ負荷を与え、腸壁を強固に作り上げる為の建築資材、つまり豊かな栄養素を与えなければならないのです。
 この病気は多くの場合、また再発し、入退院を繰り返し、最後には重大な結果を迎えることが多いと聞きます。しっかり食べれば良いのです。しかし、私はそ れほどどうしようもなく恐い病気とは思えません。しかし、医師の全体を見失った、できる限り腸に負担をかけないようにすると言う言葉は、発症した時の悪い 状態以上の腸にはしてくれません。
 この様に、この国では「生命からの搾取」が実に複雑に多重的に錯綜しながら行われています。
 特に私は農協の存在の大きさは、この国の将来をどうしようもないものにしているように思えます。
 帝京大学の元副学長の阿部元教授のしたことは、罪刑法定主義という原則があったとしても、誰の目にもあれは犯罪としか見えないでしょう。
 でも農協がずっと遂行してきたことも紛れもなく、犯罪だと思うのです。しかし、その犯罪の対象はあまりにも不特定の全国民という巨大な数にのぼる為に裁きようはなく犯罪は成立しないでしょう。
 そして、この様な存在に対して少しの疑問も感じずにその逃走を容認してきた、私達国民と、その国民性に最も許されざる責任があると思うのです。
 様々の子供による重大な犯罪が頻発しています。しかし、この日本の全てが生命を傷つけることを教えているのに、どうして子供に生命の尊さを教えることができるのでしょうか。

(記 2002年2月8日)

 

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2017年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
無料ブログはココログ